あなたの忠実な騎士その1
クリストファー王子に結婚を申し込まれたあの日から一週間が経つ。
毎日のように王子が華の宮を訪れるので、自分の時間がなかなか持てない。
「やあ、姫様。今日もつぶら過ぎる瞳が愛らしいね! ぐはっ」
「失礼、殿下。後頭部に巨大な虫が止まっておりまして」
「そんなに激しく叩いたら、一緒につぶれるだろ!」
「いえ、大丈夫です。私の見間違いでございました」
片時も彼から離れようとしないミカエルを、迷惑そうに王子が睨むが、全く堪えた素振りはない。
『殿下に万が一のことがあってはいけませんので』と口癖のように言っているが、ミカエルが守っているのは実は私の方なのだと、今では近衛騎士までもが知っている。
なので、王子が宮までやってきても全く警戒せずに、カイトなんて気を遣ってるつもりなのか、部屋から出て行ったりさえする始末。
初めて王子が華の宮を訪問して下さった時など、腰をおろしになった椅子のまわりをグルリと私の騎士たちが取り囲んだので、尋問を受けていらっしゃる咎人のように見えた。
人の背中の隙間越しに挨拶を交わしたのは、あれが生まれて初めてだ。
「どうして私に求婚を? 殿下ほど美しい方でしたら、どんな大国の美姫でも望めますのに……」
本当に不思議だったので、一度思い切ってそう聞いてみたことがあった。
世界にはたくさんの国がある。
リセアネほどの姫は見つからないかもしれないが、それでも探せば両手では足りない程、見つかりそうな気がする。
「俺に興味でてきた? いい兆候だね!」
嬉しそうに身を乗り出してきた王子がそのまま私の肩に腕を回そうとしたので、すかさずミカエルが彼の手を取り、腕ひしぎ襟十字固めを決める。
「ぐっ。やめて、おれるおれる!!」
「最近運動不足なようですので、ストレッチなどされてはいかがでしょうか」
「いやだ!運動なら、夜の運動をリアと……だからおれるってえええええ!!!!」
ようやく腕を取り返し、涙目でヒーヒー言っている王子は、ミカエルが怖いのか、ちらちら隣を見ながら今度は本当の気持ちを教えてくれた。
「俺にも好みのタイプがあってさ。一つ目は、野心ギラギラの子じゃないこと。家族思いなら、更にいい。俺が本気で王になりたくないのだと分かってくれる女じゃないと、傍には置けない」
「なりたくても、なれないでしょうがね」
ミカエルがボソリと呟いたが、まるで耳に入らないように王子は指を折って続けた。
「二つ目は、俺の顔見て惚れない子。顔の作りだけ見てキャアキャアわめく女には、うんざりなんだ。俺だって人形じゃない、中身がある人間だってのに」
「なかみ……」
思わず口から零れてしまった。
ミカエルがすかさず、うんうん、と大げさな相槌を打ってくる。
私は慌てて首を振った。
そういう意味ではない。
王子もいろいろ考えていらっしゃるのだ、といっそ感心した。
とにかく今までの話を総合すると、私は条件にピッタリ合ったらしい。
「お前ら、なんでそんなに気があってるんだよ。まさか……ミケもライバルなのかよ! ぐあっ」
「殿下、今度は背中に巨大な虫が」
今日はお昼を過ぎたというのに、珍しく王子はいらっしゃらなかった。
いい機会かもしれない。
私はマアサを部屋へ呼んだ。
なんとかして、エドワルドと話がしたいのだ。
私の片思いだとしても、今のままの気持ちでクリストファー王子に嫁ぐことは出来ない。どんなに彼に大切に守られても、心はエドワルドを求め続けるだろう。
夫を裏切っているという苦しみと、想い人に会えない辛さにもみくちゃにされ、私は遅かれ早かれ壊れてしまうに違いない。
兄様に言われたことを、このところしばらく考えていた。
私の自由意思で結婚相手が選べる、というのなら、その相手がエドワルドでもいい、ということにはならないのかしら。身分でいえば、今のままでは釣り合わないかもしれないが、彼は公爵家の総領でもある。
誰かに心の内を打ち明けて相談したいのだが、兄様相手では気恥ずかしいし、母様に言えば、娘可愛さの一心で無理やりにでも、エドワルドに結婚を承知させようとするかもしれない。それでは、困る。
私は、この国の第一王女なのだ。
願いを口にすれば、大抵のことは叶ってしまう。
エドワルドの心に別の誰かがいたとしたら、私の持つ力は鋼よりも容易く、彼の想いを切り裂いてしまうだろう。
そんなことは絶対に出来ない。
彼の心を傷つけるくらいなら、私の想いを殺してみせる。
思案した挙句、リセアネのところに行くことにした。
星の宮と華の宮は、大きな扉で仕切られた内廊で繋がっている。
供をしようと申し出たマアサには、クリストファー王子の足止めをお願いした。
「どうしても、と粘られたら、夕方までには戻るとお伝えして? リセアネのところに居るとは、言わないでね」
そして、一人で星の宮へと向かうことにした。
扉の両脇に立つ衛兵は、私をみとめるとすぐに門を開けてくれた。
ちらほらと使用人が目に入るが、誰もが私に気づくとすぐに手を止め、恭しくお辞儀をする。
仕事の邪魔をしたいわけじゃない。
困った私は、内廊の途中にあるガラス扉を開け、外の庭を通ってリセアネが普段過ごしている音楽室に向かうことにした。リセアネは小さい頃から音楽が大好きで、時間がある時はいつも、そこでピアノを弾いているのだ。
勝手知ったる星の宮の庭。
近道をしようと、生垣が迷路のようになっている道を進む。
誰もいないと思ったのに、少し先の方から人の話し声が聞こえてきたので、私はピタリと足を止めた。
あの声は……リセアネ?
誰かお客さまがいらしているのかもしれない。
今日は諦めようと踵をかえした瞬間、聞き間違いようのない低い声が耳に飛び込んできた。
「今まですまなかった、リセ」
エドワルドだ。間違いない。
心臓の音が早鐘を打つように早まって、胸が痛くなる。
リセアネと2人きりでいる様子なのも気になるが、それより『リセ』と妹の名を呼ぶ彼の口調の優しさに、耳を塞ぎたくなった。
ここを離れなければ。
あなたのやっているのは、盗み聞きなのよ!?
頭ではそう思うのに、足が地面に釘で打ち付けられたように、ピクリとも動いてくれない。
「いいのよ、エド。でもようやく、なのね。――ああ、わたくし楽しみで仕方ないわ!」
可憐な声が嬉しそうに弾む。
エドワルドは、「でもまだ分からないけどな」と寂しげに続けた。
「父王陛下と母上には了承を頂いたのでしょう? エドのお父様にだって。兄様はもともと賛成だったのだし、何の問題もないはずだわ」
「では、君の返事も?」
「もちろんイエスよ!! ずっと待っていたのだもの!!」
トサッと衣擦れの音が響く。
「おっと。こら、はしたないぞ」
エドワルドの困ったような笑い声が、巨大な雷のように私を打ちのめした。
そうっとドレスの裾を持ち上げ、そのままゆっくりとその場を離れる。
生垣の蔓薔薇に、後ろで束ねた髪が引っ掛かった。
無理やり引っ張った拍子に大切な髪留めが落ちてしまったのだが、探している余裕はない。
本当に悲しいと、涙は出てこないのだわ。
苦しくて苦しくて、胸が潰れそうに痛むのに、夢で見た時と違って私の目は乾いたまま。
「……ふふっ。ふふふ」
何故か笑いが込み上げてくる。
なんて滑稽なの、ナタリア。
一瞬でも、叶わぬ望みを持つなんて。
エドワルドだって、もしかしたら私と同じ気持ちなのかも。
どこかで、そう思っていたのではなくて?
残念だったわね、可哀想な王女様。
あなたの欲しいものは、全部リセアネのものなのに。
「だいじょうぶ。だいじょうぶだもの」
呪文のように繰り返す。
「わたしは、いいこだもの。みんなをだいすきな、いいこだもの」
私は、誰のことも恨んだりしない。
そんなことは、王女として感じるべき気持ちではないのだから。
さあ、その恋心は殺しなさい。
エドワルドのことなんて、忘れるの。
いたい。
こころがいたくてたまらない。
エド、エド。たすけて。
小さいナタリアが泣き叫んでいる。
私はぎゅっと固く目をつぶり、そのまま宮には戻らなかった。




