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クリストファー王子の事情その1

 

 馬車の中は先ほどから無音で、車輪の土を踏む規則正しい音だけがかすかに聞こえてくる。

 向かいに腰を下ろしたクリストファー王子は、何を考えているのか窺い知れない曖昧な表情で、私の様子をじろじろ眺めていた。遠慮のない視線が頭のてっぺんから順番に下へ降りていき、また上へ戻る。それが時々胸と腰のあたりで止まるものだから、次第に不愉快になってくる。


 「私の品定めは、もう一年も前に済んでいたはずでは?」


 気が付けば、ぶっきらぼうな声が私の口から転がり出ていた。

 

 「ごめん、ごめん。つい目がいくんだよ、ほら俺も男だから。っていうか、リアでも怒ったりするんだね! 新鮮だな~」


 リア、と彼に馴れ馴れしく呼ばれたことより先に、自分の口調の強さに驚いてしまう。

 こんな言い方、他の誰にもしたことないのに。

 苛立つ気持ちを直接相手にぶつけるなんて、はしたない真似をしてしまったことに、後悔と爽快さの入り混じった複雑な感情がこみ上げた。


 返答しようにも混乱して声が出せない私を見つめ、クリストファー王子は、楽しそうに言葉を続けた。


 「俺がリアとの結婚を酷い言い方で断った時でさえ、君は何も言わなかったよね。クロとリセの顔を見て、泣きそうにはなってたけど。無抵抗の小動物を蹴ったみたいな気持ちになって、あの後、俺もしばらく苦しかったなあ」


 ……悩むのが馬鹿らしくなる。

 心のどこかで、プツリと忍耐の切れる音がした。

 

 「私より妹に惹かれてしまうのは、当然ですもの。クリストファー殿下は正直な方だと、その点だけは評価した覚えがございますわ」


 その点だけ、という箇所をわざと強めに発音すると、王子は、まさか、というように美しい瞳を丸くした。


 「妹って、あのお人形ちゃん? 全然、俺の趣味じゃないんだけど。だいたい、綺麗な顔だけなら鏡で見慣れてるし、まさか俺の断り文句、真に受けてたの?」


 驚き過ぎて、彼の言葉の意味がすぐに頭に入ってこない。

 お人形……ちゃん?

 趣味じゃ、ない?

 

 まさかこの頭の悪そうな王子と名乗ることすら間違っているような顔だけが取り柄のようなこの男は、私の大切な妹姫についてそう言ったのではないわよね。


 「く、クリストファー殿下? 前言を撤回して下さるわね?」


 歯の隙間から力を振り絞り、押し殺したような声で迫ると、王子は弾かれたように噴き出した。


 「ぶっ。フハハハハッ。自分が貶められるのは平然と流せるのに、あの子を悪く言われることは許せないんだ!! リア、君は最高だよ!!」


 「ありがとう。あなたは最低ですわ」


 私は間髪入れずにそう答えた。

 クリストファー王子は「来て良かったな」と何故か満足そうに、一人頷いていた。

 


 どうやらようやく王城に到着したようだ。

 馬車に揺られながら正門を通過する。早馬を飛ばして、城には知らせを出しておいた。いきなり私がクリストファー王子を連れて帰ったらどんな騒ぎになるかなんて、想像したくもない。

 

 窓から外を覗くと、思った通り兄様が王宮の入り口に立って、私たちを待ち構えているのが見える。その兄様の両脇をエドワルドとフィンが固めていた。


 ああ、胃が痛い。


 馬車が止まってしまう。

 出来るだけゆっくり時間をかけて踏み台を降りようとしている私の背中を、王子が急かすように後ろから指でつついたので、怒りで頬が染まるのが自分でも分かった。兄様は冷ややかな表情のまま、私と後に続いた王子を眺めている。


 「ごきげんよう、兄様。あのね、実は今日……」


 「やあ久しぶり、クロ。あの時は、ごめんね!」


 何と言って王子のことを取りなそうか、目まぐるしく考えている私を差し置いて、クリストファー王子は軽く手をあげ、あっさりと挨拶と謝罪を済ませてしまった。


 「エドワルド。許す。斬れ」


 「はっ」


 兄様は眉ひとつ動かさず、感情の窺えない平板な声でそう吐き捨てた。

 エドワルドも迷わず剣を手に、前に出ようとする。


 「だめ、やめて!!」


 両手をひろげて、背中にクリスファー王子を庇った。

 いくら兄様の命令とはいえ、隣国の第二王子にかすり傷一つでも負わせたら、どんな処罰を受けるか分からない。エドワルドがこんなどうしようもない男の為に、酷い目にあうなんて我慢できない。


 「そこをおどき下さい、王女殿下。あなたにかばわれる価値が、その王子にあるとは思えない」


 漆黒の瞳に焼け付くような怒りをたたえたエドワルドと王子の目が合う。

 すると王子は何を思ったのか、私の腰を背中からぎゅっと抱きしめ、下ろしたままの長い髪に鼻先を埋めた。上背のある彼がそんなことをしたせいで、前のめりに体がかしいでしまう。


 「それは君が決めることじゃないだろ。――ありがと、リア。リアだけが俺の味方みたいだ」


 色っぽい艶やかな声が耳元をくすぐる。

 途端、耐え難い生理的嫌悪感が背筋を這い上った。

 

 この手じゃない。

 私に触れていいのは、この手なんかじゃ。


 「やめてっ!」


 とっさに振り払おうとするのと、後続の馬車から飛び降りてきたミカエルが、王子を思い切り蹴り飛ばしたのはほぼ同時だった。

 

 ……蹴り飛ばしてくれて良かった。


 あと一秒でも遅かったら、エドワルドと兄様に王子が本当に斬られていたかもしれない。二人があの瞬間放った凄まじい殺気に、私は真剣にそう思ってしまった。


 「お忘れのようですが殿下、私もお味方ですよ」


 華麗な回し蹴りを決めたばかりなのに、息ひとつ切らさず、ミカエルは悠然と主人である王子を見下ろしている。蹴り飛ばされたクリストファー殿下は、「いててて」と呻きながらよろよろと立ちあがった。


 「前から思ってたんだけどさ。お前の忠誠心は、俺には重すぎる」


 上着やズボンについた泥を叩きながら、恨めしそうな声で王子がぼやいたが、ミカエルはそれを軽く無視し、兄様に向き直った。


 「ご無沙汰をしております、クロード殿下。この度は、私の力及ばすこのような見苦しいものをお目にかけてしまい、謝罪の言葉もありません」


 「久しいな、ラジェット。健勝そうで何よりだが、相変わらずコレに苦労しているようだな」


 「はい。あの時、二度とこの国に立ち入るな、と言い渡されたにも関わらず、こうして我が王子が厚顔にも王宮まで参ったのには事情がございまして……。さぞお腹立ちかとは存じますが、一度お話を聞いて頂くことは出来ませんでしょうか」


 「――仕方ないな、お前にそこまで言われては。ついてこい。侍従に部屋を準備させよう」


 長い付き合いのはずの友人は斬って捨てようとしたくせに、兄様はミカエルには寛容な態度を示した。

 

 こんなクリストファー王子だが、信じられないことに我が国の王立学校で学んでいた時には、兄様と首位を争っていたという。彼が国に戻るのと時を同じくして、兄様もその後、一年間ラヴェンヌの王立学校に通った。その交換留学を通してとても面白い友人が出来たのだと、学校での土産話をせがむ私達姉妹に、よく聞かせてくれた。

 いつか君たちにも会わせたいな、本当にいい奴だから、と兄はよく口にしていたのに。

 

 一年前、私の婚約者候補として姿を見せた彼は、非情なやり方で私だけではなく兄妹をも傷つけた。

 

 『この俺の婚約者が、パッとしない地味な王女だなんて冗談じゃない。リセアネ姫なら、貰ってもいいけどな』

 

 彼があの日そう口にした瞬間の、兄様の裏切られた、というような愕然とした表情とリセアネの苦しげに歪んだ瞳を、私は今でもありありと思い出せる。


 それだけで飽き足らず、今またこの方は、新たな頭痛の種を王宮に持ち込もうとしているのだ。


 一体どういうつもりなの?


 怒りを込めて王子を睨みつけると、ずっと私を見ていたのか、すぐに片目をつぶりウィンクで返してきたので、思いっきり顔を背けて無視をした。面白がって、背けた側に王子が回り込んでくる。

 傾き始めたばかりのオレンジ色の日の光を反射して、輝く金色の髪が揺れ、完璧に整った頬に影を作った。

 悔しいけれど、本当に美しい殿方だ。

 唇を噛み締めていると、彼は笑って私の頬をつついた。


 この時。

 エドワルドが信じられないというような表情で立ち尽くしていたことに、私は最後まで気づかなかった。


 気づけば良かった。

 この時、あなたが感じた寂しさに。


 気づけば良かった。

 どうあっても、私はあなたでないと駄目なのだと。



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