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初めてのお忍び その3

 

 生まれて初めて立ち寄った市は、目移りしてしまうほど、沢山の出店が並んだ賑やか過ぎるくらい賑やかな場所だった。あまりに大勢の人出に、酔いそうになってしまう。

 胸を押さえ激しい鼓動を沈めようとしていると、絶え間なく行き交う通行人から庇うように、エドワルドが私の背中に手を回した。


 「ありがとう、エド」


 小さな声で呟くと、エドワルドはそっけなく「いえ」と応えた。


 「何かあっては大変ですので、もっとお傍に」


 「え、ええ……」


 エドワルドにとっては普通のことなのかもしれないが、私は顔から火が出そうになった。

 

 近い。

 いくらなんでも、近すぎる。


 引き寄せられたせいで、頬が彼の胸元に今にもくっつきそうだ。恥ずかしさで息も絶え絶えに、浅い呼吸を繰り返していると、マアサと並んで前を歩いていたフィンがこちらを振り返って苦笑した。


 「エド。いちゃつくな」


 「馬鹿か!!」


 「怒鳴るなよ。お前みたいに、一目でどっかの貴族って分かる男が、そんなに大事にリアを護ってたら、変に目立つって言ってんの。おかしな奴らに目をつけられてもいいのか?」

 

 ちなみに、フィンの提案で私は『リア』と呼ばれることになった。

 ナタリア、の後半部分を取ったのだろうが、エドワルドは渋い顔をしていた。マアサのことも愛称で呼ぼうとしたフィンは『私のことは、リカルド嬢のままで結構です』ときっぱり断られていたので、少し気の毒になった。


 「……そういうものか」


 エドワルドはフィンの言葉に納得したのか、私の背中から腕を放し、代わりに手を差し出した。迷子にでもなったら大変だとでも思っているのか、生真面目な表情で戸惑う私に尚もその大きな手を突き出す。


 「では、こちらで失礼します。――お手をどうぞ」


 「エド、口調」


 「わ、分かっている! ……ほら、おいで」


 護衛の為だと分かっていても、優しい低音に膝がくだけそうになる。私はよろめきそうになり、慌てて彼の手を掴んだ。手袋越しではない彼のぬくもりに直接触れたのは、初めて出会ったあの庭園以来かもしれない。

 柔らかかった小さな手は、剣を取る固い大きな手に変わっていた。


 「リア、大丈夫か?」


 「平気、よ。心配しないで」


 なんとか微笑を作りエドワルドを見上げると、ふいと視線がそらされた。


 これはお芝居なのだ、と思い知らされる。

 

 何を調子に乗っているの、ナタリア。


 私はともすれば舞い上がりそうになる心を、必死に押さえつけた。


 

 それからしばらく、あちこちの店を見て回った。

 初めて目にするものも多くじっと見入っていると、エドワルドがすぐに財布を出そうとするのには閉口した。『台所』なんて書いてある素焼きのドアプレートを買ってもらっても、つける場所がない。

 もしも厨房のドアにつけるようにと、華の宮の料理長にプレゼントしたら、どんな顔をされるだろう。60手前のいつも厳めしい顔をした料理長を思い浮かべただけで、可笑しくなった。


 「楽しい? リア」


 「良かったですわね、リア様」


 フィンとマアサが、微笑ましそうに私を見つめてくる。そっくりな表情に、またしても笑いが込み上げた。青い空に向かって、私の心はどこまでも飛んで行ってしまいそうだった。楽しいか、ですって。もちろんだわ。


 「ええ、とても!」


 エドワルドは黙ったまま、ぎゅっと私の手を握り直した。


 

 

 市場の端まで見て回りたかったのだが、あっという間に時間が経ってしまった。何か今日の記念になるものを買いたかったのだが、残念だ。

 

 

 「そろそろ、何か食べに行こうか。じゃないと時間に間に合わなくなる」


 フィンの言葉で、市場を出てこじんまりとしたレストランに移動することになった。昼時なので店も混雑していたが、何とか4人同じデーブルに座ることが出来た。


 

 私は全く勝手が分からないので、フィンとエドワルドに注文をまかせる。マアサもそれに同意した。好き嫌いはない、と告げるとエドワルドは目元を優しく和ませ「そうだったな」と呟いた。


 「で、どうだった?」


 フィンが私に感想を求めてくる。


 「活気があって、あんなに人で溢れかえっているのに騒ぎが起こる事もなかったし、浮浪児のような子も見かけなかった。みんなとても生き生きとしてて――。上手くいえないけれど、改めて父を誇りに思ったわ」

 

 「貧民街スラムがないのは、確かにサリアーデの素晴らしい点の一つだな。安定した王政の恵みが、隅々まで行きわたっているのは、現王陛下の公平で清廉な治世のおかげでもある」


 エドワルドがすぐさま賛同してくれたので、嬉しくなった。

 隣の彼を見上げて微笑むと、バツが悪そうに押し黙ってしまったのだけれど、もう気にするのは止める。

 

 私の気持ちは、私だけのもの。


 今日多くの民を見て、改めて感じた。

 裕福な商人に、貧しいながらも多くの家族を連れた幸せそうな平民。

 綺麗な娘もいれば、私のように地味な容貌の娘もいた。


 人は自分であることから逃れることは出来ない。

 ならば、自分らしくおのれに恥じないように生きるしかない。


 「いや、そっちの感想じゃなくて……」


 「無駄ですわ、パッシモ様。リア様はいつでも心から民のことを案じていらっしゃる、素晴らしいおう」


 「そこまで」


 おうじょさま、と続けそうになったマアサの口をフィンは慌てて右手で塞ぎ、辺りを油断なく見回した。マアサは目を白黒させていたが、自分の失態に気が付いたのか、小さく身を縮こまらせる。


 「もうし……じゃなくて、ごめんなさい」


 非常に言いにくそうに、最大限くだけたのであろう口ぶりでマアサが謝ると、フィンはふぅと息をついた。


 「大丈夫みたいだけど、気をつけろよ。誰が聞いてるか、分からない」


 いつも軽い調子のフィンが真面目な口調で続けた。


 「何かあっても必ず守りきる自信があるからこそ、連れてきたけど、危ない橋は渡りたくない」


 「うん。分かった」


 マアサも真剣な顔で頷く。

 するとフィンはガラリと態度を変えて、マアサににっこりと微笑んだ。


 「殊勝な態度の君も、可愛いね。思わず抱きしめたくなってしまうよ」


 「ぐっ!!」


 「相手にするな、リカルド嬢。これがいつもの、こいつの手だ」


 言葉に詰まったマアサに、エドワルドが声をかける。

 フィンはすかさず「そりゃひどい」と抗議したが


 「そうなので……じゃなくて、そうなの? 最悪ね! 女の敵だわ!」


 マアサが勢いよくそう断じたので「ちぇ」とフィンは拗ねたように唇を尖らせた。引き締まった騎士然とした体躯に似合わないその幼い仕草に、私達はみな声を立てて笑った。

 エドワルドの笑い声なんて、いつぶりだろう。

 この先何度でも思い出せるように、心の奥に刻み込んだ。


 そうこうしているうちに、料理が運ばれてきた。

 フォークやスプーンはあるが、ナイフやフィンガーボウルは見当たらない。

 平たい丸いパンのようなものは、どうやって食べるのだろう。

 私が手を出せずにいると、向かいに座っているマアサが「ああ!」と何かを思いついたように声を上げた。


 「ごめんね、リア様。ちょっと待ってて」


 小声で私に囁きかけると、私の目の前の皿からちょっとずつ、自分の取り皿に料理を移し始めた。どうやら平たいパンは、直接手でちぎるようだ。


 何をするのか、と思って眺めていると、エドワルドがマアサからその小皿を取り上げた。


 「毒見なら、この私が」


 「いいえ、わたくしの役目ですわ」


 毒見なのか……。

 私が思わず知らず遠い目になっていると、フィンが呆れたように首を振った。


 「はあ、もういいや。好きにして」


 しばらく押し問答をしていた2人だが、半分に分けることで決着がついたようだった。当たり前だが、悪いものは入っていなかったらしい。

 険しい顔でもぐもぐと黙って咀嚼していたエドワルドが、ふっとその表情を緩めて、どうぞ、というように私に手の平を向ける。


 ――ああ、こんなにも私は彼が愛しい。


 ぎゅっと唇を噛み締め、沸き起こる今更な感情に固く蓋をした。


 私の気持ちはエドワルド、あなたにだって変えることは出来ない。

 押し付けて困らせることは決してしないから。

 

 だからただ、許してほしい。

 いつか婚姻の誓約をまだ見ぬ誰かと交わすまで、秘かに思い続けることだけは。


 

 



 3人の食べ方を見ながら、見よう見まねでようやく皿に手を付ける。

 フィンが連れてきてくれただけあって、華の宮で供されるものとは全く違う味なのに、大胆なくらいしっかりと味付けされたそれらは、とても美味しかった。

 私たちは、見てきたばかりの市場について歓談しながら食事を進めた。



 「あ――」


 

 小さくちぎったつもりだったのに、サーモンのマリネを挟んで口に運んだパンから、ソースが零れる。


 

 幸い少量だったので、服は汚さずに済んだ。

 口元をナプキンでぬぐおうと思ったのだが、ナプキンが見当たらない。

 仕方がないのでハンカチを取り出そうとワンピースのポケットを探っていると、エドワルドがそれに気がつき、無造作に手をのばし、ぐいと親指で私の唇の横を拭った。そのまま、ペロリとソースのついた親指を舐める。

 

 「取れたよ」


 「……ありがとう」


 彼の顔を直視出来ず、料理皿を見つめたまま、小さい声でお礼を言った。


 フィンは無言で天を仰ぎ、マアサは射殺さんばかりにギラギラとエドワルドを睨みつけている。


 そういえば、こういう人だった。

 小さい頃はよく、マフィンやクッキーの食べこぼしを、エドワルドが今みたいに取ってくれたものだ。でも私はもう、二十歳なのに。


 大人の女なのだ、とエドワルドに思い知らせてやれたら、どんなにいいだろう。

 でも残念なことに、どうすればそう思って貰えるのかが、私には分からない。

 

 


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