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初めてのお忍び その2

 「正気なの? マアサ! それに、フィンがそんなことを許すなんて!」


 「私もそう思ったのですが……。どうしましょう、姫様」


 しっかり者で通っているマアサが、うろうろと歩き回って頭を抱えている。


 あれからもフィンは何度も華の宮を訪れては、マアサにそっけなく追いかえされているらしいのだが、諦めた素振りはみえない。

 先に音を上げたのはマアサの方だった。

 

 ――自分一人では行かない。

 姫様とだったら、一緒に城下に行ってもいい。


 これで諦めるだろう、と思いきや、フィンは少し思案しただけで、「いいよ」と平然とのたまったというのだ。


 「姫様の身元がばれないように、と変装用のワンピースと外套まで送って寄越してきたんです。……こんなことになるなんて思わなかった。姫様、お許しください」


 マアサは泣き出さんばかりに、両手を揉み絞っている。取り乱した彼女を見ているうちに、心が落ち着いてきた。

 私が、しっかりしなくては。

 

 よくよく考えてみると、マアサとフィンが話し合ういい機会になるかもしれない。出かけないと断るのは簡単だった。だが、フィンがどう考えているのかはさておき、マアサの長年培われてきた恋心がそう簡単に消えてなくなっているとは思えないのだ。

 折れどころを間違えたせいで、うまくいくはずの縁談が壊れてしまった、ということになったら、私の方が後悔してもしきれないだろう。

 

 幸せになってほしい。

 せめて、マアサだけでも。



 「いいわ。フィンがそう言うのなら、私たちの安全は保障して下さるのでしょうから。それに私も一度、仰々しい供など連れずに、ありのままの民の生活を見てみたいと思っていたのですもの。ちょうどいいわ。――それで、その着替えとやらはどちらにあるの?」

 

 「本気ですの!? お忍びで姫様を町にお連れしたなどと、万が一王太子殿下に知られたら、私、殺されてしまいますわ!!」


 マアサは悲鳴に似た声を上げて、激しく首を振った。

 今にも気を失いそうな彼女に、気付け薬を嗅がせるべきかどうか迷っていると、軽いノックの音がした。


 「だれです?」


 人に知られるわけにいかない内密な話をしていたところだったので、気づかぬうちに鋭く尖った響きになる。


 「失礼。お取込み中でしたか?」


 許可を与えないうちに分厚い扉がうすく開き、金色の巻き毛が覗いた。それ以上は踏み込んでこない彼を、可愛らしく感じてしまうのは幼馴染の贔屓目なのかしら。


 「……フィンなのね。入ってちょうだい。あなたは、なんて悪い人なの。こんなにマアサを動転させるなんて」


 私がそう言うと、いつもの黒い団服ではなく、腰丈の上着に真っ白なシャツ、紺色のタイをゆるく締め、細身のズボンに長い脚を包んだフィンが姿を見せた。カジュアルな平服が自然なくらい似合っている。


 「ご機嫌いかがですか、姫様。リカルド嬢」

 

 「いいわけないわ! パッシモ様。ご冗談ですわよね。姫様をお連れするなんて!」


 「もちろん本気だけど? でも、2人きりのデートがしたいって君が言うのなら、考え直そうかな」


 「何をぬけぬけと……」


 マアサの美しい顔が怒りに歪むのを見ていられず、私は慌てて割って入った。


 「マアサ、落ち着いて。さっきも言った通り、私なら大丈夫よ。フィンもわざと彼女を怒らせるような事は、口になさらないで」


 マアサをなだめ、フィンを軽くにらんでたしなめると、彼は愛らしい仕草で小さく首を傾げた。


 「怒った顔もすごく魅力的なものだから、ついついからかってしまうんだ。ごめんね」


 「な、な……」


 マアサの顔が真っ赤になる。その表情からは、純然たる怒りだけではなく、わずかな期待が見て取れる。私は内心、微笑んでしまった。


 まっすぐで情け深いマアサを、フィンがきちんと理解した上で、愛してくれるといいのだけれど。 大人びた艶やかな美貌の奥に、傷つきやすい心を隠しているのだと――。


 「では、決まりね。そんなに長い時間、不在にするわけにはいかないから、昼すぎには宮に戻ってこなくては。それでよろしくて?」


 「もちろん。とびっきり美味しい店で、ランチでも食べて戻るとしようか。その前に、今日は市が立っているはずだから、そちらを見て回ってもいいよね」


 ランチに市場!


 現金なことに、途端に心が浮き立った。

 視察や慰問に出ても、外出先で何かを口にすることは絶対に許されなかったし、予め決められた場所以外は、大勢の護衛にまもられた馬車で移動するしかなかった。小さな窓から外を覗こうにも、ビロウドのカーテンで隙間なく覆われているのが常だった。


 でも今日は違う。


 ほんのひと時とはいえ、ただの町娘として、自由に動き回ることが出来るのだ。


 「では、すぐに支度するわ。半刻後に、東城門で落ち合いましょう。そこから出た方が、人目につかないでしょうから」


 てきぱきと段取りを決める間、マアサは石のように固まったままだったが、フィンはにこにこと私を見つめていた。


 「おてんば姫の復活だな、ナタリー」


 「それは言わない約束よ、フィン様」


 おどけて肩をすくめると、フィンは眩しそうに目を細めた。


 「良かった。ここ数年、君がしている顔といったら、酷いものだったからね。では、先に行くよ。寄るところがあるんだ」


 本当に変わらない。なんだか嬉しくなってしまう。

 私に面と向かって「酷い」だなんて邪気なく言ってのける人は、昔からフィンくらいのものだった。王族の除外品である私のことを腫物はれもの扱いしない彼に、今までどれだけ救われてきたか。


 「姫様に、なんて口を!!」


 石化がようやく解けたらしいマアサが、我に返ったように怒り始めたが、私は笑って「さぁ、早く着替えましょうよ」と彼女を急かせた。


 華の宮を抜けだすまでが、思ったより大変だった。

 巡回する近衛騎士をかわし、壁に身をひそめる。下働きの使用人に見つかった時は、マアサが自分の従妹だと偽り、私を背中に隠した。

 

 「本当は入れちゃダメなんだけど、働いているところが見たいとせがまれてしまったの。でも、姫様のいらっしゃる奥の間には近づけていないわ。お願い。みんなには黙っててちょうだい」


 「はあ、そうなんですか。もちろん誰にも言いませんが、マアサ様も大変ですね」


 なんと我儘な娘なんだろう、という呆れた視線が痛い。

 外套のフードは深く下ろしているし、長すぎる髪は編み込んで頭にぐるぐる巻きつけているので、私だと知られるはずはないなのだが生きた心地がしなかった。

 マアサは愛想笑いでその場を誤魔化し、強く私の手を引いて逃げ出した。

 


 厨房の脇の狭い通路から、ようやく裏口に辿り着くころには、私たちは二人ともぐったりと疲れていた。


 「これきりにして下さいませね、姫様」


 マアサの目が笑っていない。何度も頷いて、フィンの待つ東城門に向かった。


 「やあ、来たね。思った通り、よく似合ってるよ」


 見張りの立つ城門から少し離れた木の下に、フィンともう一人、男性が立っている。迷惑そうな表情で、こちらを見てきたあの方は……。

  

 もしかしてエドワルド?


 「パッシモ様。なぜ、お一人ではないのですか?」


 心臓が止まりそうになっている私をチラと横目で伺い、マアサは腰に手を当てた。


 「いや、やっぱりこっちも一人より、二人の方がいいかなって。両手に花も悪くはないんだけど、たまにはダブルデートも新鮮だろう?」


 フィンは冗談めかしてそう言うと、脇に立つエドワルドの肩に腕を回した。

 途端、


  「ふざけるな!」

  「おふざけになるのもいい加減になさって!」


 エドワルドとマアサの声が重なった。


 「そんなくだらない事で呼び出したのか。悪いが、戻る。お前のどうしようもない色恋沙汰に、私を巻き込むんじゃない」


 エドワルドはフィンの腕を振り払って、その場から立ち去ろうとした。

 フィンに言われたのか、団服ではなく私服で現れた彼をフードの隙間からそっと窺う。


 町娘の恰好をしているのが私だと知られたら、きっと今以上に軽蔑されてしまうだろう。


 でも、騎士然と取り澄ましていない素顔のエドワルドを、叶うことならもっと見ていたかった。


 「へえ。いいのかな。本当にそれで?」


 からかうようなフィンの声色に足を止めて、エドワルドははぁ、とため息をついた。前髪をかき上げるのは、苛立った時の彼の癖だ。


 「何がいいたい」


 「お前の大事な姫様が、どうなってもいいって云うんだね? 俺は知らないぜ。後からお前が後悔する羽目になっても……」


 悪ふざけにも程がある。

 いくらなんでもリセアネを楯に、エドワルドを強請るような真似は看過できない。彼が公式の場でダンスの相手をするのは、リセアネ一人だけ。エドワルドが私の妹を特別大切にしていることは、周知の事実だった。


 「いい加減になさい、フィン。そのような無理強いはいけません」


 黙っていようと思ったのに、思わず声を上げて彼を非難してしまった。


 「っ!! まさか……」


 エドワルドは大きく目を見開いて、大股でこちらに歩いてくる。動けないでいる私の目深に下ろしたフードを「失礼」と呟いて、そっと持ち上げた。


 あっという間の出来事だったので、マアサも反応出来ないでいる。

 私は、ただ祈るような気持ちで、彼の漆黒の瞳を見上げた。


 「……ナタリア王女殿下……」


 エドワルドの端正な顔に驚愕が走ったかと思うと、次の瞬間、彼は腰に帯びた長剣を鞘ごと抜き取り、フィンに迫った。

 

 「っと!! 危ないな」


 フィンも自らの剣を手にし、強烈な一撃を受け止める。


 「そんなに死にたいのなら、今ここで、私が引導を渡してやる!!」


 底冷えするような鋭い声でエドワルドが凄むと、フィンは何故か私の方を見た。


 「だって、姫様。どうしよう」


 「だめ、やめて。騒ぎにしないで!」


 王族を危険な目に合わせない、というのが近衛騎士の存在意義だ。職務に忠実なエドワルドは、私がそう言っても、なかなか剣を引こうとしない。

 仕方なく私は、一番言いたくなかった台詞を使う羽目になった。

 


 「命令です、エドワルド。私が供を許したのです。お願いだから、フィンから剣を引いて」


 エドワルドは歯噛みしながらも、しぶしぶといった風に剣を収めた。長いため息を吐いて激情を逃がし、改めて私に向き直る。


 「では、私にも供の許しを」


 「え? いいのよ、エドワルド。無理することなんてない。一緒に来なくても、リセアネにフィンが何かするはずないじゃない」


 お前の大事な姫様、というフィンの言葉を気にしているのなら、大丈夫だから、と伝えたかったのに、何故かエドワルドは苦しそうに端正な顔を歪めた。


 「っ!! ……連れていかないというのなら、今すぐ、王太子殿下の元に行って」

 

 「分かりました、許します!」


 すっかり目の据わってしまったエドワルドに、逆らうほどの勇気はない。私は慌てて許可を与えた。


 「じゃあ、行こうか。あ、今から姫様に敬語はなしだよ、エド。バレたら大騒ぎになるからね」


 これで良し、と満足そうなフィンがそう釘をさすと、エドワルドは「お前が言うな」と、地を這うような低い声で答えた。




 

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