94話 アリッサ、神絵師に影響されてく
わたしの名前はアリッサ・洗馬。
歌手として活動している、18歳。
ゲームのしすぎて倒れてから、約半月後。
9月の中旬。
その日、わたしは収録を終えて、スタジオから帰る途中でした。
「…………」
リムジンにはわたし、運転席には贄川さんがいます。
わたしは深く腰を下ろし、スマホの電源を入れます。
こうさんから、LINEが来てました。
【アリッサねーさーん。帰りにカップ麺と、ぽてーとチップス買ってきて~。あとコーラもっ】
お願い、と頭を下げるデジマスキャラのスタンプが送られてきます。
【わかりました】
わたしが返事を打つと、こうさんからスタンプが帰ってきます。
【あ、コーラはゼロコーラじゃなくて、ちゃんとノーマルの赤コーラね! なんだゼロカロリーって! こちとらカロリーを気にして炭酸飲んでないっつーの!】
しゃー! と猫が威嚇するスタンプを送ってきます。
か、可愛い……。
わかりましたと返事を送り、そろそろ帰る旨を伝えます。
「ふぅ……」
「ふふっ」
運転席で、贄川さんが微笑んでいます。
ボディビルダーみたいな彼が笑うと、ちょっとすごみがありますね。
「……どうしたんですか?」
「いえ、お嬢が楽しそうにLINEしてるから、嬉しいなーって思ってだけでさぁ」
「……楽しそう、でした?」
「ええ、とっても」
贄川さんの声が弾んでいます。
本当に嬉しいのでしょう。
「こうちゃんさんとLINEですかい?」
贄川さんが、【こうちゃん】さんと呼ぶ。
ちゃんとさんって一緒に付けていいのでしょうか。
「……ええ。あ、帰りにコンビニ寄ってくれませんか? こうさん、買ってきて欲しいものがあるって」
すると贄川さんはこう言います。
「お嬢、車内冷蔵庫、あけてください」
リムジンには冷蔵庫がついてます。
小さなものですが。
ぱかっ、と開けると……。
「……こ、コーラが入ってます」
「あとお嬢の隣のソファ、ちょっとめくってくださいやし」
わたしは言われたとおりにします。
ソファの蓋を開けると、なかには……お菓子とカップ麺が入ってました。
「……ど、どうして?」
「お嬢が小腹が空いた時用に、常備してるんでさぁ。適当にもっていってくださいやし。あ、ビニール袋はドアポケットに」
「……LINEの内容見てないのに、その通りの物が揃っているのは?」
「あの人だけでなく、お嬢のお友達の好きなおやつや飲み物は、全部把握してますぜ。別にこうちゃんさんのためだけでなく」
確かにコーラ以外にも、お茶とか、ジュースとかが入ってます。
ちょっと、いやかなり、用意周到すぎません?
「お嬢がいつお友達と遊びに出かけても良いように、備えておく。これもあっしの仕事でさぁ」
わたしはこうさんに頼まれていた品物を、ビニールの中にいれながら、言います。
「……贄川さん。ありがとう」
「? どうしたんですかい、急に?」
「……わたしのために、色々準備してくれて。その……」
わたしは、言うか迷って、でも……。
脳裏に、ノーテンキな、こうさんの笑顔を思い浮かべて言います。
「……この間、ゲームのやり過ぎで、倒れてしまったでしょう。そのとき、贄川さんが、色々手続きとか、してくださったって。……ありがとう」
思えばいつも、贄川さんは、わたしのために色々やっててくれた気がする。
それを当然のように享受してて、感謝の意を伝えてなかった。
いや、感謝はしてました。
でも、口に出せなかったのです。
けれど……。
いつも、欲望をすぐに口に出す、こうさんを見ていると……。
なんだか、とても羨ましく思うんです。
思いは、胸に秘めておいても、意味ないのかなって、こうさんを見ていて思うんです。
「ふふっ、お嬢……変わりましたね」
「……え?」
贄川さんはステアリングを回しながら、優しい声音で言います。
「良い傾向だと思いやす。こうちゃんさんの影響でしょうか?」
「……そ、そこまでわかってしまうのですか?」
「ええ。プロでございやすから」
何のプロなんのでしょうか……。
「そこはほら、何のプロなんやねん! ですよ、お嬢?」
「……あ」
わかりやすく、ツッコミ所を用意しててくれたみたいだ。
未熟だなぁ、わたし。
「こうちゃんさんなら、いち早くツッコんでやしたね」
「……そうですね」
わたしたちは苦笑し合います。
「……贄川さんって、こうさんのことヤケに詳しいですが、どうしてですか?」
「ネトゲで同じギルメンなんでさぁ」
「……ねとげ? ぎるめん?」
「えーっと……」
そこで贄川さんは答えず、笑って言う。
「お嬢。それはこうちゃんさんに聞いてあげてくださいやし。話題が一個増えますぜ」
キッ、とリムジンが止まります。
贄川さんがドアを開けて、荷物を持ってくれます。
「コーラとか、中に運びやすぜ?」
「……ううん。いいの。これは、わたしが頼まれたものだから」
贄川さんは微笑むと、ドアを開けてくれます。
「……ありがとう。おやすみなさい」
「ええ、お嬢。お休みなさい」
そう言って贄川さんは車に乗って、さっていきます。
変わってきてると、あの人は言ってくれました。
ずっと側で見てくれていた、彼が言うのなら、そうなのでしょう。
本当に、嬉しそうにしてくれてました。
わたし……今まで、結構心配させてたのかもしれません。
反省しないとな……。
「……ふう。よし」
わたしは部屋の中に入ります。
今日も深夜まで収録でした。
家の中の電気は完全に消えてます。
みちる……さんには、お夕飯はいらないと伝えてあります。
わたしはこうさんの部屋へと向かいます……。
ガチャッ。
『くぬっ! くぬっ! よーし! 部位破壊きたー! へっへーん! どうだぁ!』
こうさんは椅子に座って、携帯ゲーム機をいじってます。
また……深夜までゲームしてるこの人……。
『ナルガなんてハンターこうちゃんに掛かればよゆーですよっ! って、ぎゃー! こらっ! 落ちてるんじゃねえ! くそっ! なんで避けない! モーションで次の攻撃わかってたでしょーがー! んもー!』
こうさんの話しているのは、ロシア語です。
最近贄川さんに教えてもらって、少しずつですが、こうさんの言ってる言葉が理解できるようになりました……。
『かーっ! ナルガ相手に1乙とかまじありえないー! きー! あーもう! 報酬へったー! あーあーんもー、野良はこれだからやーねぇ』
こうさんはゲーム機を放り出して、ベッドにダイブします。
最近わかったのですが、ゲームが上手くいかないとき、こうさんはゲームを辞めます。
「あ、姐さん。おか、えりー」
ぱたぱた、とこうさんがベッドで仰向けに眠りながら、足を垂直にあげて振ります。
「……それは、なに?」
『特に意味はない。きりっ』
……ロシア語でしたが、たぶん意味はないのでしょう。
『コーラとカップ麺はっ? 買ってきましたー?』
ぴょんっ、と立ち上がるとこうさんが近づいてきます。
たぶん、頼んだもの買ってきたか、といいたいのでしょう。
「……はい」
『姐さんありがとー! ふへへっカップ麺だ~。お湯作るねー!』
こうさんの机の下には、小型の冷蔵庫があります。
そこから2リットルのペットボトルを取り出す。
電気ケトルでお湯を沸かす間、カップ麺の準備をします。
「……なぜケトルとか、冷蔵庫とか、この部屋にはあるんですか?」
『みちるマッマにカップ麺を禁止されてるからです』
そういえばリビングにはケトルがありませんね。
こうさんのためでしたか……。
「……禁止されてるのに、なぜ食べるんです?」
『ふっ……』
こうさんは格好よく笑うと、
『食べたいからです!』
……ロシア語でしたが、わかりました。
食べたいから、食べる。
なんとシンプルな回答でしょう。
『なぜ人は我慢しなければいけない。健康? うるせーしるか! どうせ人は死ぬんだ! なら好きなもん食って死にたい、ってこうちゃんは思います。健康を気にしてマズいものを食べるより、よっぽど体に良い気がしますな。読者の皆さまもそう思いません?』
こうちゃんが明後日の方向を向いて、ロシア語で何かを、訳知り顔でいいます。
たぶん……意味はないのでしょう。
ぱちんっ、とケトルがお湯を沸かします。
こうさんがお湯を注いで、そわそわしながら、カップ麺ができるのを待ってます。
その間に、わたしは気になっていたことを聞きます。
「……こうさん。ネトゲ、とはなんでしょう」
きらんっ、とこうさんの目が輝きます。
『それ、こうちゃんに聞いちゃいます?』
ものすっごい良い笑顔の、こうさん。
好きなものを語るとき、だいたい、彼女はこういう顔になります。
『こうちゃんネトゲ歴ながいよー。語らせたら、うるさいよー。え、聞いちゃう? もしかして、姐さん興味ありけり~?』
興味があるのか、と聞かれてる気がします。
「……ええ、とっても」
だって、お友達と、大事な人が、好きなゲームなんですもの。
わたしも、興味もちます。
『しゃ! ではこれ食べ終わったら、天才こうちゃんのぱーふぇくとネトゲ講座やっから!』
どうやら教えてくるみたいです。
ぺりっ、と蓋を剥がし、どこからか割り箸を2本、取り出します。
「……え?」
「はんぶん、こ!」
……こうさんは、変なひとです。
平気で仕事をさぼるし、ゲームばっかりしてるし、禁止されてるのに普通にカップ麺もお菓子も、深夜に食べるし……。
でも……そんな彼女を見ていると、少しずつ、何かが良い方向に行ってる気がするのです。
「……それでは、ご相伴にあがります」
『ふっ……君も深夜カップ麺の魅力にはまっていくがよい。こうちゃんはこうして人を堕落させていく……ましょーのおんななのだー! わっはっはー!』
こうさんは笑顔で、ラーメンを啜ってます。
わたしも、なにも気にせず、彼女と一緒にカップ麺を食べて……そして……。
「こーーーーらおちびぃ! アリッサぁ! 深夜にカップ麺食べるんじゃないわよぉおおおおおおおおお!」
ふたりして、みちる……さんに、怒られて、笑うのでした。




