91話 アリッサ、変わろうと努力する
……わたしはアリッサ・洗馬。
歌手をやっています。
最近の作品で言えば、デジマスのアニメで、OPを歌っている人、といえばわかってくれるでしょうか。
現在、わたしには愛する人がいます。
上松 勇太さん。
デジマスの原作者さんでもあります。
つい先日、わたしは彼と一緒に、住むことになりました。
夢のようでした。
愛する人と一つ屋根の下で暮らすなんて。
……しかし、現実はなかなか、難しいものでした。
★
深夜。わたしは目を覚まします。
ここは、勇太さんが購入した一戸建ての、わたしに宛がわれた部屋です。
防音設備がしっかりしており、愛用のピアノなどの、音楽機材が置いてあります。
「…………」
眠れない。
これが、目下の悩みでした。
「……トイレ」
わたしは部屋を出て、廊下を歩きます。
ですが、すぐに迷ってしまいました。
「……どこ?」
そう、ここは以前まで住んでいたマンションとは異なるのです。
トイレの場所も、違うのです。
「あ、アリッサちゃん」
うぁっ!? な、なんでしょう……だ、だれ……?
「……由梨恵、さん」
「ふぁ~……こんばんふぁ~……」
私服姿の由梨恵さんが、くしくしと目元を擦りながら言います。
「……お、お仕事、帰りですか?」
どくんどくん、と心臓が体に悪い跳ね方をします。
「そー。収録長引いちゃって」
「……そう、ですか」
「うんー。アリッサちゃんは、どうしたの? こんな夜更けに」
「……あ」
トイレの場所がわからなくて、どこか、聞きたかった。
……けど、そんなのも知らないの、と馬鹿にされたら、どうしよう。
怖い。人と話すの、怖い。
「……なんでも、ないです」
「ふーん、そっか。おやすみ!」
「……ええ、おやすみ」
由梨恵さんはふらふらと去って行きます。
「…………」
ここで、トイレの場所はどこだと、聞けば良かった。
もぞもぞする。
漏らすわけにはいかないし……早く見付けないと。
ほどなくして、わたしはトイレの場所を見付け用を足す。
「…………つらい」
わたしはトイレで丸くなります。
思った以上に……わたしは、この共同生活を、辛く感じていました。
なぜ?
それは、端的に言えば……他人が怖いから、です。
わたしは俗に言う、コミュ障というやつで、人との関わり合いがとても苦手な質なのです。
そんなわたしが、誰かと共に暮らすのなんて、最初から無理な話でした。
でも……愛する人と一緒に住める。
それを知ったとき、わたしは勇気を出して、共同生活を申し出ました。
……でも、やっぱり、他人が怖い。
自分の安息できる領域(自宅)に、誰かが居るのを……煩わしく感じる。
自分の家じゃないここに、どうにも、据わりの悪さを感じるのだ。
「…………」
わたしは水を流して、トイレを出る。
自分の部屋に行こうとして、また迷う。
……こういう差異が、わたしを苛つかせる。
と、そのときだった。
『ふぁーーーーーーーーーーー●く!』
いずこかから、可愛らしい声が、聞こえてきました。
日本語ではありません、これは……。
「ロシア語……」
ひとり、ロシア語を使う人に、心当たりがありました。
わたしは声のする方へと顔を覗かせる。
扉が少し空いてます。
ひょこっ、と顔を覗かせると……そこは……。
『うぉおおお! キル! キル取れよキル! よっしゃでーーーすとろーーーーーーい!』
……なかにいたのは【みさやまこう】。
ここはみさやまさんのお部屋のようでした。
『うぉ! 後ろから打ってきやがった! しっと! 反撃ジャー!』
みさやまさんはパソコンの前に座ってます。
ごついゲーミングチェアに座り、パソコンの前で何かしてます。
イラストレーターだとうかがっています。
きっと、絵を描いているのと、思ったのですが……。
『ごーごー! みんなごー! きる! ふ●っく! しっと! おう! ナイスきーる!』
「……ゲーム?」
銃を撃ち合うゲームを、みさやまさんはやってました。
彼女は、ハムスターの着ぐるみみたいなパジャマを着て、ヘッドセットをかぶり、ゲームコントローラーを恐ろしい速さで動かします。
『ひゃっはー! やっぱえーぺっくすは、さいこーに面白いゲームだぜええええ!』
……みさやまさんが、全部ロシア語で何かを言ってます。
正直、意味は不明です。
ですが……一つ確かなことがあります。
「……自由すぎる」
否、楽しそうなのです。
彼女はこの共同生活のなかであっても、自分を保ち続けているように、わたしには見えます。
それは、わたしにはとてもできないことで、凄いことだと……思ってます。
『いえーい! ないすぅ! 我々の勝利~! がはははぁ!』
みさやまさんの周囲には……。
脱ぎ散らかした服。
食べかけのお菓子の袋。
飲み終わったペットボトルのゴミ。
これらが散乱してます。
みさやまさんは深夜だというのにおかまいなしに、ポテチを食べ、カップ麺を啜ってます。
「……じ、自由すぎません……?」
「ひゃいっ!」
びっくーんっ、とみさやまさんが体を強張らせます。
どうやらゲームを一旦中断したようです。
「あ、え、あっと……アリッサ、姐さん」
急にオドオドし出すみさやまさん。
別にわたしは、この子の姉でもなんでもないのだが、いつも姐さんと付けてくる。
『どうしたの姐さん? よい子は寝る時間ですぞ?』
何を言ってるのかはわかりませんが、たぶん、気を遣ってきてるのはわかります。
……ああ、ダメだ。
わたし、人から気を遣われるのが、本当に嫌だ。
出来ることなら、ずっと、一人でいたい……。
「……ごめんなさい、おやすみ」
『はえ? うん。おやすみー』
★
翌日、スタジオでの収録を終えたわたしは、リムジンに乗って、自宅へと帰る途中でした。
「お嬢、お疲れですかい?」
運転席に座っているのは、わたしの古くからのお手伝いさん、【贄川 二郎太】さんだ。
「仮眠を取るなら、シートを倒した方がいいですぜ?」
「……いえ、大丈夫です。あの……わたし、寝てました?」
「ええ、ちょっとの間。お疲れのようで。ここのところ、ハードな収録が続きますからねえ」
贄川さんは、わたしが収録で疲れてると思ってるみたいだ。
でも……違うのだ。
「おや、何か別のことで、疲れてるんですかい?」
「……えっ?」
どきっ、としてしまう。
な、なんで? わたし、何もまだ言ってないのに……。
「ははっ。お嬢、あっしを舐めちゃあいけませんぜ? 何年お嬢の専属お手伝いさんやってるって話です」
「…………」
確かにそうだ。
贄川さんは、わたしに自我という物が芽生えたときから、家を手伝ってもらっている。
そんなに長く一緒に居るのだから、察しがある程度、ついちゃうのでしょう。
「何かありますなら聞きやすぜ?」
「……実は」
わたしは最近の悩みを打ち明けます。
よく眠れてないこと。
共同生活に、馴染めていないこと。
「……わたし、ダメな子です。愛しい人と一緒に暮らせる幸福な時間の中にいるのに、一人で居たいって、思うなんて」
すると贄川さんは、「あっはっは」と楽しそうに笑います。
「……笑い事じゃありませんっ」
「いや、失礼。別に馬鹿にしたんじゃあないです。あっしは、嬉しかったんです」
「……うれしい?」
贄川さんは運転を続けながら言います。
「お嬢、立派に成長してるなって」
「……どこがですか?」
「少し前は、お嬢はずっと一人でいることに、慣れきってやした。自分は世界で一人きりで、そんなふうにずっと死ぬまで生きていくんだって」
確かにそうだった。
わたしの世界には、わたししかいなかった。
それでいいと思ってた。
でも……そこ変化が訪れた。
勇太さん。
勇太さんの作る小説。
そして……そこに新たに、勇太さんの女達が、加わった。
「お嬢は、自分で気づいてないだけで、変わろうとしてるんです。今その途中だから、辛いだけですぜ。慣れればすぐ、もっともっと、楽しくなりますよ」
「……そう、でしょうか。一人の方が気楽です」
「そりゃあ誰だってそうでさぁ。たとえ家族が相手だろうと、複数人で住めば、ストレスを感じることがあります」
「……家族でも? 愛してる相手でも?」
「家族でも愛してる相手でも、ですぜ。そんなの普通です。一人の方が気楽に決まってまさぁ」
……そうか。
これは、わたしだけの話じゃなかったんだ。
「でもねお嬢。ずっと一人きりじゃあいけませんよ。人は一人では生きてけないんですから」
「…………」
確かにそうだ。
昔、一人だった時期も、贄川さんにサポートしてもらったから、生活が出来たんだ。
「お嬢、あっしは嬉しいです。お嬢に好きな人が出来て、友達が出来て、一緒に暮らしてる。今まで一人で、音楽の中に逃げていたあなたが、現実で戦おうとしている。それがあっしは、嬉しい」
音楽の中に逃げてる……。
そうかも知れません。
辛いとき、苦しいとき、わたしはいつも歌うことで気を紛らわせていました。
それは……贄川さんが言うとおり、現実からの逃避行為なのかもしれません。
「現実に立ち向かうあなたを、あっしは全力で応援しやすぜ!」
「……でも、挫けそうです。みんなとも、仲良く出来ないし……」
ふむ、と贄川さんが何かを考える。
「それじゃ、とりあえず、今興味ある人に、【何やってるの】って、聞いてみるところから始めるのはどうでしょう?」
「何やってるのって……話しかけるだけ?」
「それだけです。人って結構、自分のやってることに、興味を持ってもらえるのが嬉しいもんです」
きっ……と車が止まります。
贄川さんが扉を開ける。
「それじゃお嬢。明日もお迎えにあがりますので。おやすみなさい」
「……はい、おやすみなさい」
贄川さんはそういって、車を走らせていきます。
一人になったわたしは、家を見上げる。
……今日は、わたしも収録で遅くなってしまいました。
多分もう、皆さん眠っていることでしょう。
……ひとりを、除いて。
「…………よしっ」
わたしは気合いを入れて、家の中に入ります。
そして……彼女の部屋へと向かう。
『おういえーい! びくとりー! ふー!』
みさやまさんが、パソコンの前で興奮していました。
深夜だというのに、今日もゲームを……えーぺっくすとか言う銃を撃つゲームを、やってます。
『がはははは! こうちゃんつよつよ~。えぺ界の神と呼んでくれてもよくってよー!』
「あの……」
「うぉおお!」
こてん、とみさやまさんが、椅子から転げ落ちます。
「あたた……」
「……だ、大丈夫ですか?」
「もーまんたい」
みさやまさんの手を掴んで、抱き起こします。
「…………」
「なんぞ?」
わたしは、変わるんだ。
そうだ、いつまでも、音楽の中で、逃げてばかりじゃ……だめなんだ。
「……あ、あのっ。なに、やってるんです、かっ!」
……言えた。
贄川さん、わたし、言えました。
ああ、でも……急にこんなこと言って……。
『えーぺっくすだよ!』
みさやまさんは目を輝かせて、わたしに顔をずいっと近づけます。
『え、なに? 姐さんもしかして、えぺに興味ありけり?』
ろ、ロシア語で早口で、何言ってるのかわかりません。
で、でもとりあえず……うなずいときます。
『そっかー! 興味ありですかー! よーしじゃあ、一緒にやろっ!』
みさやまさんはゴミ山のなかから、1つのゲームコントローラーを取り出して、わたしに向けます。
「……え、っと?」
「れっつ、ぷれい!」
……わたしにも、わかる言葉でした。
一緒に遊ぼうって。
「……あ」
ぽろ……とわたしの目から、涙が頃ぼれ落ちそうになった。
嬉しかった。
こんなふうに、同世代の女の子と、ゲームする事なんて、はじめてだから……。
『さぁ姐さん! 戦場へ参ろう! なに案ずるな。こうちゃんが一流のゲーマーに、育てあげてあげるからね!』
相変わらず、何を言ってるのかさっぱりでした。
でも……前より、【通じた】感は、ありました。
「……よろしく、お願いします」
『よーし! 朝までぶっ通しでゲームやるぞぉ! え、今日は月曜日ですって? うるせえ! ゲームやりてえからやるんだよ!』




