66話 幼馴染み、自分家にアイドル声優がやってくる
上松 勇太が、母方の実家へ帰省している、一方その頃。
彼の幼馴染みの大桑 みちるは、スーパーから帰る途中だった。
「はぁ……あっつ……ダルい……」
8月中旬。
時刻はまもなく18時にさしかかろうとしていた。
まだまだ周囲は明るい。西日はみちるの首筋をじりじりと焼く。
「勇太……今頃どうしてるかしら……」
帰省することは知っていた。
彼は、みちるが1人になることを懸念していた。
別に大丈夫だとそのときはいったが……。
「……勇太、早く帰ってこないかな」
元来みちるはとてもさみしがり屋だった。
さて、そんな風に家路につこうとした……そのときだ。
「あ、やっほー! みちるちゃん!」
「げっ……駒ヶ根 由梨恵……」
黒髪の清楚可憐な美少女が、路上にひとり立っていたのだ。
さらさらな髪の毛も、真っ白な肌も、抜群のプロポーションも……。
みちるにとっては妬みの対象だった。
もっともみちるもまた、由梨恵とは別種の美少女ではある。
背は低いものの、童顔で、整った顔つき、そして何より身長にそぐわぬ大きな胸は、男性を虜にしてやまないだろう。
それでも……ひがんでしまうのは、相手が超人気のアイドル声優だからだろう。
あまりお近づきになりたくないのだが……由梨恵はニコニコと無警戒な笑顔を浮かべて近づいてくる。
「ひさしぶり! 夏コミ以来だね! みちるちゃん!」
「そ、そうね……」
至近距離にまでやってくる由梨恵。
パーソナルスペースのなんと狭いことだろうか。
……近づくほどに、由梨恵の凄まじい美貌に嫌でも気づかされる。
顔が小さいのに、眼は大きい。
各パーツは芸術品なまでに整っている。
これで演技力もあって、声質もいいのだ。
若手ナンバーワン声優なのもうなずける。
……ああ、羨ましいとみちるは内心で黒い思いを抱く。
「あんた、こんなとこで何してるの?」
彼女は人気声優だ、この辺をうろちょろして良い存在ではないはずだ。
「仕事が予想以上に早く終わっちゃって。勇太くんに会いたいなーって思って! やってきちゃったの!」
ああ、とみちるは合点が付いた。
「勇太、お母さんの実家に帰ってるわよ」
「あー……やっぱりそうなんだぁー……」
ようするに勇太に会いに来たのに、不在していて途方に暮れていたみたいだ。
「タイミングが悪かったわね。明日には帰って来るみたいだから、出直せば」
「そうだね! 教えてくれてありがとう!」
由梨恵はみちるの手を掴んで、ぶんぶんと手を振る。
(て、手!? こ、こいつ……ナチュラルに手をつないできたわ。こういうところか……男が惚れるところは……)
ぐぬぬ、とみちるは歯がみする。
自然なボディタッチ、みちるができないことであった。
由梨恵は自分にないものをたくさん持っていた。
美しい見た目も、素直で可愛い中身も、何もかも……。
(……苦手だわ)
「じゃ、アタシはこれで」
「うん! またね!」
みちるはため息をつきながら、勇太の家のすぐ近くにある、自分の家の玄関までたどり着く。
「えっと……鍵、鍵は……あ、あれ? ないわね……」
「みちるちゃーん!」
ととと、と由梨恵が小走りでこちらに欠けてくる。
「鍵! 落としてたよー!」
由梨恵の手には自宅の鍵が握られていた。
どうやら彼女と立ち話しているときに落としたのだろう。
「あ、ありがと……」
「いえいえ、みちるちゃんが困らなくってよかったよ!」
(こいつほんと性格まで良いとか……はぁ、神さまは不公平だわ、本当に)
みちるは由梨恵から鍵を受け取る。
そして同時に、ここでハイさようならと
追いかえすことはできないなと思った。
鍵を拾ってもらったのだ、お礼をしなければ心が痛む。
「上がってきなさいよ。暑かったでしょ。麦茶くらいだすわ」
「いいのっ? わーい! 助かったぁ~……」
「助かった?」
何を言ってるのだろうか?
まあいいやと思って、みちるは由梨恵を自分の家に上げるのだった。
★
「は? サイフとスマホ置いてきたって……?」
みちるの家のリビングにて。
冷房が良く効いているなか、テーブルを挟んで彼女たちは座っている。
「そー、ここまでタクシーで来て、支払いして、そのままカバンを車内に置いてきちゃってさー。どうしようかなーって」
あはは、と由梨恵が困ったように笑う。
「いやどうしようかなって……タクシー会社に電話しなさいよ」
「! その手があったか! みちるちゃん凄い!」
(こいつ天然か? くそ……さらに好かれる要素じゃないのよっ。なんなのよもー! 神さま属性を盛りすぎじゃない!?)
はぁ、とみちるは大きくため息をつく。
「どこからタクシー乗ってきたの?」
「仕事現場から!」
「……だからそれがどこかって聞いてるのよっ!」
「わかんない!」
ずるっ、とみちるがずっこける。
「……スタジオの名前教えて。調べるから」
スマホで検索した結果、都内のスタジオであることが判明。
近辺のタクシー会社に連絡を取る。
「タクシーまだ帰ってきてないってさ。夜くらいには折り返し連絡来るって」
「ふぇー」
「なによ、気の抜けた声だして……」
「みちるちゃん……すごいなーって思って!」
「は……?」
何言ってるんだこいつ、とみちるは首をかしげる。
「だって手際よく色々やってくれたじゃない! すごいよ!」
嫌味か、と思ったがどうやらそうでないらしい。
彼女の笑顔には、裏表がまるでないのだ。
……その澄み切った黒い瞳が、眩しくってしょうがなかった。
「べ、別に……。それよりあんた家に連絡した方がいいんじゃない。……家族とか、心配してるわよ」
「あ、そっか! そうだよね……! 電話借りてもいい?」
首肯すると、由梨恵に電話の子機を手渡す。
しばし由梨恵は子機をいじくりまわし、なかなか連絡を取ろうとしない。
「何してるのあんた?」
「みちるちゃん……これ、なに?」
「は? 電話だけど」
「え、電話ってスマホのことでしょ?」
きょとんとした表情で由梨恵が言う。
こいつ……電話=携帯電話だと思ってるらしい。
「そーいや、最近じゃ家電ひかないとこも多いって聞くわね……。貸してほら」
みちるは電話の子機を受け取る。
「番号言って。アタシがかけるから」
「ほんとっ! ありがとー!」
……何かするたびにありがとうと、由梨恵は言う。
それは別に誰かに媚びを売ろうと思ってやっているようには感じられない。
純粋に、何かをしてもらって、心から感謝しているように感じた。
その純粋さが……羨ましかった。
自分にないものばかりを、この子は持っている。
「番号番号……お兄ちゃんの電話番号ならわかるわ! えっとねぜろきゅーぜろの……【頭隠して尻隠さず】!」
「あた……? ちょ、何よそれ。語呂合わせ?」
「そうそう! 番号で言うとねー」
みちるは教えてもらった番号を入力する。
「ぷっ……なるほど、確かにこれは【頭隠して尻隠さず】ね」
「でしょー! ね、覚えやすい!」
知らずみちるは微笑んでしまっていた。
由梨恵は子機を持って兄と会話している。
「うん! お兄ちゃん……バッグ置いてきちゃって。うん、迎えに来て! うん……ありがと! うん! じゃあ待ってるから!」
……その様子をみちるはまた、遠くから羨ましそうに見ていた。
ややあって、電話を終える。
「お兄ちゃん2時間くらいで来るって!」
「あらそ、良かったわね、とりあえず帰れるみたいでさ」
「うん! みちるちゃんのおかげだよっ! ありがとー!」
……由梨恵がキラキラ輝いて見える。
明るく、ちょっと天然で……可愛い見た目。
けれど自分の美しさをひけらかすことはなく……誰にでも優しい。
……ラブコメマンガの、まさに王道ヒロインとも言える彼女が……妬ましくて仕方ない。
でも……じゃあなぜ自分は彼女を追い出さないのだろう。
どうして、お節介を焼いてしまうのだろうか?
2人はリビングへと帰ってきた。
ふと、みちるは気づく。
「そういえばあんた……いつから勇太の家の前にいたの?」
みちるが買い物に行ったのは、16時くらい。
そこから商店街をぶらついて、買い物から帰ってきたのが18時。
家を出たときには由梨恵はいなかった。
仕事終わりだから……17時半くらいだろうか、彼の家の前に付いたのは。
「15時!」
「ブッ……!? は、はぁ? あんた16時にはいなかったじゃない?」
「近くに可愛い猫ちゃんがいて……追い掛けてた!」
「小学生なのあんたっ! てゆーか……3時間もこの炎天下の中にいたわけ!?」
よく見れば由梨恵は大粒の汗をかいている。
シャツも汗でぐっしょりと濡れていた。
みちるが出した麦茶のグラスは、既にカラになっている。
……それだけのどが渇いてたのか。
「どうしてそれ先に言わないのよ!」
「え? 別に聞かれてなかったし……」
「ああもう! 天然すぎんのよ!」
みちるは台所へ行って、スポーツ飲料を取り出す。
戻ってきて由梨恵にペットボトルを渡す。
「はいこれ! ポカリ飲んどきなさい! あとこれ塩飴! 塩分補給!」
「う、うん……」
当惑する由梨恵をよそに、みちるは言う。
「お風呂わかしてくるからちょっと待ってなさい!」
「え、い、いや……さすがに悪いよ」
「いいから! そのままじゃ風邪ひくでしょばかっ」
みちるがそう言うと、由梨恵は目を丸くする。
だがニコっと満面の笑みを浮かべる。
「ありがと! みちるちゃんは……優しいね!」
「~~~~~~! べ、別に!」
そう言ってみちるはその場を後にして、風呂場へ向かう。
シャワーを出して湯船を洗いながら……ため息をつく。
「アタシ……何やってるんだろう。あの子のこと、嫌いなはずなのに……」
自分にない全てを持ち、勇太と仲良くするアイドル声優。
これで妬まない方がオカシイ相手だ。
ようするに恋のライバルのはずなのだ。彼女と自分は、同じ男を愛してるのだから……。
なのに……どうしてか彼女の世話を焼いている自分がいる。
「ほんと、何やってるんだか」




