65話 ホタルと彼女の秘めごと
母さんの実家の田舎町。
夜、僕らは山奥にある池までやってきていた。
目の前に広がるのは、光の花畑とでも言うような、見事な光景だった。
池の周り、水辺に無数のホタルが集まっている。
湖面には蛍の光と月明かりが反射して、ぼんやりと湖が輝いてるようだった。
「…………」
浴衣姿のアリッサが目の前の美しい景色に見とれている。
けれど蛍火を写す彼女の青い瞳も、負けず劣らずに綺麗だった。
吸い込まれそうな彼女の瞳を見ていると……つつぅー……とそこから涙がこぼれていることに気づく。
「あ、アリッサっ? どうしたの? 何か悲しいことでもあった?」
「……え? あ、ち、ちがい……ます。なんだか……感動してしまって……」
自分の手で涙を拭くアリッサに、僕はポケットからハンカチを取り出して渡す。
彼女はそれを受け取って涙を拭いた。
「……ユータさん。こんなにも素晴らしい場所を案内してくださり、ありがとうございます」
「気に入ってくれた?」
「……ええ、とっても」
彼女は笑顔で言う。そこ陰りはなかった。
「満足してくれてよかったよ。僕もここはお気に入りの場所だからね」
「……良く来たのですか?」
「うん。詩子やななおちゃんとも何度も来たし、小さい頃は家族みんなで来たかな」
懐かしい思い出だ。ふふっ。
「……羨ましいです」
ぽつりとアリッサが独りごちる。
やはり、彼女にとって家族の話は触れてはいけない事だったのだろう。
前の僕なら遠慮してただろう。
けど……今は。彼女と少なくない時間を過ごしてきた、今ならば……。
「ねえ、アリッサ。よければ……教えてくれない?」
「……ユータさん?」
虚を突かれたように、目を丸くする彼女に僕は言う。
「君が家族の話をするたびに、辛そうな顔をする理由をさ」
「…………」
彼女は目を泳がせる。
言うか言うまいか、迷っているように感じた。
僕は、言葉を待った。
促すことも、スルーすることもしなかった。
僕は知りたいんだ、彼女のことを……もっと。
やがて彼女は静かに言う。
「……わたし、家族から、凄く嫌われてるんです」
「嫌われてる?」
「……はい。特に……母から」
アリッサの家族関係は不明な点が多い。
いつに彼女の家にいっても、彼女の親兄弟に会ったためしがなかった。
お手伝いさんの贄川さんは、アリッサがまだ子供だったときから家の手伝いをしていた、といっていた。
……裏を返せば、それくらい昔から、彼女は家族に何らかの問題が生じていたと言うこと。
でも……親が死んでいたわけではなかったみたいで、ホッとしている。
「嫌われてるって……どういうこと?」
「……ユータさんは、【ホタカ・有明】ってご存じですか?」
「ホタカ・有明……? あ! 聞いたことあるよ。確か……引退した凄いアイドル歌手だって!」
ホタカ・有明。
僕は生で見たことないけど、父さんは直撃世代だって言ってた。
家にもブロマイドを見かけたことがある。
綺麗な金髪に青い瞳……そう、目の前のこの人と同じ色を備えている。
「アリッサ……そんな凄い歌手の娘だったんだね。すごいなぁ」
「…………」
彼女は困った顔をしていた。
嬉しいような、悲しいような……そんな顔だった。
でも、お母さんが凄いアイドルだったことと、アリッサとどう関係あるのだろう。
「……母の引退した理由をご存じでしょうか?」
「え……? そこまでは……」
「……ノドを、痛めてしまったんです」
歌手にとってノドは命より大事なのだと、アリッサは言う。
そりゃそうだ。小説家だって両手がなければ文字が打てないもの。
「……母は、ノドを痛め引退を余儀なくされました。でも、彼女はもっと歌いたかったんです。母はいつも言ってました、この世界の頂点に立ちたかったと……」
悲痛な表情のアリッサを見て、ここからが、彼女の触れてはいけない部分であることが容易に想像できた。
「……わたしは、その夢を……」
そのとき、ポロポロ……と彼女が涙を流す。
「……わたし、ごめ……お母さん……上手に歌えなくて……ごめんなさい……ぶたないで……いや……」
辛そうな表情で涙を流す彼女……
僕は……彼女の体を、正面から抱きしめる。
「ごめん、アリッサ。辛かったよね」
「……ユータさん」
彼女の柔らかな体を抱く。
細く、儚く……脆い。
僕はそんな彼女をほうっておけなかった。
アリッサは僕の体を抱き返してくる。
僕を離すまいと、強く強く抱きしめる。
彼女の髪の毛を僕はなでる。
やがて、彼女の体の震えが止まった。
「落ち着いた?」
「……はい。ありがとうございます」
アリッサは顔を離す。
涙で目元が腫れぼったくなっていた。
「それ以上は、無理には聞かないよ。でも……ありがとう。辛い過去を打ち明けてくれて」
心の傷を全てさらけ出したわけじゃないけど、その一旦でも、口にするのはとても勇気と覚悟とがいるものだったろう。
「アリッサにどんな過去があったのか、わからない。けど……これだけは言えるよ」
僕は彼女に笑いかける。
泣いてる彼女が、少しでも笑ってくれるように。
「僕は……君の側に居るよ」
アリッサは過去に何かがあって、母と離れて暮らすことを余儀なくされているのだろう。
彼女がいつも寂しげなのは、母親のぬくもりが遥か遠くにあるからだ。
なら……僕は彼女の近くに居てあげたい。
「……ユータさん。ユータさぁん……」
ぐすぐす、と彼女が鼻を鳴らす。
僕は彼女の体を抱きしめる。
「……嬉しいです。わたし……とっても……」
「そっか。よかった」
「……どこにも、いかないで?」
「うん、どこにもいかないよ」
「……ずっと側に居て?」
「うん、いるよちゃんと」
泣きじゃくる彼女はまるで幼い子供のようだった。
そうとう昔から、彼女は我慢していたのだろう。誰かに甘えることを。
「……ユータさん」
「ん? なぁに?」
アリッサが僕を見てくる。
涙で濡れた青い瞳に、黄金の月が反射して……キラキラ輝いてとても綺麗だった。
「……んっ」
彼女は目を閉じて、僕の唇に、自分の唇を重ねる。
僕は……拒まなかった。彼女の気が少しでも、休まってくれるなら……。
やがて、彼女は顔を離す。
「……好きです。大好き……です♡ これからも……ずっとずっと」
★
後日、僕は贄川さんと一緒に、長野県のさらに山奥へとやってきていた。
毎年夏になると、この山奥で、野外での合同ライブが執り行われるらしい。夏フェスとか言うんだってさ。
何もない山に中に特設ステージが設けられて、そこで歌手達があちこちで歌っている。
その日は……あいにくの悪天候だった。
けれどライブ会場は満席だ。
なぜなら……アリッサ・洗馬が、新曲を歌うと事前に告知していたからだ。
『ーーーーーーー』
雨に濡れた彼女が歌っている。
その歌を聴いて、たくさんの人たちが感動していた。
贄川さんも泣いていた。
僕は……雨の中儚くも力強く歌う、歌姫の姿に見惚れてしまっていた。
悪天候だろうと関係なく、人の心を虜にする彼女は……。
やはり、凄い人なんだと、改めて思った。
けれど同時に、僕は知ってしまった。
彼女は大きな心の闇を抱えて、孤独に感じていたことを。
どんな状態であっても……聞いてる人の心を熱くさせるような歌を歌う彼女を……僕はとても愛おしく思う。
「……がんばれ、アリッサ」
大雨に負けじと歌う彼女に、最大限の敬意とエールを……僕は送るのだった。




