64話 ホタルを見に行こう
川釣りを終えたその日の夜。
夕飯を取った後、【彼女】が来るのを、縁側でのんびり待っていた。
「勇太ぁ!」
にゅっ、とじいちゃんが後ろから顔を出してきた。
「うわっ。じいちゃん、びっくりしたー。どうしたの?」
「んふふ~♡ 大好きな勇太とおしゃべりするのに理由などいるかのぅ?」
じいちゃんが僕を後ろからぎゅーっと抱きしめてくる。
骨張っているけど筋肉質な体。
そしてどこか粘土の匂いが鼻腔をついた。
「小遣やろう」
「大丈夫だよ」
「1000万くらいでいいか?」
「いや大丈夫だからッ!」
じいちゃんは凄い陶芸家らしく、もの凄いお金を持っているのだ。
だから冗談じゃなく、マジで1000万持ってるような気がする。
若者が持つような長財布から、もの凄い分厚い札束を取り出していたし……。
「まあそうだな、勇太は1000万くらい自分で稼ぐものな! さすが勇太! わが上松家の宝じゃな!」
じいちゃんが僕の頭をわしゃわしゃとなでる。
久々にこうしてわしゃってされると懐かしいし、心地よさを覚える。
「8月下旬と9月頭にも新刊がでるのじゃろう?」
「うん。僕心2巻と、新作のラブコメがそれぞれね」
「もうアマゾンで予約したぞ。1,000冊くらいな!」
「買いすぎだって……もうっ」
じいちゃんは布教用に毎回凄い数の本を買って、近所中に配っているんだってさ。
「僕心は面白かったのぅ。2巻が楽しみじゃわい」
「ラブコメも頑張って書いたからよんで欲しいなぁ」
「もちろん! 勇太が書いたものならたとえお経だって読むぞ!」
いやお経って……。そんなの書かないよ?
「ただまぁ……あの庄司が立ち上げた出版社から出すと考えるとなぁ」
庄司とは父さんのことだ。
じいちゃんは義理の息子である父さんを大層毛嫌いしている。
「父さん凄い頑張ってるよ。夏休みも毎日遅くまで仕事して帰ってくるし」
「ふんっ。頑張ってもらわねば困るわい。大事な雪と、超大事な詩子と勇太を養わねばならぬのだからなっ」
ぎゅーっ、とじいちゃんが僕を抱きしめる。
「父親の会社が倒産したらいつでもこの家に帰ってきて良いんじゃぞ? 部屋を用意しておくからなっ」
「いやいや、大丈夫だって。父さん、今回凄い気合い入れて本作ってくれてるし。上手く行くよ」
「勇太が本を出すんじゃから、超ウルトラ大ヒット間違い無しじゃしな! わはは!」
と、そんな風に話していたそのときだ。
「ゆーちゃーん♡ アリッサちゃんのお着替え終わりましたよ~♡」
母さんがニコニコしながら僕らの下へやってくる。
「おお雪ぅ。なにをしてたんじゃ?」
「ゆーちゃんの可愛いガールフレンドの、お着替えを手伝ってたんですよパパ♡」
しかし当の本人は居ない。
母さんの後ろから、ちらちらと青い瞳が見え隠れしていた。
「ほらアリッサちゃん。大好きなゆーちゃんにおめかしした姿、見せたくないのですか?」
「…………」
おずおず、とアリッサが母さんの影から出てくる。
「わぁ……!」「おお! えらいべっぴんさんじゃなぁ!」
浴衣姿の金髪美少女がそこにはいた。
長い髪をアップにして、空色の浴衣を着ている。
和装なんて珍しい。
いつもドレスとか、そういう大人っぽい格好が多かったから。
いやでも……似合う。白いうなじや、帯のせいで強調されているおっぱいとかに……思わず眼がいってしまう。
「……どう、ですか?」
おずおずとアリッサが問うてくる。
「とっても似合うよ」
「……ありがとうございます♡ ふふっ、やりましたっ、お母様」
満面の笑みを浮かべるアリッサに対して、母さんもまた微笑む。
「よく似合ってるわ♡ さすがゆーちゃんのお嫁さん候補」
「おお! 勇太の嫁は本当に美人じゃなぁ!」
「うんうん、全くもってその通りですねお義父さん!」
軒下からカメラを持った父さんが出てくる。
「アニソン界の超有名人アリッサたんの浴衣姿! これは激レアですよぉ! ひゃっはー!」
はぁ……と母さんとじいちゃんがため息をつく。
「あなたわかってると思ってますけどSNSに投稿しないでくださいね」
「わかってるってば」
「庄司。貴様勇太とその嫁に迷惑をかけたらどうなるかわかってるな?」
「わ、わかってますよ……お義父さん」
「貴様にお義父さんと言われる筋合いはない!」
「は、はい! パパ!」
「パパって言うなぁ……!」
じいちゃんが父さんに組み付いて関節技をきめる。
「さぁゆーちゃん。2人で行ってらっしゃいな♡ しっかりお嫁さんをエスコートしてあげるんですよ~」
「……お、お嫁さんなんて……そんなぁ」
いやんいやん、とアリッサが身じろぐ。
「勇太たちはどこへ行くのじゃ?」
じいちゃんが父さんに逆海老反りを食らわせながら言う。
「ホタル見にいこうかなって」
ここからほど遠くない森の中で、ホタルを見れるスポットがあるのだ。
「おお、いいなぁ! わしも若い頃はあそこでばあさんとデートしたものよ」
しみじみとした表情でじいちゃんがうなずく。
「でもホタルの池まで少し距離あるけど大丈夫かい? ぼくが近くまで送っていこうか?」
「まぁ……あなたってば父親みたいなムーブしちゃってどうしたの?」
「いや父親ですけど!?」
やれやれ、とじいちゃんが首を振る。
「庄司は情緒ってもんがわかっとらんな。夜道を2人で歩くからこそよいのではないか」
そんなわけで、僕はアリッサを連れてホタルを見に行くことになった。
★
僕らは夜道を歩く。
「……虫の音が凄いですね。大合唱です」
たんぼ道をスマホライトを頼りに歩いて行く。
田舎の夜は都会と比べて静か……ではない。
むしろ都会よりも虫たちの音が耳に障るのだ。
「暗いけど平気? やっぱり父さんに送ってもらった方が良かったかな」
「……いいえ。だって、こうして手をつないでいられますもの♡」
つまづかないようにと、僕は家を出てから、アリッサと手をつないでいる。
白くて小さくて……ふにふにした手、女の子の手をしている。
「あの……指を絡めなくてもよいのでは?」
「……気分です♡ 恋人ツナギ……ふふっ♡」
僕らがいるのは開けたたんぼ道。
少し顔を上げると星が綺麗に見える。
「……東京と違って、空が美しいですね」
頭上には満天の星が広がっている。
ここへ帰ってくるたび、プラネタリウムでしか見られないような見事な星々の輝きに驚かされる物だ。
「向こうより空気が澄んでるからね」
「……老後こちらで暮らすのもいいかもですね。静かだし、空気は綺麗だし、水も美味しいし」
「老後って……気が早すぎない?」
「……そうでしょうか? ふふっ。楽しみです……1姫100太郎」
「そんなに産むの!? 大家族ってレベルじゃないよ!」
「……冗談です♡」
「あ、うん……ですよね」
そんな風に冗談を言い合いながら森の入り口までやってきた。
「……こういうところって私有地では?」
「大丈夫、じいちゃんの山だからここ」
「……まぁ。さすが勇太さんのお爺さま、お金持ちですね」
「いいや金持ちとかじゃなくて、この辺の人たち普通に山持ってるよ?」
「……田舎って凄いんですね」
眼をまん丸にするアリッサがなんだかおかしかった。
僕らは山道を歩いて行く。
「……こんなに暗いのに目的地がわかるのですか?」
「まあ何度もここ来たからね。詩子やななおちゃんたちと」
「……なるほど。楽しい夏休みですね」
どこか寂しそうにアリッサが言う。
あんまり夏休みって楽しい思い出ないのだろうか。
「安心して。これから良いとこ連れてってあげるから。ほら、もうすぐ着くよ」
黒々とした森の木々を抜けると……突如として視界が開ける。
「わぁ……!」
目に飛び込んできたのは……水面に浮かぶ無数のホタルの光だった。




