37話 陽キャくそ野郎は泣きながら謝罪する
上松 勇太が、陽キャ野郎こと中津川の顔面を殴った。
その日の夜。
中津川家、父の書斎にて。
「お、親父……いったいどういうことなんだよ……?」
中津川は父親からボコボコに殴られたのだ。
突然のことに困惑する彼は、こうなった理由の説明を父に求める。
「……貴様、デジマスという作品の作者を知ってるな?」
「も、もちろん……カミマツって作家だろ?」
「そのカミマツが編集を通してこう主張してきたのだ。【デジマス、および僕心の出版を取りやめたい】とな」
デジマスはいわずもしれた大ヒット作品。映画版は500億を稼いだ化け物コンテンツ。
僕心は販売前に重版、アニメ化が決定している、第二のデジマスと言えるこちらもビッグ作品だ。
その出版を取りやめるとはすなわち、莫大な損害を、父の出版社が被るということ。
「そ、それとおれが殴られることと、何が関係あるんだよ……?」
怒り心頭の父を見上げながら、中津川が半泣きで言う。
「……カミマツは、出版取りやめの理由をこう語っている。【僕の幼馴染みは、社長の息子にレイプされかけた。そんな酷いことをする人の親の会社で、仕事をしたくない】とな」
……どこかで聞いたような話題だ。
まさか、と脳裏にとある人物の姿が浮かぶ。
「ま、まさか……カミマツって……まさか……」
「そうだ! 貴様のクラスメイト……上松 勇太のことだ!」
頭をハンマーで殴られたような衝撃を、中津川は覚える。
「そんな……あんな、冴えない陰キャ野郎が……神作家だと……?」
自分よりも劣っていると、見下していた相手が、実はとてつもなく凄い人物だった。
その事実は中津川に強烈な劣等感を抱かせる。
あの場において、自分は社長の息子であると主張してマウントを取った。
自分の方が社会的地位が上であると。
……だが、上松勇太のほうが、中津川より地位は上だったのだ。
恥ずかしさと悔しさで、頭がおかしくなりそうだった。
「どうしてくれるのだ、このバカめ!」
父は拳を強く握りしめて、中津川の整った顔面を殴りつける。
「デジマスは! もう二期も決まっていたのだぞ! 僕心もアニメ化が決まっていた! 販売前重版までしていた! 金の卵を産むガチョウだったのだ! それを、貴様のせいで、この! この! バカ息子めぇ……!!」
「ご、ごべ……ごべん……なざい……」
顔を痣だらけにしながら、中津川は涙を流しながら謝る。
「貴様がわしに謝ってももう遅い! カミマツは……もう出版社を出て行くと言ったのだ!」
「なっ!? 出版社を……移籍するってことか……?」
「そうだ! カミマツの父である副編集長と、担当編集者の佐久平はともに会社に辞表を出してきた。独自に出版社を立ち上げ、そこで僕心と、デジマスを出すと言ってきている」
デジマスはともかく、僕心はまだ出版契約を結ぶ前だったのだ。
ゆえに移籍自体は容易にできる。(すでに書店に配られた分の本は回収となるが)
一方でデジマスの出版権は、中津川父の経営する出版社に属している。
それも、契約期間が切れれば、別の会社での出版が可能だ。
「辞表が提出され、カミマツの移籍と、その原因の所在が既に【上】に知られてしまった……早晩、わしは呼び出され、クビになるだろう……」
「く、クビ!? じゃあ……え? じゃあ……おれは……もう……」
大企業の社長でも何でもなくなる。
自分のアイデンティティである、社長令息という立場を……金を……地位を……失う。
「い、いやだ! お、お、親父! なんとかしてくれよ! なんとかしてくれよぉおおお! 金の力でさぁああああ!」
中津川は赤子のように泣きじゃくりながら、父の足にすがりつく。
だが父はまるでゴキブリを見るような目で息子を見下ろす。
「誰のせいだと思ってるのだこのバカ息子めぇ!」
思い切り中津川の鼻を蹴り上げる。
鼻の骨が折れて、どくどくと血が垂れる。
「貴様の愚かな行為が、どれだけ迷惑をかけたのかわかっているのか!? それでその態度……もう我慢ならん!」
父は中津川をにらみつけて言う。
「貴様を勘当する! この家から出て行けぇ!」
一瞬……頭の中が真っ白になった。
勘当、つまり、親子の縁を切ると言うこと。
社長令息でなくなっただけでなく……金持ちの父すらも……失うということ。
「い、嫌だァ! 嫌だぁああああああああああああああああ!」
中津川はさらに泣き叫びながら父の足にすがりつく。
「もう決定事項だ! さっさと出て行けこのバカめが!」
「いやだぁあああああ! うがぁああああああああああ!」
★
その日の深夜。
中津川は、上松家を訪れていた。
「なんのよう?」
玄関先に出てきたのは上松勇太だ。
パジャマ姿の彼の前に、中津川は跪く。
「あげまつぅ~……ごめんよぉ~……」
泣き疲れた中津川が、深々と頭を下げてきた。
「おれが悪かった……だから……だから出版取りやめは、やめてくれよぉ~……」
家を勘当された中津川にとって、残された最後の手段。
それは勇太に謝罪し、出版取りやめを、撤回してもらうこと。
父が怒っているのは、カミマツが抜けることで会社をクビになることだ。
ならばカミマツが戻れば全て元通りになる。
……愚かにも、彼はそう思っていたのだ。
「はぁ~………………」
深々と、勇太はため息をついた。
「何にもわかってないんだね」
「え……?」
勇太は怒りを通り越して……哀れみの目を彼に向ける。
「ねえ、君はどうして僕に頭を下げてるの?」
「え……? それは……」
「僕に戻ってきて欲しいから? 僕が戻れば全て丸く収まるから?」
その通りだった。
勇太に内心を見抜かれていたのだ。
「……みちるに悪いことをしたって、君は思わないの」
「え……?」
全く思っていなかった。
それは、勇太にも伝わってしまったのだろう。
「ねえ、今回一番傷付いたのは誰? みちるでしょ」
勇太は自分の家の2階を見上げる。
「知ってる? みちるってお母さんが、いないんだ」
「え……?」
突然のことに困惑する中津川。
一方で勇太は淡々と続ける。
「みちるを産んでお母さん死んじゃったんだよ。お父さんは出張が多くてさ、いつも彼女はひとりぼっちでさみしそうでさ……そんな彼女のさみしさを紛らわせたくて、僕は小さなころから、物語を、彼女に言ってきかせてたんだ」
上松勇太の源流は、そこにある。
彼女を少しでも楽しい気持ちにさせるようにと、小さな頃から、面白い話を考えて聞かせていた。
金のためじゃなく、ただ、純粋に人に喜んでもらいたいから。
小さな頃からそうやって、物語を作ってきたからこそ……彼の創作力は身についていったのである。
「何がいいたいのかって顔だね。僕にとって彼女は大事な幼馴染みってことさ。……そのみちるの心を君は傷つけた」
ぎゅっ、と勇太は拳を握りしめてハッキリ言う。
「そんな君を僕は許せない! 絶対に……絶対にだ!」
勇太は完全に怒り心頭だった。
「す、すまねえ……! 謝る! 謝るよぉ! だから戻ってきてくれよぉ~……」
「この期に及んで君は……みちるへの罪の意識が芽生えないんだね。どうしようもないな……君は……」
彼の目には、侮蔑と失望の色が見えた。
「なぁ! たのむよぉ~……ごめんよぉ~……」
「……だから謝るのは、僕にじゃない。彼女にだよ」
勇太が振り返ると、みちるが立っていた。
彼女は学校から戻ってきたあと、勇太の家で厄介になっていたのだ。
「最後のチャンスだ。心から、彼女に謝れ。そうすれば移籍は取り消してやる」
勇太は中津川を見下ろす。
「僕が移籍すれば、たくさんの人に迷惑をかける。できることなら、それはしたくない」
デジマスや僕心が出版停止になることで、御嶽山監督、編集、声優や歌手、イラストレーター……。
様々な人に迷惑をかけることになる。
ただ、勇太は中津川に言わなかったが……。
実はもう、彼女たちには、事前に話はしている。
事情を説明したところ、クリエイターたちは快く了承してくれたのだ。
自分の利益ではなく、作品に携わっていたいからと、彼の移籍を許してくれた。
……とは言え、迷惑をかけることには相違ない。
ゆえに勇太は、最後の提案を中津川にしたのである。
「うぐ……ぐす……うぅぐぅ……」
ふらふらと中津川は立ち上がると、みちるの前に跪く。
びくんっ! とみちるは怯えたように体をこわばらせた。
彼に襲われた恐怖が脳裏をよぎったのだろう。
だが勇太は彼女に近づいて、その両肩に触れる。
「大丈夫。僕がついてるから」
「……………………ぅん」
みちるの体の震えは止まる。
そんななかで、中津川は深々と、頭を下げた。
「大桑……さん。大変……申し訳……ございませんでした……」
地面に頭をこすりつけながら、中津川は絞り出すように言う。
「ぼくの……愚かな行為で……あなたの……心に深い傷をつけてしまったこと……心からお詫び申し上げます」
中津川は一度顔を上げる。
彼のイケメン顔は、父に殴られ腫れ上がり、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
再度、彼は深く深く、土下座する。
「本当に……本当に……すみませんでしたぁ……」




