36話 陽キャくそ野郎の顔面に一発お見舞いする
僕が異変に気づいたのは、体育の授業後。
幼馴染みの大桑 みちるが、なかなか教室に帰ってこなかったのが気になったのだ。
体育館へとやってくると、みちるの悲鳴が聞こえた。
教員室へ急いで行き、鍵を借りて入ってきたら……彼女が同級生の中津川に襲われていたのだ。
「勇太……ゆうたぁ~……」
みちるは涙を流しながら、僕に駆け寄ってくる。
彼女は、震えていた。
「よぉ、上松。なんのようだよ」
高身長、イケメン、クラスでもリーダー的存在の陽キャ、中津川。
特段、今まで彼に対して、同級生以上の感情を抱いていなかった。
けれど……幼馴染みが、青い顔をして涙を流している。
知らず……声が怒りで震える。
「……なんのようだ、じゃないだろ。おまえ、みちるに何したかわかってるの?」
彼女を押し倒して、無理矢理犯そうとしていた。
未遂だったとは言え、彼女は心に深い傷を負ったことは明白だ。
気の強いみちるが、ここまで青ざめた顔をして、震えているんだから……。
「何をした? え、おれ、なにかしたかぁ~?」
腹の立つような声音で、中津川がとぼけたように言う。
「ふざけるな。みちるをレイプしようとしただろ?」
すると中津川は、こんなことを言う。
「は、ちげーし。そいつから誘ってきたんだぞ」
「みちるから……誘ってきた……?」
ニヤニヤと笑いながら、彼が言う。
「そーだよ。こいつよぉ、おれのことを呼び出して、誘惑してきたんだ」
中津川が近づいてくる。
こいつの方が身長が高いので、僕らを見下ろすような形だ。
「じゃあ、彼女の悲鳴はどう説明するんだよ」
「いざ本番ってなったら急に騒ぎ出してきてよ。きっとあれだぜ、美人局ってやつ。おれをハメて金取ろうとしたんじゃね?」
「……あくまで、とぼけるつもりなんだね。悪いのは自分じゃないと」
「とぼけるも何もぉ、おれは全く悪いことしてまっせ~ん」
彼が顔を近づけて、僕に憎たらしい笑みを浮かべる。
「それに、こいつをレイプしようとしたっていう、証拠あんのかよ? なぁ。最初から見てたのかおまえはよ」
確かに、僕が直接目にしたのは、押し倒されているみちると、組み敷こうとした中津川の姿だ。
そこに至る経緯の、一部始終を見ていたわけじゃない。
「いいや」
「だろぉ? 悪いのはてめえのクソ幼馴染みだぜ。善良な男子生徒をはめようとしたんだからよ」
僕は、背後のみちるを見やる。
彼女は震えていた。
……それで十分だった。
「中津川。確かに僕は、ここで起きたことを、一から十まで見ていたわけじゃない」
「だろぉ~? な、悪いのはこいつなんだよぉ」
ぎゅっ、とみちるが唇をかみしめる。
泣きそうな……しかし、どこか諦めたような表情になった。
「いいや、違うね」
「「へ?」」
驚くみちると、そして中津川。
僕は……拳を強く握りしめる。
中津川の顔面めがけて、思い切り拳をたたき込んだ。
「ぶべらぁ……!」
まさか、陰キャの僕が殴るとは思っていなかったのだろう。
中津川は僕のパンチをもろに食らう。
「悪いのはおまえだ、この陰湿クソ野郎!」
倒れ伏す中津川を見下ろしながら、僕は言う。
ドクドク……と血液が沸騰したような感覚になった。
じわりと僕の右手から、血が滲んでる。
それは中津川のものでもあり、僕の血でもあったが……痛みは不思議と感じなかった。
「勇太……どうして……?」
不安げに見上げるみちる。
「どうして……あたしを信じたの? だって……あんたを手ひどく振った女なのに……」
「上松ぅううううう!」
中津川は立ち上がると、僕の胸ぐらを掴む。
「てめえ! 何しやがる……!」
「何って……彼女をレイプしようとした暴漢を、殴っただけだよ」
「てめえはこのおれよりも、このクソ女を信じるってのかよ!?」
「もちろん。当然だろ?」
「なんでだよ!?」
僕はハッキリと答える。
「僕の幼馴染みが、どんな人間か知ってるからだよ」
みちるを見やる。
「彼女は好きと思い込んだら一直線になるような子さ……ちょっと一途過ぎるところが玉に瑕だけど。でも……嘘は絶対につかない」
彼女は攻撃的なところもあるし、短慮なところもある。
でも裏表は決してない。
自分の心にも、発言にも。
彼女はいつだって素直だ。
いい意味でも、悪い意味でも。
僕は知っている。
彼女の幼馴染みだから。
それを、よく知っている。
「僕はこの場で何が起きたのかは見てない。けど彼女が嘘をつかない子であることは、誰よりも近くで見てきた。僕が、よく知ってるんだ」
僕は中津川をにらみつける。
「君のような嘘つきな最低男と、僕の幼馴染みを、同じグループに入れるな!」
「く・そ陰キャがぁあああ!」
バキィ……! と中津川が僕を殴り飛ばす。
「勇太! よくも勇太を……この……!」
僕はみちるに左手を向けて、彼女を制する。
「中津川。彼女に謝れ」
「おれに命令するんじゃねえよカスが……!」
中津川がもう一度僕を殴ろうとする。
僕はポケットからスマホを取り出す。
「殴りたきゃ殴れよ。ただし、これを証拠として提出するからな」
「なっ……!? て、てめえ……ま、まさか……」
「そう。ここに入ってからの一部始終が、録音されてるよ。最近のスマホって、ボイスメモがあるから便利だよね」
中津川がたじろぐ。
そうだよな、おまえだって問題起こしたくないもんな。
「ただ残念なことに、僕が来る前のことまでは録音されてない。僕が君を殴って、君が僕を殴った。そこまでの記録しかない」
「じゃあ……!」
「でも君は間違いなくみちるに酷いことをした。謝れ。謝るなら……これを提出しないでやるよ」
中津川は顔を真っ赤にする。
「調子に……乗るなよ底辺の屑め!」
つばを飛ばしながら、中津川が言う。
「おれはなぁ! てめら屑とはちげえんだ、勝ち組なんだよ!」
「へえ……勝ち組。おまえなんてちょっと顔が良いだけの同級生じゃないか」
「うるせえ! 良いかよく聞けよ!」
にやり、と中津川が邪悪に嗤う。
「おれの親父はなぁ! あのデジマスをだしてる、超有名出版社の社長なんだぞぉ……!」
さも偉そうに、彼が語ってきたのは……あろうことか父親自慢だった。
「出版界で知らないものは居ないってレベルの大企業の社長令息なんだぜ! てめえらとは住む世界の違う人間なんだよ、おれはなぁ……!」
どうだまいったか、みたいな顔をしてくる。
けど……。
「ふーん。あっそ」
と、僕は軽く流す。
「な、なんだよその反応……」
「別に。そっか、きみデジマス出してる出版社の社長の息子なんだ。へえ……」
たぶん、父親を引き合いに出して、マウントを取ろうとしたんだろうね。
自分に手を出したら、背後にいる巨大な勢力が僕を潰すぞ……みたいな? 脅し?
……まったく、愚かなことだ。
「ちなみにさ、デジマスの作者って誰か知ってる?」
「はんっ! んなもん誰もでも知ってるよ。カミマツだろ?」
「そっか。ありがとう。知りたいことは知れたから」
中津川が困惑しているようだ。
だよね、けど、この場において事情を知らないの、君だけだよ。
「と、とにかく! おれは大企業の社長の息子なんだ。てめえらがいくらほざいたところで、社会的な信用度はおれのほうが上!」
ぺっ……! と吐き捨てるように、中津川が言う。
「そこの女がいくらわめこうと、そこの陰キャが庇おうと、レイプしようとした物的証拠がない以上、社会的地位の高いおれの言葉の方が信用されるんだよ!」
確かに、あの大きな企業の社長が父親となれば、社会的な信用度は高くなるだろう。
「え、でも君のお父さんが偉いだけで、君は別に偉くもなんともないよね?」
「~~~~~~~~!」
中津川が顔を真っ赤にして歯ぎしりする。
「う、うるせえ! 親父に頼めばて、てめえの父親なんてクビにできるぞぉ! 親がどこに勤めてようと、あの出版社のブランドは何かしらに関わってる! それくらい業界では名が通ってるんだ!」
「父親に頼ることしかできないんだ。可哀想だね君」
「う、うるせぇええええええええ!」
もう一発、中津川が殴ろうとしてくる。
けど向こうは怒り心頭で、こっちは冷静。
単純な攻撃を避ける事なんて、わけない。
「ぶべっ!」
勢い余って中津川が顔からコケる。
「別に。君のお父さんに頼めば良いよいくらでも。でもね……先に言っとくよ」
僕は中津川を見おろしながら言う。
「みちるに謝らない限り……僕は君を絶対に許さない。いいか、絶対だぞ」
「だから……おれに命令するんじゃねえ……!」
と、そのときだった。
「おいおまえら! 中で何やってるんだ!」
体育指導の先生が、騒ぎを聞きつけてやってきたのだ。
「く、くそ! おいどけ!」
彼は肩を怒らせながら、部屋から出て行く。
「中津川! 謝れ! でないと一生後悔するぞ」
「後悔するのはてめえの方だ! ばーーーーか!」
何が起きたのかと、先生が困惑している様子。
一方でみちるは僕の体に抱きついて、震えながら涙を流す。
「……勇太。ごめんね。痛かったよね」
……僕は、中津川を殴った自分の手よりも、幼馴染みが泣いてる姿を見てるの方が、痛かった。
「謝らないでみちる。謝るのは……あいつのほうだから」
★
上松 勇太に、中津川は手を上げた。
その日の夜。
自宅にて。
「この、バカ息子がぁあああああ!」
中津川は、自分の父親から、思い切り殴り飛ばされた。
「お、親父……?」
突然のことに、何が起きたのはさっぱり理解できない中津川。
一方父は怒りで顔を赤くしながら、息子を何度も殴る。
「馬鹿者が! 貴様! 誰に! 何をしたのか! わかってるのかぁ……!?」
「や、やめてくれよ親父ぃ~……」
なんでだ、なんで殴られる?
なぜ、父は怒ってるのだ……?
それに対して父親は、明快な答えを、無知なる息子に叩きつける。
「貴様は、よりにもよって我が社の大事な神作家を、傷つけたんだぞ……!」
……哀れ陽キャくそ野郎は、己の愚かさを、身をもって知ることになる。




