114話 白馬、協力者となる
オリエンテーションから1ヶ月が経過した。
6月のある日。
白馬と岡谷は大学構内にあるカフェテリアに居た。
オリエンテーション以降、白馬は岡谷と行動を共にしている。
今日の授業は終わっている。
今彼らは、もう一人の友達……一花が、授業を終えてくるのを待っていた。
「もう夏だね我が友よ」
「ああ」
カタカタ……。
「夏になったら三人で海に行くのはどうだい?」
「ああ」
カタカタ……。
「……君、何をしてるんだい?」
ふと白馬がスマホから顔を上げると、岡谷は何かをカタカタと打ち込んでいた。
テーブルの上には、黒い、長方形の板が置いてあった。
「ノートパソコン? ……にしては小さいが」
「これはポメラだ」
「ポメラ? 子犬かい?」
「まあ、小型のワープロみたいなもんだ」
横に長い、黒い折りたたみの板。
よく見るとキーボードと小さな画面がついていて、そこには文字が羅列してあった。
「ワープロ……? レポートの宿題など出ていたかな?」
白馬は岡谷とだいたい同じ科目を履修している。
レポートの提出するような授業はなかった。
「いや、レポートじゃない」
「? ではワープロで何をしてるんだね?」
岡谷は……少し口ごもる。
だが白馬を見て「まあおまえならいいか」とつぶやいたあと。
「小説を、書いてるんだ」
岡谷は白馬の反応を見ているようだった。
一方で白馬はと言うと。
「へえ! 小説かい。それはすごい!」
純粋に岡谷が凄いと思った。
【この頃】はまだ、白馬王子はただの、会社の御曹司でしかなかったから。
「……馬鹿にしないのか?」
「? なぜだい」
「いや……小説家なんて、夢見すぎとか。いい年して、小説とかバカみたいとか……その……思うかと思ってな」
【誰かに】そう言われたのだろうか。
岡谷の瞳にはおびえのようなモノが見えた。
「夢を見て何が悪い?」
「え?」
「素晴らしいことじゃないか。夢を持つのは。小説家がバカみたいに? 論理性にかけるね。誰だい君にそんな酷いことを言ったのは?」
そうか……と岡谷がつぶやく。
「いや、すまなかった。ありがとうな」
「ふむ? なんだかよくわからないが、君が笑ってくれたからよしとしよう。いつも仏頂面なのはよくない。笑顔でないとね!」
岡谷は「ありがとう」とまたいった。
「そうか岡谷、君は小説家だったのかい」
「いや、まだ卵だ」
「卵……志望ってことかな」
「ああ。これは応募原稿だ。出版社の新人賞に応募するな」
彼は小説家を目指して投稿を続けており、今はまだ努力している段階にあるらしい。
「どんな小説を書いてるのかい?」
「白馬は小説は読むのか?」
「まあ嗜む程度には」
岡谷はそう言って、バッグから小さな文庫本を取り出す。
それは、不思議な本だった。
表紙にはアニメ調の、マンガのようなイラストが描かれていたからだ。
「マンガかい?」
「いや、ライトノベル」
「らいと……のべる?」
全く聞いたことのない単語だった。
白馬が断ってから、本を手に取る。
表紙と口絵はイラストが書いてあったが、中身は文字で構成されており、なるほど小説のようだった。
「色んな出版社に投稿してるんだが、今回はライトノベルのレーベルに投稿しようと思っててな」
岡谷はライトノベル……通称ラノベ以外の出版社に向けても、小説を書いているらしい。
「ふーん……そうかい」
「……馬鹿にしないのか?」
「え? なぜだい」
白馬は岡谷にラノベを返す。
彼は目を伏して、表紙を指さす。
「こんな、ガキっぽい小説読むなんて……って。くだらないって」
「? 全然。小説に優劣なんてあるのかい?」
「いや……ありがとう。そうだよな……そう、だよな……」
彼は目を伏せていた。
……少し、泣いてるようにも見えた。
「俺……おまえ好きだわ」
唐突なカミングアウトに、白馬は戸惑いつつも、ニッと笑う。
「ありがとう。私も君が好きだよ。相思相愛じゃないかふーはっはは!」
岡谷が苦笑して、白馬の肩を小突く。
と、そのときだった。
PRRRRRRRRRRR♪
「! ちょっとすまん。電話だ」
岡谷はそう言って席を離れる。
店の外に出て誰かと通話している。
そして急ぎ足で戻ってきた。
「すまん、白馬。急用ができた。帰らないと」
「え!」
「悪い。じゃあ」
岡谷が慌てて荷物をまとめ、立ち去ろうとする。
「待ちたまえ」
白馬は彼を呼び止める。
「これから三人で映画を見ようと約束したじゃないか。その呼び出しは……友達よりも優先すべきことなのかい?」
白馬は、まだこの場に来ていない一花のために、彼をつなぎ止めようとする。
岡谷は少し焦った様子で、うなずく。
「悪い。おまえらとの約束も大事なんだ。だが……すまん」
白馬たちより、【優先度の高い相手】からの呼び出しであるようだ。
「……わかった。引き留めてわるかったね。贄川くんには私から説明しておくよ。早くいくといい」
「ああ、悪い。この埋め合わせは必ずするから」
そう言って岡谷は走って出て行く。
「ふぅ……すまない、贄川君……」
彼と一花との仲を取り持つつもりだったのだが、失敗してしまった。
……しかし、友達との約束よりも優先するべき事柄。
「…………」
白馬には一つの仮説があった。
多分、それは合っているだろうと思われた。
ほどなくして。
「白馬君! お、岡谷君! お待たせー!」
講義を終えた一花が、大汗をかいてやってきた。
「あれ? 岡谷君は?」
きょろきょろと周囲を見渡す彼女を見て、胸がチクリとした。
だがすぐに笑顔を浮かべて答える。
「用事があると言って、帰ってしまったのだよ」
「え……?」
露骨に、一花が落ち込んでいた。
それはそうだ。目当ては岡谷なのだから。
「どうやらとても重要な用事だったらしい。彼は本当に申し訳なさそうだった。気を落とさないでおくれ」
「うん……そっか。しかた……ないね……」
本当に残念そうにする一花を見て……。
白馬は一度席を立って、すぐに戻ってくる。
「贄川君。飲みたまえ」
アイスコーヒーを買ってきて、一花の前に置いてあげる。
そしておしぼりも。
「とりあえずひと息つきたまえ。喉が渇いてるだろう?」
「あ、ありがとう……あ、おかね……」
「いや、気にしなくていい! なにせ私はお金があるからね! ふーっはっはっは!」
彼女が気にしないようにわざとそうやって言う。
目を丸くした一花だったが、お礼を言って、ごくごくとアイスコーヒーを飲む。
よほど急いで走ってきたのだろう。
岡谷に会いたい一心で。
「2杯目もいるかい?」
「いや、十分よ。ありがとう」
一花はじっ、と岡谷が座っていただろう席を見つめる。
「……ね、白馬君」
「ん? なんだい?」
一花は恐る恐る……尋ねてくる。
「呼び出した相手って、さ。心当たり、ある?」
それはまるで、一花【も】、岡谷に【いる】とわかってるような、確認のするような尋ねかただった。
「さぁ。ただ……相手とどんな関係なのか、はなんとなくわかる」
「だよね……」
一花が、気落ちしたように言う。
「恋人、いるのかなぁ、やっぱり」
岡谷と知り合ってから1ヶ月くらいが経過する。
彼はその間、何度か急な呼び出しを受けて帰ることがあった。
友達より優先する相手となれば、おそらくは恋人だろう。
本人に直接聞いたわけではないが、一花も察しているあたり、たぶんそうなのかもしれない。
「……そっか。恋人、いるんだ……」
好きな女がそこにいる。
だが相手には彼女がいる。
普通の男なら、よろこぶべきシチュエーションかもしれない。
だが彼は普通の男ではなかった。
彼は、白馬王子だった。
「なぜ、諦めてしまうのだい?」
「え?」
白馬は微笑んで、彼女を勇気づけるように言う。
「彼が好きなのだろう?」
「! ど、どうして……」
動揺する一花に、白馬は優しく微笑みかける。
「見ていればわかるさ。君が、岡谷のこと、好きなんだってことは」
彼はどこまでも白馬に乗った王子であった。
落ち込んでいる女性がいたら手を差し伸べる。
たとえ、その人が好きな女であってもだ。
「そっか……わかっちゃうんだ」
「ああ」
一花は頬を赤くして、こくんとうなずく。
「うん……そうなの。岡谷君のこと…あたし、好きなんだ」
既にわかっていたことなので、それほどしょっくを受けない……かと思っていた。
でも、やっぱり。
本人の口から直接言われると、胸に来るモノがある。
それでも彼は紳士だった。
「好きなのだとしたら、余計、諦めてはいけないよ」
「でも……岡谷君には……彼女が……」
「まだチャンスはある。付き合ってるだけなのだ。結婚までの間に、振り向かせればいい!」
「白馬君……」
にかっ、と白い歯をのぞかせる。
「大丈夫。私が協力しよう。君が笑顔になれるように」
「ありがとう! でも……いいの?」
「ああ、もちろん。岡谷は、名も知らぬその恋人よりも、君と付き合うのが良いと思うんだ」
「それはどうして?」
「……まあ、色々あるが」
岡谷の相手は、どうにも岡谷のことを一切考慮してないように思えた。
急に電話かけて、急に呼び出すなんて、マナーがなってない。
一方で一花は一途で、しかも優しい。そしてパワフルだ。
「控えめな岡谷と、強く優しい君はとてもお似合いだと思う」
「そ、そうかな……へへ♡」
照れてる姿を見て、胸を締め付けられる。
でも彼は表には絶対に出さない。
自分の感情よりも、優先すべきモノがそこにある。
「安心したまえ。君たちが結ばれるよう、私がサポートしよう」
「白馬君……ありがとう!」
がしっ、と一花が白馬の手を握る。
「あなた、とっても良い友達ね!」
……友達、か。
そこでこちらの機微に気づくほど、一花に白馬と同じくらいの察しの良さがあれば。
だが、それは無理からぬこと。
恋する乙女の目には、そこにいる男は友達にしか映らないのだから。




