113話 王子の友達
白馬王子は、大学の新入生歓迎のオリエンテーション旅行に来ていた。
1泊2日、伊豆旅行。
新入生はかなり大人数であり、それをまとめ上げるのはかなりの苦労を強いられた。
……だが。
白馬は、思った以上に楽に、班長としての仕事をこなすことができた。
それは後に、彼の相棒となるべき存在……岡谷がいたからにほかならない。
各地を回って、白馬たち1年生は、今日泊まる大学の宿泊施設へとやってきていた。
「岡谷君。ありがとう、助かったよ」
白馬たちは現在、宿泊施設の食堂に居た。
時刻は夕方。
彼らは夜の宴会の準備を行っている。
「助かった?」
「ああ。君がいたおかげで、とてもスムーズにここまで進行できたよ」
とにかく岡谷という男は、かゆいところに手が届く。
何か欲しいなと白馬が思うより前に動いていた。
それと細かいチェックや配布する物など、面倒となる仕事を率先して行っている。
なるほど……と白馬は納得していた。
彼女……一花が好きになるのは、しょうがないことなのかなと。
それでも、諦めきれない気持ちがどこかにはあった。
「気にすんな。仕事だからな。それより……おまえ贄川に何か用事があるのか?」
「えっ?」
どきり、と心臓が体に悪い跳ね方をする。
「な、んで……そう思うんだい?」
すぐにいつもの柔和な笑みを浮かべる。
「いや、やたらと贄川のことを見てるような気がしてな」
……まさか見られているなんて思わなかった。
女子だったら、きゃーきゃーいっていて、全く気づかない。
男子でも、白馬に向けるのは、女子からモテることへの妬みそねみの視線。
だが、この岡谷という男からは、そういった感情を、感じられない。
「なんか用事でもあるのか?」
……ここで本当のことを言っておくべきだろうか。
いやでも、まだこの思いを誰にも打ち明けたくはない。
「なに、ちょっとね。たいしたことではないのだよ」
「……? そうか」
本当は、一花と会って話したかった。
彼女が落としたハンカチを、返すついでに、会話ができないかと……。
でもオリエンテーションの準備やら進行やらで、関わるタイミングがまったくなかった。
宴会でも……無理だろうな、と諦めていた。
「そろそろ宴会だ。最後の仕事だが、頑張ろう」
岡谷が白馬を励ます。
この男は、落ち込んでいるときに、こうして声をかけてくれる。
まったく、たいしたやつだ、と白馬は感心した。
たとえ、好きになった相手が、好きである男だろうと、白馬は、その人の優れたところを認められる。
そういう男なのだ。
……だからこそ、勝ちを取れないのかも知れない。
★
オリエンテーションの最後、宴会が始まった。
予想通り、会場内は混沌を極めた。
飲んで騒ぐ彼らをよそに、白馬と岡谷はせわしなく働く。
岡谷がいなかったら、まず間違いなく、この大混乱は納められなかったろう。
2時間くらいして、場の混乱が少しずつ収まりかかった頃……。
「ふぅ……」
ようやく、白馬はひと息付けた。
すでに大半の女子も男子も、宴会場から捌けてしまっている。
岡谷はまだ空いた皿を片付けていた。
白馬は休んでいて良い、と岡谷に言われていたのだ。
「結局、話す機会は、なかったな……」
と、そのときだった。
「お疲れ様、白馬……くん」
ふと、誰かに声をかけられた。
見上げるとそこにいたのは、黒髪の美女……。
一目惚れ相手の、贄川 一花であった。
「!」
急に話しかけられ、どきりと心臓が高鳴る。
好きな人の突然の登場に動揺する……が、そこは白馬王子。
すぐにいつもの、イケメンスマイルを浮かべる。
「ありがとう。さっきぶりだね、贄川くん」
贄川一花が隣に座る。
ふわり……と一花からは甘い香りがした。
どうやら風呂上がりのようだ。
濡れた黒髪はとてもつややかで美しかった。
「大変だったわね、班長。ありがとう」
「いやなに、たいしたことないさ」
一花が自分を見ていてくれた。それを知って、天にも昇る思いがした……。
だが……。
「岡谷君とふたりで忙しそうにしてるなーって思ってたんだよね」
……ああ、とすぐに落ち込んでしまう。
多分一花が見ていたのは、岡谷なのだ。
自分ではなく、隣に居た……彼だったのだ。
「…………」
ここで、外に出ようと口説くこともできた。
彼は、神に選ばれたような整った顔つきをしている。
甘いマスクで、愛をささやけば、どんな女も自分のものになるだろう。
一花の心が岡谷に向いていたとしても、彼が本気を出して口説けば、上手くように思えた。
それくらい、白馬王子は、女子にもてる才能があったから。
だが……白馬は、そうしなかった。
「ところで、贄川くん。君に渡しておきたいものがあるんだ」
「渡したいもの?」
白馬は懐から、ハンカチを取り出す。
「わ、これ……アタシのだ! どうしたの?」
「前にレディの盗まれたハンドバッグを取り返してくれたことがあったろう? そのときに君が落としたんだ」
「へー、そうだったんだ……ありがとう。拾ってくれて」
……どうやら向こうは、あのときの大捕物を覚えていない……というか。
あの場に白馬がいたことを、覚えてないのだろう。
さみしかった。こちらは、これだけ、印象強く残っているというのに。
彼女を好きになるきっかけのエピソードだったのに……。
「アイロンがけまでしてくれたんだ、ありがとね」
「なに、気にしなくて良い! この白馬王子、女性の落とし物は、新品もしくは新品同様にして返すよう、家から厳しくしつけられてるのだからね! ふははは!」
「家って。なにそれ。面白い人だね君」
くすくす、と一花が笑っている。
好きな人が、笑っている。なんと心躍ることだろう。
でも、白馬が欲しいのは、それじゃないんだ。
「岡谷君、まだ来ないのかな。先に飲んでろって言ってたのに……」
……ああ。
やっぱり、一花がなぜ白馬の元にきたのか、これではっきりした。
たぶん岡谷が一花に言ったのだろう。
白馬が、一花に用事がある、的なことを。
……いいやつだ、岡谷は。
いいやつだからこそ……辛かった。
一花は岡谷を待っているようだ。
「ふ……ふーっはっは! 我が友よ! いつまでそこで皿を片付けているのだね!」
白馬は立ち上がると、岡谷のもとへいく。
がしっ、と腕を首の後ろに回す。
「片付けなどあとにしよう。飲もうじゃあないか!」
「いやでも……」
「そうだ。贄川君も手伝ってくれないかい? 私たちだけでは手が足りなくってね!」
一花が、ぱぁ……と露骨にうれしそうな顔になる。
多分岡谷と話す機会を、ずっとうかがっていたのだろう。
「も、もちろん! 手伝うわ!」
「ということだ、さぁ我が友よ。飲もう、飲もうじゃあないか」
岡谷は目を丸くしたあと、ふっ、と笑う。
「わかったよ」
白馬は岡谷とともに、一花のそばまでやってきて酒を飲む。
終始、一花はうれしそうだった。
……好きな人が笑っている。
好きな人が、好きな人と話せて、喜んでいる。
その笑顔を曇らせることはできない。
岡谷から一花を奪い取るなんてことはできない。
なぜなら彼は白馬王子だから。
すべての女性に優しい、そういう生き方をしてきたから。
誰も傷つけない、紳士的な振る舞いをしてきたから。
……この日、白馬は得がたい親友を二人、手に入れた。
その代償として、人生で初めての失恋を味わう羽目になったけれど。




