小夜子とギャル谷とガラル氏でお食事
お出かけ前に腹ごしらえをすることになった。
小学校に放置されていた防災備蓄には、【サタケ・ビジネス・サポート社】のアルファ化米や乾パンなどが残されていた。
魔王小夜子は必要としないものだし、有難く頂戴することになった。
小学校の敷地内でたき火ををすることから調理は始まる。
アルミラミネートで包装されたパック食品を、ガラル氏はさっぱり理解できなかったようで、調理風景を興味深く眺めていた。
「ふうむ、美しい包みですが、時間凍結魔法の気配はありませんな」
ガラル氏の言葉はあまりにもそれっぽい。いや、すぎる。小夜子とギャル谷はファンタジーっぽさに感心した。
「あ、わらわこういうの好きかもしれん」
「あーしも、ちょっとビクってした。本物っぽさスゴい。好き」
ガラル氏は首をかしげた。恐ろし気な怪人だというのに、仕草が愛らしい。
アルファ化米というのは乾燥させて長期保存可能とした米だ。災害時の備蓄として利用されており、【マジックライス】という名前で商品化されている。見た目にはよくあるインスタント食品だ。
「うむ、そろそろお湯が煮えてきたのう」
小夜子はといえば、職員室に転がっていた鍋でお湯を沸かしているだけだ。
インフラは止まっているため、廃材でたき火をしている。夏のたき火は地獄。
「あっつ、ほんと暑い。オシャレしたのに汗だくになっちゃうし」
ギャル谷は言いながら、サタケのマジックライス・ドライカレー味の封を開けた。
パウチに柄杓で掬ったお湯を線のところまで注いで、閉じる。あとは15分も待てば出来上がり。
ガラル氏は首を傾げた。料理と聞いていたのに、お湯を入れるだけしかしていない。
「ふうむ、そちらのカンパンというものは、その金属箱の中に焼き菓子が入っているのは分かりました。しかし、そのピカピカした袋には干からびたものしか入っていませんが?」
保存食というのは、異世界でも味気ないものだ。
ガラル氏がいた異世界は、文明が未発達で魔法が存在するファンタジー異世界である。保存食で似たものはあれど、お湯を入れるだけでは柔らかくなるだけだ。
「待ってたら分かるよ。あーしも食べたことあるけど、普通に美味しかったし」
ガラル氏が小首をかしげる。恐ろし気な怪人が頭の上に?を浮かべているのは、なんだか可愛げがあった。
「うむ、ここに油そばのインスタントでもあったらええんじゃがのう。日曜の昼下がりみたいで、良いじゃろ?」
「それ、運動部の男の子が食べるヤツだよ」
美味いものを食べていたい小夜子だが、たまには即席麵やコンビニ弁当を食べたくなる時がある。美味いというのは、美味だけに限るものではない。その時、その場所、その空気でないとキマらなくて、怠惰が極上のご馳走に化けることもある。
「……そこの池に泳いでいる魚でも食べませんか?」
ガラル氏が指さすのは小さな池だ。鯉が飼われており、赤色の肌で水面をゆらゆらさせている。
「ダメだよ、観賞用だから。ガラルさん、あれは食べちゃダメなヤツ」
「むう」
そんなことをしている内に十五分が経過して、パウチを開いた。ふんわりと香辛料の香りが広がる。
ドライカレーの食欲をくすぐる匂いだ。
小夜子がこれまた職員室から失敬したスプーンを配った。
「よし、では食べようかの。いただきます」
小夜子が言えば、ギャル谷が続く。
「いただきます」
「いただきます?」
ガラル氏はこの世界の流儀を知らないが、とりあえず同じように言ってみた。
湯気を立てるドライカレー、リゾット風味。
スプーンをねじ込んで掬い取り、むぐむぐと食べる。マジックライスはこのむぐむぐがイイ。むぐむぐすると、アルファ化米がより美味しく感じられる。
「むぐむぐ、見事にドライカレーじゃ。レーズンが入っていればもっと良いんじゃが、むぐむぐ、レーズンがのう」
小夜子はレーズン必須派であった。酢豚にもパイナップル派である。
「え、あーし、レーズンはいらないなァ。むぐむぐ」
「あの甘味と酸味が良いんじゃ。酸いもの大好きじゃからの。むぐむぐ」
ガラル氏も、仮面をズラしてむぐむぐ。無言で高速むぐむぐ。
「ガラル殿にはこのようなもので申し訳ないんじゃが、異世界の食事は口にあったかや?」
ガラル氏はスプーンを持つ手を止めた。パウチの中にはもう何も無い。
「大変美味しゅうございました。なるほど、こちら側の食事がこれほどとは……。坊ちゃんが懐かしむはずです」
「ほほほ、満足頂けてわらわも嬉しいですぞ」
「サヨちゃんのお手柄みたいになってるの、なんなの?」
これだけでは物足りないということになって、乾パンをもぐもぐすることになった。乾パンは素朴な甘みが嬉しい。カロリーのことは考えない。
一缶を三人で分けるとちょうど良い塩梅。
サラダでも食べたい気持ちがあるが、無いものねだりはよくない。今は腹もくちくなった。
ふうと息をついて、ギャル谷が口を開いた。
「渋谷までけっこう距離あるんだけど、どうしよっか? 駐車場に軽トラあったし、ガソリン集めたら運転はできそうだけど……」
ギャル谷はバイト先の私有地でミッション車を乗り回しているし、自動二輪免許も持っている。廃墟と化した東京でどこまで動けるか分からないが、車で行くという選択肢もアリだ。
「わらわの縮地で行ってもよいぞ。ガラル氏ならばついてこれそうじゃし、ギャル谷は抱えていく」
「ええ、なんかそれ気を遣うんだけど。サヨちゃん、テレポーテーションとか前にしてたけど、無理なの?」
「わらわのは短距離じゃ。遠距離もやれんことはないが、空間跳躍をやるとギャル谷が別の生物に変わってしまうのう」
「嫌な予感しかしないし、テレポートはナシで」
ガラル氏は乾パンをもぐもぐしており、咀嚼に咀嚼を重ねてようやく飲み込んだところだ。
「焼き菓子がここまで美味しいとは、ニホンというのは良いところですな。大変結構なお食事のお礼に、私が馬車になりましょう」
ガラル氏は言うと、すっと息を吸う。仮面で分からないが、その呼気が世界に響いた。息を吸う音は、空気どころか世界の位相を震わせる。
「おお、なんという! 人を超越した阿修羅とはこれほどであったか!?」
小夜子は感嘆した。
ガラル氏がやったのは、肉体の変生。
自らの意志で別の生命へ至るなど、本来ならば御仏の功徳なくば成し得ぬこと。その奇跡を、自らの意志と積み上げた闇の功徳のみで行うとは!
ガラル氏の仮面だけは大きさをそのままに、身体がバルーン人形のように膨れ上がる。
膨張した身体を覆う黒地に赤い光が走る貫頭衣は、その膨張を経てなお身体を覆い隠しており、脇腹から生えた蜘蛛のごとき八本の脚をも包み込んでいた。
「小夜子サマ、ギャル谷さん、我が背に乗られなさいませ」
「流石はガラル殿じゃ。異世界の魔王、いや、まさしく阿修羅そのものよ」
小夜子が言う言葉の意味を、ギャル谷は全く理解できない。
「凄いのは分かるけど、なーんかいつも悪役っぽいんだよね」
ギャル谷も驚いたが、最近は慌てなくなった。むしろ、ドン引きになることが多い。
世の中というのは、知らないだけでメチャクチャなものだと小夜子を通じて知った。だから、今は驚いたり否定したりするより、そういうものかと受け入れることにしている。
「ギャル谷よ、乗り込むぞ!」
テンションの上がり方がおかしい小夜子に笑みで応じるギャル谷であった。
ガラル氏の乗り心地は生暖かいもので、服のように見えていたのは皮膚なのだなと。どうでもいいことを知った。
「目指すは渋谷じゃ! ガラル殿、疾風のごとく駆けてたもれ」
「任されました。我が背の乗り心地をお楽しみあれ」
「え、テンションおかしくない?」
八本の脚が、荒れ果てた廃墟の街を疾走する。
東京の街並みは、世界崩壊レベルの大地震後というのがしっくりとくるような荒れ方だ。
大地に走る亀裂からは瘴気と妖気が立ち昇り、物陰には餓鬼や得体の知れぬ怪物が潜んでいる。
鳴髪小夜子は地獄界と現世を繋げた未来だと言っていたが、その表現は生温い。地獄などからは程遠い異常が現世を侵食している。
小夜子は歌う。
異界の超越生命と人の混ざりモノである小夜子は、般若心経を謡う。
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」
陽光が降り注いでなお、清められぬ荒廃した世界。
どうして御仏は人を見捨てたのか。退魔師も只人も、同じように救いを唱えただろう。それなのに、どうして。
母体を喰らい、父を異界の彼方に放逐し、伊邪那美大神により黄泉の穢れに満ちた魂魄をねじ込まれ、この世に産み落とされた忌まわしき闇の聖女。
邪悪の宿命を背負った間宮小夜子はもういない。
トミーと出会い、若松と出会い、異界邪神トイレの花子さんの腹を借りて産まれ直した。
どれだけ本人が否定しても、御仏の教えにある仏性を小夜子は得ている。
「サヨちゃん」
ギャル谷には小夜子が泣いているように見えた。
朗々と読経は続く。
神は移り変わり人と共にある。御仏は人と共にあり、その行いを見ている。
異世界の魔王であるガラル氏はその読経が何かを知っていた。悠久の年月、見続けてきた愚か者たちが唱える届かぬ祈りそのもの。
神を憎んだ。魔を裏切った。そして、人に絶望し続けている。それなのに、ただ一つの光を得ようとする愚者の魔王ガラル。
「ああ、なんと美しい」
ガラル氏に般若心経の意味は分からない。それでも、分かることがあった。
愚者だけが、人の輝きを知るからだ。
異形の蜘蛛と化した魔王の一つ目仮面が、天を貫く巨大な緑の塔を見つけた。
異様な樹木に浸食され、深緑の塔と化した渋谷壱〇九ビル。そして、大森林と化した渋谷の街。
「うわ、ジブリアニメじゃないんだから」
深緑に覆われた渋谷を美しいなどとギャル谷は思わなかった。
渋谷は瑞々しい木々に覆われた少女の王国。
着飾って戯れる少女の巣穴であった。




