クリスマ寿司イブ
寿司が美味い。
片田舎で海沿いの町にある寿司屋というのは、珍しいネタや漁師料理などがあって面白い。そして、あえて失礼な物言いをするが高級なネタは都会に流れるため地元では出ないものだ。
都会へ流せば高値で売れるため、地元特産を漁師さんしか食べられないというのはよくある。
そんな中、駅前で唯一のお寿司屋さんである鶴屋では、店主が地元とは全く関係のないネタを仕入れていた。
まずは、芽ねぎの握り。
芽ねぎとは、爪楊枝ほどに細長い東海地方名産のねぎで、全く地元とは関係ないが美味いネタだ。
お次は、水なす握り。
【水なす】とは、だんじり祭りで有名な南大阪名産の水分たっぷりな地場なすの糠漬けである。これをスライスしておろし生姜と共に握る。冬は糠の浸かりがきつくなるため、炙りにすることもある。もちろん、地元とは全く関係ない。
冬の今は無いが、秋口からはヨシエビの塩ゆでを辛子しょうゆで食べる。この通なつまみを出すのが鶴屋である。塩ゆでが一番美味いという店主のこだわりから、握りにはしない。
どんな店かと問われれば、そんな店だ。
ごく普通のネタはお腹の膨れるご飯として出すので、安価にお腹はいっぱいになる。そして、少し変わったものはそれなりの高値で出る。
おつまみとしての一品料理が豊富で、お寿司とは関係のないジャガバターなども出てくる混沌ぶり。地元の酒好きには愛されるが、新規の若い客は入らない。
もう一回言う。どんな店かと問われれば、鶴屋はそんな店だ。
そんな鶴屋にとって、昨年この町に越してきた間宮のお嬢様といったら、出前は取る。ふらりと食べにくる。二つ揃った上客である。
イエス様はテキーラサンライズをやりながら、かっぱ巻きを食べる。みずみずしいキュウリが、カクテルとよく合う。
地蔵菩薩様は先ほど注文したカワハギのお造りで日本酒をやっていた。熱燗の銘柄は選べないが、これは大吟醸か。
龍子はベリアルに体力をもっていかれてお眠なので、座敷の奥に座布団ベッドを作り寝かせてある。
問題の足木夫人の自分探しである。
言葉にすればするほど、自らの存在についての苦悩というのは薄っぺらになっていく。どれほどの苦しみであったかと問われれば、巨大なヒルが背中に張り付いて体液を吸われているような、そういう苦しみだ。
毎日毎日そんな思いで生きているのは、少しずつ身体が腐っていくのを見ているかのようだった。しかし、そんなの誰でも感じているよと言われればそうかもしれないと納得するところはある。
「まあ、分かるぜ」
テキーラサンライズを流し込んだイエス様がそのように言う。慰めのために適当に言ってみたというものではない。
「東の果てなら、誰にも聞こえねえから言うぞ。俺は神の息子だが、三十過ぎるまで周りの連中を【なんだこいつら】って思ってた」
イエス様の救世主としての生き方はここから始まった。
ぶっきらぼうに言うイエス様の言葉には、人を惹きつけるものがある。これが、権能であるのか人間的魅力であるのか、魔人と菩薩様にすら判然としない。
イエス様は言葉を続けた。
「クソみてえな連中ばっかりで、最低な毎日だと思ってたぜ。それで、嫌になって川で人生を変えてくれるっていうヨハネってのに会いにいったのさ」
洗礼者ヨハネとの出会いから、イエス様は救世主の道を歩むことになった。
「あん時、洗礼ってえのが終わったら【なんだこいつら】って連中の仲間になれるかもしれないって、期待したよ。泣いたり笑ったり馬鹿なことしたり、そんなんで必死になってる内に死んじまうような価値のないヤツらの仲間に入って同じようにな。……マスター、テキーラをオンザロックで頼む」
イエス様が手を上げて叫ぶと「あいよ」と大将がいなせに応じた。テキーラはサウザシルバー。庶民的な銘柄で、すっきりして飲みやすい。
「続けるぞ。洗礼を受けてもなんにも変わらねえし、神の息子をやってみてもなんにも変わりやしねえ。クソみたいな気持ちで生きてんのが嫌になって、救世主をやることにしたんだ」
大将がテキーラオンザロックをお盆にのせてやってきた。イエス様は受け取って、舐めるように一口。
「美味いな、こいつは。マスター、さっきのカッパ? アレが気に入った。また頼む。……話を続けるぞ。救世主をやるってとこからだな。ドサ回りをしてたら、十二人もとびきりの馬鹿共がやって来やがった。こいつらヤベーって見ただけで分かる連中だぜ? おかげで珍道中だ。だけど、妙なことばかりで退屈じゃあなかった」
イエス様は追憶する。それはきっと、輝ける思い出なのだろう。しかし、どんな時間にもやがて終わりが来る。
「ユダの野郎が裏切るのも槍でおっ死ぬのも分かってた。だけどまあ、それでいいと思ったのさ。そん時には【なんだこいつら】って思うヒマがなくなってたからな。なあ、アンタは今も【なんだこいつら】って、そう思うほどヒマなんだろ?」
問われた足木夫人は、冷たい笑みを浮かべた。いや、笑みですらないのだろう。ただ、周りの人を安心させるために何か表情を浮かべないといけないから、とりあえず出してみた笑みだ。
「救世主も普通の男だったって言いたいのかしら。それって、つまらないわ。レディコミの男よりつまらない」
レディコミに出てくる男より面白いのが現実にいたら困る。
「リューコの母親なんだろ。いい母親には見えないが、子供のことを愛してるのくらいは分かるぜ。ベリアルをいつでも消せるようにしてたしな」
「それは、魔法使いだし悪魔の手綱を握るのは当然のことだから」
なぜか言い淀む足木夫人。
「自分のことなんて俺も絶望してる。親父のところにいっても、それは変わってない。絶望は消えねえよ。だからな、アンタはリューコを育てろ。隣人を愛せよってのはそんなに嘘じゃないんだ」
「そんなことで、そんなの……」
「アンタはそれ以外の方法じゃ救われない。他ならない俺の言葉だ。俺の言葉を信じろ。救われなかったら、俺を憎めばいい。アンタなら、俺を引きずりおろせるだろ?」
ぎらりと足木夫人の瞳が鋭くなる。
「それ、契約になるわよ。私は、魔法使いなんだから」
「知ってるさ。契約でもなんでもしてやる」
ムキになった足木夫人は本当にイエス様に契約の術を行使する。止めようかと思った小夜子だが、地蔵菩薩様に無言で袖を引かれてとどまった。
神の息子との個人的な魔法契約とは、なんと恐ろしく不敬な行いであろうか。天罰が下るほどのことだというのに、本人たちが受け入れたためか何の問題もなく契約が成立する。
「……どうしてよ、かみさま」
契約成立で喜ぶべき足木夫人の声には、悔しさが滲んでいる。
ヤハウエ様の怒りで存在を抹消されるというのなら、それでよかった。この下らない自分探しの結末としても、そう悪いものではない。だというのに、それすら許されない。
「さあ、湿っぽいお話はおしまいにしましょ。せっかくのお寿司なんやしね、楽しまんとねえ。だって、今日はクリスマスイブなんやから」
地蔵菩薩様は言うとお猪口の日本酒を飲み干した。熱燗のとっくりから手酌で注ごうとするので、小夜子がひったくってお酌する。
「菩薩様、わらわがお注ぎしましょう。……今回のこと、よろしいのですか?」
「わたしは地蔵菩薩なんやで。子供のためにならんこと、見過ごすはずがないやんか。龍子ちゃんがどうなるか、これが最初の分岐やったんよ」
最後の部分は小さく、内緒話として小夜子に囁いた。
「……なるほど、あなた様が見ていらしたか。そんなことをしていというのであれば、わらわは仏様には言いたいことがある! どうして、見ているだけなんじゃ! わらわは、仏様のそこが気に入らん」
声を荒げた小夜子に、皆の視線が集まった。
ずっと思っていたことだ。仏様はいつも見ているだけ。例え、それが魔道に堕ちようとしている者だとしても、背後で見ているだけ。我が子の頭を潰そうと刃を振り上げている母親に対しても、手を差し伸べない。
小夜子にとって、それは唯一といっていい傷だ。真亜子のこともそれで見捨てられず、この一件もなしくずしに助力した。何より、小夜子もまた母を喰らってこの世に産まれ落ちた。
「あなたたちにしてやれることなんて、ちっぽけなことだけ。それが、わたしたちやで」
地蔵菩薩様が言えば、イエスさまも頷く。
「そうだ。俺たちがしてやれるのは、お前らを見て忘れないことだけだ」
小夜子は吐いた言葉を後悔した。そして、足木夫人を見やる。彼女もまた、同じようにやりこめられたような顔をしている。そんな彼女に小夜子は何か言いたくなった。
「足木夫人よ、わらわは未成年でな」
「急に何よ?」
「わらわの代わりにお酒を飲んでおくれ。こういう時、大人はお酒を飲むじゃろ。じゃから、頼む」
言われた足木夫人は、小さく吐息を零した。それは、なんだかよく分からない感情が形になったような、短くて勢いのある妙な息吹であった。
「いいわ。マスター、ビールをちょうだい。キリンかサッポロの瓶がいいわ」
「あいよ! ビールよろこんで」
冬のビールも悪くない。
せっかく寿司屋に来たのだから、握りだけでは面白くない。寿司屋ならではの、かにみそ肴で、ウナギは焼きで、なんて注文が良いのだ。
「あ、わらわはコーラをおくれ」
未成年はコーラでよい。舌がおかしくなるけれど、せっかくのお寿司屋さんなんだしそれっぽいものが欲しくなる。




