1084 星暦558年 紺の月 16日 裏社会からの依頼(7)
社交に励む貴族の朝は遅い。
誰かに叩き起こされて仕事に行く必要がないので当然起きてくるのは昼近くになるし、夜が遅いからしょうがない部分もある。
昨晩だって、家令を眠らせて色々と隠し部屋の資料を調べ終わって撤退した時になってもゼルパッグ伯爵は帰宅していなかった。
帰宅してから眠りにつき、自然に目覚めるまで寝てからのんびりと顔を洗い、気分次第では湯あみし、ゆったりと食事をとってから仕事を始める・・・か、場合によっては遠乗りに出たりするのだ。
仕事をするにしても多分最初は暗殺なんていう血生臭い案件ではなく、領地関連の話や王都での表立った社交や取引の話を先にするだろうと思って俺も昼食を食べてからのんびりと夕食と水筒を持ってゼルパッグ伯爵宅に来たのだが・・・。
ゼルパッグ伯爵はまだ仕事をしていなかった。
家令はしこしことゼルパッグ伯爵の書斎の横にある隠されていない小部屋で仕事をしていたが、伯爵自身はゆったりと下の部屋で新聞を読んでいる。
新聞を読むのも当主としての必要な情報収集手段の一つだとは思うが・・・何とはなしに、家令が哀れになる。
ああいう家令だって大抵は貴族の次男とか三男が多いんだよなぁ。
爵位を手に出来なかった貴族の令息って実家に事業があるとか領地の代官とかの仕事が出来るんだったらそっちで働く事が多いが、三男とか四男あたりになると余程の大貴族でない限り内部での仕事が無く、寄り親や親の知り合いの貴族の下で家令や侍従の仕事に就くことが多い。
まあ、王宮で文官や武官になることもあるが。そっちもそれなりな伝手か、有能さが無いと中々厳しいらしいからな。
とは言え、『中々厳しい』にしても朝から夜中までこき使われ、最終的には裏家業がバレた時に生贄代わりに罪を擦り付けられる可能性が高い事を考えると、家令の将来は真っ暗だと思うがな。
暗殺稼業なんていう、本職に叩き潰されることがほぼ確実な副業になんぞ手を出した時点で、雇い主を見放して国なり暗殺ギルドなりに情報を売って逃げなかったのが敗因と言えるだろう。
状況の見極めっていうのは重要なんだぞ~?
そんなことを考えつつ、書斎の外で植木鉢の影に隠れながらあくびを噛み凝らしていた俺は、心眼で監視していたゼルパッグ伯爵が新聞を机の上に放り出し、書斎の方へ動き始めたのを見てそっと体勢を直す。
クロゼットでもあればその中に隠れるのだが、書斎にクロゼットは無く、カーテンの後ろに隠れるにはちょっと無理があったのでベランダで待っているのだが・・・ベランダの外からはっきりとゼルパッグ伯爵と家令の話し声が聞こえるかは微妙なところなので、実はこっそり朝のうちに掃き出し窓の横にある格子窓の下の方のガラスを一つを外してある。
風が吹いたら窓に異変があるのでバレるから、俺を含めたベランダの一部から窓の所まで防風結界を施してあるが、これでちゃんと音が聞こえる筈。
と言うか、毎日暗殺の話が出て来るほど依頼があるのかね?
昨日調べた書類を見るに、まだ顧客層を手探りで広げている所って感じなんだよな。
下手な相手に『邪魔な相手を殺してあげるよ?』なんて言って回ったら国に検挙されてしまうので、後ろ暗いと評判な相手を重心的にそれとなく邪魔な相手の排除に役に立てるかもというのを匂わす感じで話をして回り、反応が良かったところの情報を更に集めている感じだったが。
「領地からの報告はどうなった?」
バタンと扉が開き、ゼルパッグ伯爵が小部屋から飛び出して後ろからついてきた家令に尋ねた。
「春の種まきは問題なく終わったようです。
水路に土砂が溜まりつつあるので整備をしないと雨季に氾濫して畑の作物がやられるかも知れないとのことですが」
家令がメモを手に、ゼルパッグ伯爵の後をついて入って来る。
「やらせれば良いだろうが。
そんなことも私に確認しなくては出来ないのか」
苛立たしげにゼルパッグ伯爵が応じる。
「今年の賦役は既に冬の嵐の後の街道復興に使われてしまったので、水路の整備を行うとなると追加で支出が生じるのでそれの承認をお願いしますとのことですが・・・」
そっと家令が問題点(多分)を指摘する。
「何を言うか!
街道の復興も水路の整備も住民の為なんだから、あいつらが自発的に無料でやるべきだろうが!!!
金なんぞ無い!
来年の賦役でやれと言っておけ」
バンっと机の上を叩きながらゼルパッグ伯爵が怒鳴った。
いや、街道や水道の整備をする為に領主が税金を取るんだろうが。
山賊でもいるって言うならまだしも、そう言う防衛関係の出費があるんじゃなかったら、貴族の存在価値って民から集めた金で領地の整備を行うのと、せいぜい他の領地との利害の調整ってところだろ?
そう言う出費をケチるから領地の収支が先細りするだろうが。
やっぱこいつ、アホな無能だな。
貴族用の学院でちゃんと教育を受けて卒業出来るだけの成績をとれた筈なのに馬鹿は馬鹿に育つ不思議・・・




