帰る場所(1)
レイは悪夢のような暗闇の中、溢れだす光と共に現れた二人の姿を見た。
光を身に纏い寄り添った二人は、まるで太陽神と月の女神の化身のように眩く神々しい。
(リルディアーナ)
愛しいその人の名を呟いてみても、その声は届くことはなく、彼女は自分に見向きもしない。
ただ遠くから、その光景を見ていることしか出来ない。
駆け寄るどころか身動きすら出来ない。
カラカラに乾いた喉からは声一つ発せない。
いや、発したところで、それは届きもしないのだろう。
また大切な人が離れていく。
それが自分に定められた運命のように。
「レイ、大丈夫か?」
「!?」
放たれた言葉に、レイは意識を覚醒させる。
視界に入ったのは、汚れた土壌の塀に囲まれた薄暗い空間。
入口付近の壁にもたれかかったテオが、いつもと変わらない無表情で自分を見下ろしている。
(あぁ。そうか。あれからもう、かなり経ってるんだよな)
身を潜め、そのまま浅い眠りに落ちていたらしい。
起き上がり額に触れると、じっとりと嫌な汗をかいている。
「うなされていたようだが」
「はっ。うなされもするだろ。こんな状態なんだ」
「……」
レイの悪態にテオは押し黙る。
どうしてこんなことになったのか?
あれから幾度自問自答したことだろう。
レイが求めたのはたった一人だった。
幼い頃に出会った初恋の人。
リルディアーナ・エルン。
彼女さえ手に入れば、すべてを失っても構わないとさえ思っていた。
それなのに……。
ほんの一瞬手に入れられたのだと思った。
その身を奪い、ただ側にいてさえくれれば、それで満たされるのだと思い込んでいた。
けれど、側にいればいるほど心は離れ、彼女が自分をみていないのだと思い知らされる。
もがけばもがくほどに溝は広がり、空しさは募る一方だった。
(挙句に彼女を危険な目に合わせて、僕は何一つ出来なかったんだ)
イサーク・セサルによって、暗闇に飲み込まれたリルディアーナを救い出したのはカイルワーン・イセン。
自分の異母兄。
闇から抜け出してきた寄り添う二人の姿は、今も色あせることなくレイの脳裏に焼き付いている。
その光景は、自分がつけ入る隙など一寸もないということを、嫌と言うほどに思い知らされた。
だから、無事なその姿を見届け、何も言わずに姿を消した。
リルディアーナから拒絶の言葉を放たれれば、自分は耐えることが出来ない。
何もない自分にとって、リルディアーナはたった一つの希望だったのだ。
逃げるように遠くへと、たった一人の従者であるテオと共に砂漠地を突き進んだ。
それは、行く当てのない空虚な旅を始めて数日後のことだった。
『つけられている』
テオがそうつぶやいた時、てっきりイセン国からの追手なのだと思った。
王位簒奪を試みたメディシス宰相が失脚しただろうことは容易に想像出来たことではあるし、協力者だった自分に追手がかかっても、何ら不思議はない。
そう思っていたのだが、予想は大きく外れた。
『イサーク・セサルの御心により、その命もらい受ける』
現れた追跡者から放たれた言葉は、あまりに意外なものだった。
(殺したいと思っているのはこっちだ!)
激昂し返り討ちにしたものの、それは一度だけでは終わらなかった。
それは日を追うごとに数を増し、執拗になっていった。
何度撃退しても、どこから湧いて出るのか幾度となく現れる。
姿を隠しても三日と持たない。
昼とも夜ともなく、命を狙われる日々。
それはイセン国を出てから、休むことなく繰り返され今に至っている。
「囲まれたようだ。どうする?」
砂漠に点在する朽ちかけた風よけ小屋にテオが結界を張り巡らせ、ここ数日は敵の目を欺いていたが、魔力には限りがある。
結界が消えてからさほど時間が経っていないだろうに、すでにその存在を嗅ぎ付け、外には殺気だった気配がある。
「選択肢はないだろ? 殺るか殺られるか……そのどっちかだ」
結界内は安全。
そう認識していても、常に研ぎ澄まされた精神はそう簡単に休まらない。
テオが魔力を削り費やした結界も、浅い眠りを幾度か繰り返しただけにとどまった。
嫌な光景を夢見た所為で気分も最悪だ。
「……イセン国に戻る選択肢もあるのではないか?」
テオが静かに放った言葉に、レイは酷薄な笑みを零す。
「あの男に無様に助けを乞えと? それこそ死ぬ方がマシだなっ」
噛みつくように言い放ち、血走った瞳を外へと向ける。
動くテオを手で制す。
「僕一人でいい。お前は手を出すな」
この数か月で実戦を積み重ね、剣を振るうことに躊躇いがなくなっていた。
むしろ、荒んだ心を慰めることが出来るとさえ、思う様になっていた。
実際は心を疲弊させ、病む一方だというのに。
「イサーク・セサルの目的が何なのかは知らないが、来るなら追い払うのみだっ」
扉を開けたと同時に襲い来る相手をなぎ倒し、ただ剣を振るう。
敵の刃が頬を掠め、赤い滴りが落ちるが、構うことなく刃を振り続ける。
「!?」
異変が起きたのは、それからすぐだった。
体から力が抜け思考が混濁する。
視界が歪み体が崩れ落ちる。
それが毒の刃だったのだと気が付いたが遅すぎた。
すでに体は鉛のように重く、指一本動かすことすら出来ない。
まだ敵を倒しきれてはいない。
耳に響く荒々しく砂を蹴る音。
(あぁ。僕は死ぬのか)
太陽を遮る影を見、そう思ったところで意識は途絶えた。
………………
…………
……
どれほどの時間が経ったのか。
割れるような頭の痛みと、体中ひどい倦怠感を伴いながら、レイは目を覚ます。
砂の上に投げ出された体は、動かすと軽い痺れを感じた。
「お前は手を出すなと命令したはずだが?」
自分へと治癒の魔術を施しているテオに、憮然とした面持ちで言い放つ。
「最近のお前は自棄になりすぎだ」
レイを一瞥しテオは小さく息を吐く。
「うるさいっ! 誰に向かって……」
怒鳴りかけ、痛みに思わず声が詰まる。
「毒が抜け切れていない。今回は少し危なかった」
「……」
あの時、死ぬのならそれでも構わない。
そう思っていた。
むしろ後悔と未練ばかりを抱え、惰性で生きているより、砂に溶けて朽ち果てる方がいいとさえ思ったのだ。
自分を助けたテオに八つ当たりなのだと分かっていても、沸き立つ怒りをぶつけずにはいられない。
そして、そんな自分が無性にみじめで仕方がない。
「ピッー!!」
「!」
唐突に上がった甲高い鳴声に空を見上げれば、一羽の大鷹が太陽を遮るように翼をはためかせている。
「あの男の鷹か?」
イサーク・セサルは人の子ほどの大鷹を飼い慣らしている。
まるでレイを狙いすますように旋回し、徐々にその高度を落としてくる姿に緊張が走る。
死んでも構わない。
そう思っていても、諸悪の根源であるイサークが現れるのであれば、一矢報いたい。
ほとんどいうことをきかない体を何とか動かし、後数メートルと迫る大鷹を迎え撃つために、立ち上がり剣に手をかける。
「違う。あれは……」
同じく空を仰ぎ見たテオは吐息程の呟きを漏らす。
「!?」
大鷹はレイに襲いかからず、ただその足に掴んでいた不可思議な物体を落とした。
身構える暇もなく、それは太陽の光を受けきらめき、やがて一つの容となりレイの目の前に舞い降りる。
『レイ』
声がした。
胸を締めつける優しく温かく愛おしい声。
「なん……だ。これは? どういうことだよ? なんで……」
声だけではない、空から降り立ったそれは、ずっと恋焦がれていたその姿かたちがかたどられている。
美しい金の髪に澄んだ青い瞳。
透き通るほどに白い肌の少女。
紛れもなくリルディアーナそのものだった。




