遠い日の想い出
レイ視点。
それは遠い昔、始まりの日の話。
小さな頃に、母様とリンゲン国という小国に行ったことがある。
そこで、僕は“彼女”と出会ったんだ。
僕の母様は明るくて優しくて、とても無邪気な人だった。
王家に連なる貴族のはずなのに、ちっとも気取ったところがなくてお転婆で。
恐ろしく方向音痴な癖に、知らない国に行くのが好きだった。
イセン国王に嫁いだ後も、僕を連れてこっそりお忍びで、色々な国へ遊びに出かけたりした。
リンゲン国に行ったのは、仲の良かった知人が嫁いでいて、そういう縁で招待された晩餐会に出席するためだった。
事件が起きたのは、その国へたどり着いてすぐだった。
リンゲン国という国は、イセン国と違い、自然が多い長閑な国だった。
建物や人よりも木々や草花の方が断然多い。
そして、リンゲン国城ももれなくそういった場所だった。
「ここどこ? 母様?」
気が付いた時には、木々が覆い茂ったその場所に一人きりだった。
完全に油断していたのだ。
そこは城内の一角だったし、少しくらい母様の手を離して走っても、すぐに戻れるだろうと。
母様は超絶的な方向音痴。
そして、僕ももれなくその血を受け継いでいた。
そういうことを甘く考えていたのだ。
「どこ? どこにいるの?」
元来た道を戻ればいいだけだ。
そのはずなのに、行けども行けども、母様どころか、人影さえもない。
多分、最初の別れ道で間違えたのだ。
そうして次の別れ道で、城から更に遠ざかったのだろう。
周り中が草花で、上を見ても青い空と太陽と木々に覆い茂る葉しか見えない。
綺麗だと思ったその風景は、今は僕を飲み込む恐ろしい異界に変わる。
「うっ。ひっく……」
呼んでも誰も返事をしてくれない。
前に行けばいいのか後ろに行けばいいのかも分からない。
途方に暮れて涙が出てきた。
「どうして泣いているの?」
「!?」
誰もいないと思っていたのに、唐突に聞こえてきた声に飛び上がる。
「だ、誰!?」
「こんにちは」
「!」
姿を見せた意外な人物に言葉を無くす。
小さな女の子だった。
こんなところに女の子がいることも驚きだったが、それ以上に驚いたのがその容姿だった。
淡い薄紅色のドレスを着た女の子は、金の髪と青い瞳で、肌が透けるように白かった。
今までで初めて見る、ひどく人離れした姿。
「……」
声も出ない僕を見て、小首をかしげる。
「ね? どうして泣いているの?」
「ひっ。あ、うわっ」
顔を覗き込むように近づいてきて、僕は慌てて後づ去り、木の根に足を取られて派手に転んだ。
「大丈夫?」
「うっ。ひっく……」
転んだ痛みと、訳の分からない女の子が出現した混乱と不安から、声にならずにただ涙があふれ出す。
「どこか痛くしたの?」
明らかに自分より年下であるはずの少女は、慰めるように僕の頭を撫でる。
「……」
そこで初めて、僕は真正面から彼女を見た。
太陽の光を受けて、キラキラと金の髪が輝いていて綺麗だった。
僕と目が合うとニッコリと屈託なくほほ笑む。
「僕……」
どうしてか、ひどく胸の鼓動が大きくなっている。
嫌な感じではないけれど、こそばゆいようなひどくもどかしい気分だった。
「ん?」
胸の鼓動と連動して、体温が急上昇していて、うまく言葉が出てこない。
そんな僕を、物おじしない澄んだ瞳が見ている。
「帰り道が……分からない。母様とはぐれてしまって……」
「なぁんだ。そういうことなの。今日の晩餐会のお客様なのね」
女の子の言葉にコクリと頷く。
晩餐会を知っているということは、この子も招かれた客人なのかもしれない。
頭の片隅でそんなことを思う。
「大丈夫よ。きっとあなたのお母様が探してくれているはずよ。すぐに迎えが来るわ」
「来ないかも……ひっく。しれないよ……」
この子は、母様がどれだけ方向音痴なのか知らないんだ。
そうそう運よく僕を見つけ出せるとは思えない。
僕だって方向音痴だ。
もしかしたら、このまま会えないかもしれない。
そんなことを考えたら、また涙が出てきた。
「ううん。きっとあなたを迎えに来るわ。迎えが来るまで私が一緒にいてあげる。それなら寂しくないでしょう?」
「本当?」
「うん。あなたを一人にしたりしないから。だから泣かないで」
「うん!」
彼女は僕の手を握り元気づけるためか、歌を口ずさむ。
彼女の歌はひどく独創的で、その歌が自分も知っているものだと気づくのに、大分時間がかかった。
それと、彼女に見惚れすぎていた所為だというのもあるのだけれど。
彼女の綺麗な横顔と、そのちょっと変わったメロディーが僕の心に焼き付いた。
………………
「やっと起きたか」
身を起こすと、テオの呆れたような顔が目に入る。
仕事をしていたはずなのだけれど、いつの間にか机に突っ伏して眠りこんでいたらしい。
代理とはいえ仕事は容赦なくある。
書類関係はほとんど兄上に押し付けているが、期限ギリギリのものは僕が仕方なく処理している。
「すっかり暗くなってしまったね」
「もう少しでたたき起こすところだった」
そんなことを言いながら、肩にはきっちり毛布が掛けられていたりする。
「懐かしい夢を見ていたんだ」
「……」
「彼女とはじめて出会った時のこと。前に話したことあるよね」
「何の話だ?」
「リンゲン国で迷子になって出会った金の髪の女の子の話だよ」
「あぁ。お前が、金の髪とみると見境なく口説くようになった元凶のか」
「そういう話、リルディの前ではするなよ」
事実だから否定はしないが、実際、ただ髪が金色だというだけではダメだった。
僕はただずっと彼女だけがほしかったんだ。
「あの女は似ているだけだろう? そもそも黒髪だった」
「いいや。彼女だよ。今は黒髪だけどね。確かに彼女なんだ」
僕の言葉にテオは憮然とする。
「分かっているよ。リルディは兄上のお気に入りだ。だからテオは反対なんだよね?」
「……関係ない」
「そう? なら、テオは僕の味方だよね? 君は僕を裏切ったりしないよね?」
言葉にしなくとも、僕の意図する意味を感じとったのだろう。
テオは肯定も否定もせず黙り込む。
だけど僕は知っている。
テオが黙る時。
それは肯定だ。
「リルディは僕の物だ」
そう。子供の頃に出会ったあの時から、彼女を欲していたのは僕だ。
カイル兄上には渡さない。
たとえ、どんな手段を使っても。




