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「コニーの言った通り、証拠は差し押さえたよ」
「流石、お兄様。早いですね」
フィロメーナの電撃訪問の翌朝、コニーが部屋を出たところで鉢合わせたクリスティアンが教えてくれた。少し疲れた様子の彼は、たった今帰宅したようだ。朝帰りになるくらい忙しかった理由は、コニーがフィロメーナに託した手紙──オニキス侯爵の企みとディーチ子爵の動きの予想。どこでどんな会話をするか、何を仕掛け、何が起ころうとしているのか──コニーが思いついたことを一気に書き留めたものだ。
「やっぱりトーマスは黒だったんだね……」
「だから、何度も言ったでしょ!」
「いや、でも何かの間違いとか……」
「お兄様」
コニーがジト目を向けると、クリスティアンは溜め息を吐いて苦笑いを浮かべた。
「ごめん。それにしても、急に色んな予想を教えてくれるから、エリオット様も驚いていたよ」
「今なら何でも思い通りになる気がするんです」
乙女ゲームの攻略ルートが定まってきたからか、コニーが乙女ゲームの記憶を思い出してきたからか、この先の展開がいくつもどんどん浮かんで来る。
コニーはその中で不穏なものをエリオットに伝えたが、恋愛のあれこれはもっと展開が予想できている。
アーネストルートに入っていたら、あれやこれやでヒロインのピンチの時に救出に行くのを止められて、『例え愚かだと言われようと、俺は彼女と共にいたい』と皆に宣言してヒロインの元へ駆けつけるだろう。
ノアのルートなら、何だかんだと悪者に一緒に捕まってしまうが、『俺がどんな病気や怪我からも守る!』と告白して救出隊が来るまで身を挺してヒロインを守りそう。
アーヴィンは……ないな。これだけははっきり言える。ここからアーヴィンがヒロインと結ばれることはない。アーヴィンルートは消えた。
「……ねえ、コニー。予知能力って知ってる?」
うーんと呻き声を上げていそうな難しい顔で考え込んでいたコニーは、クリスティアンの声で現実に戻って来た。聞き慣れない言葉が出ていた。
「予知……能力?」
「これから起こることを察知することができる能力だよ。コニーは別の人間から観た物語の記憶かもしれないって言うけど、本当は予知でこれから起こることが見えて忠告してくれているんじゃないかな?」
クリスティアンはそう言うが、コニーは乙女ゲームの展開を知っているだけのはずだ。
未来がわかると言うのは、確かにそうかもしれない。でも、過去は?コニーはその先の展開もだけでなく、起こった出来事に至るまでエピソードも思い浮かべている。これは予知能力と言えるのだろうか?
「コニーは見たり聞いたりしてその後を予想することが多いみたいだから、それが予知なのじゃないかと思うのだけど……」
「……私にはわかりません」
「ああ……ごめん、コニーを悩ませるつもりはなかったんだ」
コニーがぐるぐると思考が廻り、わけがわからなくなっていると、クリスティアンが焦った様子で付け加えた。
「わからなくてもいいんだよ。こうして僕達を助けてくれているのは変わらない。ありがとう、コニー」
クリスティアンはそっとコニーの手を取ると、両手で優しく包んだ。
「ただ、そういう能力があるんだと認識して、誰かの物語ではなくて、コニー自身に危険が迫らないように力を発揮してほしいと思ったんだ」
実は最初から自分に危害が及ばないよう考えてコニーは動いているのだが……。最近は何だかんだとヒロインや悪役令嬢が気がかりで、しかもクリスティアンに言うより先に自分で動いてしまうことが多かったため、大分心配をかけてしまっているようだ。
コニーは何だか申し訳なく思った。
「これだけは約束して。例え誰かを助けるためでも、コニーが危険な目に遭うことをしてはいけないよ」
「わかってますよ、お兄様!私は私が出来ることをするだけです!」
「……本当にわかってるのかな?」
疑わしげな様子の兄に、コニーはにっこりと笑顔を見せた。
予知能力うんぬんはわからないが、コニーは考え得る危険を阻止及び回避をするだけだ。
だってここは、中世ヨーロッパ風と現代的なものが混ざった世界で、見目麗しい王族や貴族の子息、優秀な平民が通う学園があって、ご令息方は平民のうちの一人の女の子に興味津々。それに嫉妬した令嬢が嫌がらせを始めて、女の子に試練が降りかかる。
乙女ゲーム以外なんだって言うの?
──だから、コニーは今まで通り、乙女ゲームだと思って考えた。
アリサを危険から守り、パトリシアが取り返しのつかないことをする前に阻止する。皆がハッピーエンドになる方法を──
王宮に呼び出されたアリサは、帰りにアーネストと遭遇した。
彼が待ち構えていた、というのが正しいだろうか。用件を終えて部屋から出たすぐの所で、柱の影からアリサの手を掴んだのだ。
今回は人目に付かないよう配慮したようで、アーネストはすぐ近くの別の部屋にアリサを連れ込んだ。アリサに付いてくれている護衛達は相手が王子なので口を出さないが、その内の一人が一緒に部屋に入って来た。
「アリサ……体はもう、大丈夫なのか?」
誰かが常に側にいることに慣れているのだろう、護衛がいても気にせず、アーネストは気遣わしげにアリサを見つめて声をかける。
「ご心配をおかけしました。もうすっかり元気です」
アリサは掴まれていた手を引き抜きながら、平常心を心がけながら答えた。
内心、また襲われたのかと思って怖かった。アーネストはやはりそういうデリカシーが欠けているようだとアリサは思った。
だから、婚約者がいるのに、ちょっと気になる女の子へ気軽に高価なプレゼントをしたり、距離感が近くなったり出来るのだ。
「すまない、俺のせいだ。俺がアリサのことを……」
「殿下」
アリサが遮るように声を上げると、アーネストの顔が強張る。
「……殿下、だなんて……アーネストと呼んでくれ、と……」
「ごめんなさい、殿下。思わせぶりな言動をしたと思いますが、殿下のことは生徒会長としてお慕いしています。他意はありません」
アリサは深々と頭を下げた──アーネストと、この場にいない彼の婚約者に対して。
何も知らず、傷つけてしまった彼女には、機会を与えられるなら、きちんと謝罪したいとアリサは思っていた。
「今日は持ってきていませんが、髪飾りはお返しするようにします」
「……顔を上げてくれ」
促されて体を起こしたアリサの目に、泣きそうな顔のアーネストが映る。アリサの意志は伝わったようだ。
「渡したものは、このまま君が持っておいてくれ」
アーネストはぐっと顔を引き締めると、明るい声で続けた。
「何にでも一生懸命で、恐れずに挑戦する君は、俺の憧れだ」
婚約者がいる状況で不誠実だったけれど、彼は真剣にアリサを想ってくれたのだ。きちんと手順を踏んでいれば、アーネストとアリサが手を取り合う未来があったかもしれない。
「これからも、“友人”として仲良くしてほしい」
「……はい!」
笑顔で対面を終えることができた二人は気づいていなかった。少し離れた所から彼らが入った部屋をじっと見つめる人物がいることに……。




