娑婆へ
退院時の会計は一般窓口とは異なり専用の部屋で行われる。
荷物も多く体調も良くはない患者の事を気を使ってくれているのか大きめの椅子がカウンターの前に並び、座って、さらに隣の椅子に荷物も置いた状態で手続きが出来る。
そこで出された請求書には若干ひくものがある。六桁の数字がそこに並んでいたから。
予め調べていて覚悟していたとはいえ痛い出費なことは確か。
コレでも限度額適用認定証があるから助かったと言え、良い家電が買い換えられるレベルの医療費が掛かったことに苦笑するしかない。
身も懐も軽くなった俺はスマホを確認する。渡邉は急遽対応しなきゃならない電話が入り、来るまでに時間がかかると連絡が入っていた。
俺は院内の喫茶店で待つことにする。
久しぶりに飲むソーサ付きのカップに入ったコーヒー。
その何気ない当たり前の感じが社会に戻れた! という思いを湧き起こさせる。
ハァ
一口飲んで、幸せなため息をつく。
「相席いいかい?」
顔を上げると、オッサンが立っていた。
俺は笑い頷き、席を進める。
オッサンも舎弟が遅れているとかで、ここで時間を潰すことにしたようだ。
オッサンの前に置かれたのは鮮やかな色のクリームソーダ。それを嬉しそうに見つめるオッサン。
「じゃ、乾杯しよか! 自由に」
掲げられたクリームソーダに俺もコーヒーの入ったカップを掲げ応える。
俺にとって日常への第一歩はコーヒーで、オッサンにとっては甘く冷たいアイスの乗って汗のかいたグラスにタップリ入ったグリーンのソーダなようだ。
オッサンも俺が先程したようにクリームソーダを飲み幸せそうに笑い溜息をつく。
「ええなぁ、なんかこういうのって」
俺は素直に頷く。旅行をするとか、何か特別なことをするのではなく、こういうの何気げない事が嬉しい。
オッサンは俺を見て目を細める。
「兄ちゃんはさ、もうあんな所に戻って来るんじゃないぞ。若いんやから」
なんか本当にムショから出た人みたいな雰囲気になっている。
「再発させないように頑張りますよ!
オッサンも頑張って下さいよ」
オッサンは苦笑して顔を横に振る。
「俺はアカン。 仮出所みたいなもんやから。保釈状態と言えば良いのかな?」
オッサンはあくまでも抗がん剤治療をしただけの状態。まだ癌が消えたわけではない。
ガンの方が仮に寛解したとしても、常に再発の危険性が伴う。俺が何も言えずにいると、オッサンは笑う。
「今まで身体に世間様にも悪い事もやってきたし、俺は自業自得や。
でも兄ちゃんはちゃうやろ? 身体大事にしてやればいくらでもやり直せる。
だから頑張れ」
「俺も清廉潔白に生きてきたわけでもないですけどね。
ごくごく普通に平凡に過ごしてきただけで」
オッサンなりの優しさとエールが嬉しくてそんな感じの言葉を返してしまう。
「それがええんや! 普通って一番ええ事なんや。色んな意味でな」
病気になってからよく分かるその言葉。オッサンの言葉は健康のことだけでなくもう一つの意味も含まれるが、俺は素直に頷く。
「俺は色んな意味でアカン道に入り込んでしもうた」
いつになく真面目な顔になっているオッサン。
「でも憎まれっ子、世にはばかるって言うじゃないですか。だからオッサンは大丈夫ですよ」
あえて軽くそう返すとオッサンは笑ってくれた。
「お前な~。
まぁ、そやな。コレから憎まれモンとして頑張るよ」
そこで頑張られても困るような気もする。
オッサンのスマホが震えた。舎弟とやらからから連絡が来たようだ。
オッサンの視線を受けて振り返ると、派手なシャツを着た厳ついチンピラ風の若い男が嬉しそうに手を振りながら走ってきている。
「じゃ、兄ちゃん、達者でな!」
オッサンはそう言って千円札をテーブルに置いて立ち上がる。そして指が一本ない手をヒラヒラさせて去っていった。
チンピラな男がオッサンに走りより荷物を受け取り迎えている。そして二人は何やら楽しそうに会話しながら視界から消えて行った。
オッサンはオッサンの日常へと帰ったのだろう。
俺は少し寂しくなったレストランでコーヒーを引き続き楽しむ。三十分程して渡邉がやって来てくれた。
髪を綺麗に固めネクタイをしたワイシャツ姿のサラリーマン姿。一週間ちょっとぶりなのにその姿が懐かしい。
整髪料や制汗スプレー等の香り。俺の入院前の日常の空気を纏っている。
「佐藤、遅くなって悪かった!」
「いや、こんな事まで面倒見て貰って悪かったな。
大変だったな、ここで少し何か飲んで休むか?」
渡邉は顔を横に振る。
「車で散々飲み物飲みながら来ているから大丈夫だ。お前も早く家に帰りたいだろ」
俺の荷物を当たり前のように持ち、俺を外の世界に促す。
思いもしなかった渡邉の紳士ぶりに感動すると同時に少し照れくささを感じる。
「荷物くらい持つよ」
渡邉はニヤリと笑う。
「俺が野郎のお前にこんな親切するのは今日だけだ。
だからその貴重なシチュエーションを楽しめ」
こんなに人に気遣われるのも今だけにして、完治したら世話になった人、迷惑かけた人に返さないといけない。
「元気になったら、この恩必ず返すから」
「あぁ、でっけえ恩返し期待して待ってる!」
渡邉らしい言葉に俺は吹き出す。
「そう言えば清水の奴さ」
俺は渡邉の言葉に顔を上げる。
「部長に『お前のせいで佐藤がストレスを溜めこんで身体を壊したんだ! 悪いと思うならもう佐藤に迷惑かけるな』って言われて動揺してたぞ」
清水にはムカついていたのは確かだが、彼が原因で病気になったのか? というとそこまでの責任はないだろう。少し可哀想な気もする。
「部長からの伝言だ、アイツが何か言ってきても『お前の所為では無いから気にするな』なんて優しい言葉はかけるなと。
また頼ってきたら『ウッ、胸が苦しい』とかいって逃げろとさ。少しは突き放し自分で考えさせてやらせろと」
俺はその言葉に苦笑するしかない。まぁ俺が面倒見すぎていたのが、より奴の甘えを助長した面もあるのかもしれない。
これから物理的にも距離は出来るので、清水は清水なりに頑張って貰うしかない。
病院の玄関口を出ると、思った以上に太陽の光が眩しくて目を眇める。
入院した日は少し寒かった位で冬っぽい気候だったのに、気が付けば新芽が若葉が輝く春となっていた。太陽の光が何とも心地よい。
「娑婆か~。お天道様が眩しいぜ」
思わず出た俺の言葉に、渡邉は「なんだ、ソレ」と言って笑った。
「なんかそう言う気分なんだ。開放感が半端ないというか」
「そか……
兄貴、お勤めご苦労様でした!」
渡邉もノッてそんな言葉を返してくれる。
「おう! じゃ行くか!」
俺のそうして渡邉と一緒に駐車場に向かって歩き出した。
まだまだ【元気満々!】ではないうものの、佐藤君はシッカリ未来に向かって歩き出せました。
ここまで佐藤君を見守って下さりありがとうございました。




