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第二十三話


 勇者の存在意義を忘れる? そのようなことが有り得るのか。

 今、惑星ラーグが平和であるのは、勇者の活躍のお陰だと聞いている。果てしない絶望と憂いを経ての、ようやくの希望の存在。それが勇者であると。

 カシュヴァールさんがその時代を生きていなかったとしても、余波は少なからず受けているのではないのか。そうでもなければ、勇者への恭敬は、現在には存在しないだろう。


 不可解な現象に遭遇したように、怪訝にしている私へ、「兄上に指摘されたのだが」と前置きしたカシュヴァールさんは説明する。


「俺は自身で見たことばかりを、判断材料にしてしまいがちらしい」

「良いことじゃない」


 すなわち、人の言うことや噂話に左右されない。先入観を持たないということだ。

 自分で見て、聞いて、感じて。そこでようやく判断を下す。それは、情報ばかりが溢れかえった現代人に欠けた性質だ。

 旅番組やグルメ情報番組が根強い人気を誇っていることからも、言えるのではなかろうか。仕事家事育児等、様々な要因で多忙な毎日を過ごす中。実際にその地へと赴くのは、困難だ。しかしながら、和やかな雰囲気で各地を巡っている様を観察することによって、自分も旅行者となった気になれる。

 だが、それはあくまでも、その気になっただけに留まる。結果、その場所はこういった点が特徴で……というような情報ばかりが脳に蓄積されるのだ。実際にはどうであったか、という生きた感想は生まれてこない。目の当たりにして初めて生まれる所感が、存在しないのだ。

 ちなみに、営業トークの幅を広げるためにテレビ番組を観ていた私も、まさしくそのタイプである。その経験を経て思うのは、カシュヴァールさんのような人は希少であるということだ。知識に凝り固まった者よりも、好感が持てる。


「実際、今までは便益のみを受け取っていたから、そう気にしてはいなかった」

「ええ、分かるわ」

「だが、兄上は、視野を広げなければ悪い方向へと転がりかねないというお考えだった」


 私とは異なるルートヴィヒさんの見解とは、いかなるものか。気をそそられた私は、カシュヴァールさんを凝視し、話の続きを促した。カシュヴァールさんが排出する情報を少しでも多く汲み取り、整理することによって疑問を解せるように、耳へと意識を集中させる。


「案の定、兄上がおっしゃった通りとなってしまった。マヤのことを勇者としてではなく、ひとりの人間としてしか認識していなかったが為に、目の前で起きたことでしかマヤを判断していなかった」

「……」

「前触れもなく、無期限に面倒を見るようにと強いられる。渋々了承すると、数日後には屋敷にやってくると言う。此方の都合を考えない非常識さに唖然としながら対面してみれば、主人の席に我が物顔で座る、横暴さが目についた」

「……」

「薄っぺらい虚勢を張ることに懸命になっている癖に、被害者意識と高慢さを垂れ流すことは忘れない。そんな無価値な愚女に、我が家が浸食されると思っていた」

「……そういう目で見られていたのね」


 なるほど。

 カシュヴァールさんの目に、私という人物がどのように映っていたのかを聞き、驚きを隠せない。だが、それ以上に、納得をしてしまう。ゾッとするような見下す冷笑や、身を震わせて厭うほど侮蔑を向けられるのも当然の悪女として認識されていたのだ。

 だが、悪女に対して、ルートヴィヒさんやマリアンヌさんは友好的に――大人な対応と言った方が正しいのだが、カシュヴァールさんにはそのように見えたのだろう――接している。これ以上の近しい関係にならないようにと、カシュヴァールさんは必死に食い止めていたのだ。


 もう笑うしかないといった風に、ハハハという見え透いた空笑いが出てしまう。諦めと徒労から漏れた笑いだった。

 しかし、それを止めたのは、カシュヴァールさんだった。まだ続きがあると言うように、私へ向かって首を左右に振ったのだ。


「だが、訴えられて自覚した。俺は確かに、罪人だ。マヤの事情を一片たりとも考えていなかった――すまない」


カシュヴァールさんは、ゆっくりと頭を下げた。視線を下へやり、頭頂を此方へ差し出すその動作は、日本式の謝罪の身構えだった。

 私は、それをじっと見つめていた。私が何も言わないでいると、カシュヴァールさんは、そのままでいた。今も尚、お辞儀をしたままだ。まさか、私が許すなり許さないなりを言うまで、このままでいるつもりなのだろうか。


「まずは、頭を上げて」


 仕方がない。カシュヴァールさんへ向かって、柔く指示をする。

 私の言葉を受けたカシュヴァールさんは、その通りに、再び正面を向く。どのような結果であっても言うことを受け入れる、といったような真摯で曇りない顔をしている。


「……謝ってくれて、ありがとう。でも、カシュヴァールさんが謝ることではないの」

「いや、そんなこ」

「確かに」


 ようやく一仕事を終えた後のような、ぐったりと疲れ切った心を奮い立たせて。カシュヴァールさんの文言を、強い口調で遮った。だが、虚勢は長くは続かない。早くも息切れた私は、力なく続きを言う。


「確かに、カシュヴァールさんの態度には傷付いたわ。酷い態度だったもの、当然でしょう」

「そうだな」

「でも、そもそもなぜ冷たいのかという疑問が尽きなかったの。理由を色々と考えて、てっきり、ルートヴィヒさんと話す私に嫉妬しているのかと思ったわ」

「嫉妬?」

「ええ、おかしいけれど、それくらい私は私のことを悪いと思っていなかったの」


 思いがけないことを言われたといった様子で、カシュヴァールさんは、笑うか苦言を述べるか迷った末の、中途半端な歪んだ顔をした。

 当初、カシュヴァールさんから冷遇される理由について考えた際。ルートヴィヒさんに負担をもらたすマヤ・ハシバが気に入らない。ルートヴィヒさんが、弟である自分よりもマヤ・ハシバを優先することが気に入らない。そういった結論に至った。

 確かに前者は、合っている。私と家族が接することによって害悪がもたらされると考えていた訳だから。しかしながら、後者は、今思えば我ながら突拍子もなかった。


 ルートヴィヒさんの領主としての苦労を間近で見ていたからこそ、ルートヴィヒさんに対して深い尊敬をカシュヴァールさんは感じている。そうアンネさんは言っていた。であるならば、兄の苦労を軽減させたいと思うのは、自然な流れである。

 もしもカシュヴァールさんが、心の底からそれを願っているのだとしたら、自らの都合でルートヴィヒさんに労力を掛ける筈がないのだ。すなわち、嫉妬という勝手な感情を貫き、私を杜撰に扱い、ルートヴィヒさんの頭を悩ませるというのは本末転倒だ。

 ルートヴィヒさんに逆らってまでも偏屈でいたということは。それだけの理由があるのだと、辿りつけたに違いない。


「だから、私の方こそ、ごめんなさい。カシュヴァールさんの言われた通り、色々な面で考えなしだったわ」


 今度は私が、カシュヴァールさんへと頭を下げた。そして同じくして、「頭を上げてくれ」とカシュヴァールさんに声を掛けられる。

 顔を上げると、今までに向けられたことがないほどに和やかで温かみのある眼差しが向けられていた。それを受けた私は、自分の心がほっと落ち着いていくのが分かった。絡まった糸がスルスルと解けていくような解放感と安心感を自覚する。



「広い視野を持てば良かったな」


 ふと、カシュヴァールは溢す。それは、自身を顧みた独り言だった。


「深慮さを持てば良かったわ」


 私へ向かっての言葉でないと理解しながら。あえて、カシュヴァールさんに応えるように、私も私を顧みて言う。カシュヴァールさんは発言を聞き、キョトンと惚けた後。私の意向を汲んだのだろう。


「僻見せず、思いやるべきだった」

「客観的に自分を見るべきだったわ」


 先ほどよりもはっきりとした口調で、再度、自分を振り返ったものだから、私もそれに倣って見せた。

 私とカシュヴァールさんは、暫し見つめ合う。そして、二人同時に、嬉しさと恥じらいが入り混じった笑顔を漏らした。カシュヴァールさんの笑顔には、確かに、零れるような親しみが乗せられていた。私もきっと、同じだろう。



 気分は、雪解けだった。

 射し出でた陽によって、きらめく滴を乗せた新芽が顔を出す。どこからか吹く風は、優しい花の香りを含んで漂っている。


 もう大丈夫だ。

 希望が注がれた私は、生き生きとした晴れやかさで満ちていた。







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