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第二十二話


 待ち合わせの場所は、ベランダ。以前にも、ここでカシュヴァールさんと対峙したことがある。ルートヴィヒさんに私の生い立ちの話をした後、遅れてカシュヴァールさんがやって来たのであった。

 相も変わらず、ベランダから見える庭は見事である。時間が経過しているのだから、それに伴って庭も多少の変化が生じている筈。だが、どこがどう変わったのかということを、私は言えなかった。

 というのも、庭をまじまじと観察している余裕など皆無だったからだ。それだけこの待ち合わせは、私を打ちひしぐものだった。

 きっと私は、このベランダと相性が悪いのだと思う。つくづく、碌な事がない。


 以前ここで起きた騒動は、仕方がないと割り切れる。密会によって事を済ませることも出来たというのに、ルートヴィヒさんの含意を汲み取れなかった私が悪いのだから。

 しかしながら、今回は別である。私には何一つとして、落ち度はなかっ――いや、伝えてくれというカシュヴァールさんの願いを、安易に引き受けなければよかったのか? だが、口頭で済ませるものだと考えるだろうに。それを、「伝えることはできません」と断るのは、狭量である。

 重々しい書簡まで用意されるような大事だとは、誰が予想できるというのだ。


「はあ……」


 ずっしりと重い溜息が漏れた。


 私の気分を、少しでも軽くしようとしてくれたのだろうか。アンネさんは、追加のお茶菓子をそっと差し出した。たっぷりとバターを利かせた、サクサクと零れるようなクッキーの隣に、濃いオレンジ色をしたミニケーキが並べられた。

 アンネさんの心配りは、非常にありがたい。しかしながら、食欲は今一つ湧いておらず、クッキー一枚を食べただけで、満腹といった所。その上、私の心はすっかりささくれ立っている。癒しの効果は薄そうだ。


「マヤ」

「はい!」


 美味しそうなお菓子を恨めしそうに見ながら、ブツブツと独り言を言っていると。いつの間にやら、カシュヴァールさんが到着していた。

 今の今まで、そのことに気が付いていなかったために、驚きのあまり上擦った声を上げてしまった。決まり悪さに目を逸らしていると、カシュヴァールさんは私の正面へと着席する。そして、彼の飲み物は、すぐさまアンネさんの手によって用意される。

 お茶会の準備は、すっかり整ってしまった。


「折角の休息の時間に、すまない」

「大丈夫。それで、書簡というのは?」


 往生際悪くも、カシュヴァールさんと二人になる決心はついていなかった。しかし、時が来てしまったのだから仕方がない。こうなったら、早々に目的を果たしてもらって、ご退席願おう。

 カシュヴァールさんは、紅茶を一口たりとも口に含んでいないというのに。構わず私は、本題を切り出した。


「ああ……。これのことだ」


 珍しくも、カシュヴァールさんはのんびりとしているようだ。私の急いた様子を察した様子もなし。そして、カシュヴァールさん自らの目的であろう書簡のことも、私が口に出して、初めて思い起こしたようだった。


 真っ白な封筒を蝋で封じたものが、テーブルに置かれた。そのまま私の方へと、押し出される。確認すると、黒の万年筆で『ビバル・コニック』という宛名が書かれている。

 ミドスタン語の文字は、地球のものとは異なる。見慣れないそれを覚えるのは、至難の業であった。したがって、最近になってようやく読み書きができるようになった。とはいえ、未だ不慣れなことには変わりない。私には、字の上手下手の判断まではつかなかった。

 だが、彼の書く字は、おそらく美文字の部類に入るのだろう。というのも、初心者は癖字を瞬間的に読むことが出来ないのだ。にも関わらず、難なく読み取れたということは、基本に忠実で丁寧な筆記だということだ。


「コニックさん宛てね」

「ああ」


 字が美しいからといって、どうという訳ではないのだが。なんとなく、人の心を清々しくさせるものである。

 このような字で、近いうちに会う約束を取り付ける旨の文を送られて、気分を害する者はそうはいないだろう。そういった風に、存外すんなりと許容した私は、受け取った手紙をすぐさま懐へと仕舞った。


「確かに渡しておくから、安心して」

「頼む」

「ええ。それじゃあ、今日は時間を合わせてくれてありがとう」


 カシュヴァールさんへ向かってニコリと笑い、場を締めくくる口上を述べる。この間、カシュヴァールさんが腰掛けてから、十分にも満たない。

 つまり、どういう意図が込められているのか。どういう行動を起こしてもらうことを、私が願っているのか。確かに、感じ取っただろうに。それをカシュヴァールさんは無視し、数秒間黙りこくったきりである。


 結論は先に見つけているが、それに向かってどう段取りを組んでいこうかと悩んでいる、といった様相だ。

 何を思案しているのかは知らないが、今しなくてもよかろうに。部屋に戻った方が、よほど落ち着いて考えられるに違いない。


 もう一度、退席を促してみようか。そう思った私は、唇を動かした。後は、喉を震わすだけといった段階で。


「悪かった」


 一言一言が慎重に発された、落ち着いた言葉が、耳に届いた。

 幻聴か、何かだろうか。謝罪を耳にするなど、有り得ない。反射的に、自身の聴力を疑ってしまう。

 半開きになっていた私の口からは、「……は」という空気が抜けたスカスカの音が発せられる。それを、聞き返したものだと判断したのであろうか。


「悪かったと、思っている」


 と、再びカシュヴァールさんは言った。それによって、聞き間違いでないことを確信した私は、今度こそ、雷に打たれたような気分だ。

 一体全体、何の話だろうか? 生憎と私には身に覚えのないことだ。もしや、書簡を預からせて悪かった、ということだろうか。いやいや、いくらなんでも大袈裟すぎる。

 頭の中が大混乱中の私とは違って、カシュヴァールさんは、人里離れた湖のよう。心に波風ひとつ立てていない。

 そのように平静なカシュヴァールさんであるから、いかにも弱ったという風に眉を垂れ下げる私が考えることなど、見透かしていた。


「先日、話し合いをしただろう」


 カシュヴァールさんの発言が、私の記憶を刺激する。


「――もしかして、玄関ホールでのこと?」

「ああ」


 私はその日、玄関ホールという、誰が見聞きするのか分からないような場所でカシュヴァールさんと口論をした。

 平常時であれば、カシュヴァールさんの鋭利な主張を受け流すことが出来た。しかし、その日は不幸なタイミングが重なっていた。修道院への初出勤を終えたばかりだったのだ。つまり、元々気落ちしている所に、私は追撃されたのだ。

 これによって私は、感情を剥き出しにするという、恥辱にまみれたみっともない振る舞いを見せてしまったのだ。


 私にとって好き好んで話題に出す事柄ではないのは、言うまでもない。だが、カシュヴァールさんにとっても、おそらくそうだ。何しろ、あれだけ私に小生意気な口を利かれたのだ。腹立たしい汚点であると、推測する。

 カシュヴァールさんの謝罪が、あの夜の出来事に関係すると考えなかったのは、そういう事情からだった。



「マヤの話を聞いた時、考えていた。“利用されることを了承した”とはどういうことなのかと」

「そういえば、確か。あの時も、私に同じことを聞いたわね」

「ああ。だがマヤは、俺が知っていることが当然といった反応だった――だから初めは、ブルジョワ制度のことかと考えた。だが、アレは守護関係を結ぶものだから、マヤの言う利用“される”には該当しない」

「……」

「そこで思ったのは、俺の知らない何かを了承する約束事を、マヤが交わしたということだ」


 モンセン家屋敷内で私の事情を知っているのは、カシュヴァールさん、マリアンヌさん、アンネさん、ヘルメスさん。そう言っていたのは、ルートヴィヒさんである。重要なことであるがために、強く記憶したのだから、間違いはない筈。

 であるからして、当然、私の事情のひとつである政治的利用の件も、カシュヴァールさんはてっきり認知しているものだと考えていたのだが……。


 それに、勇者が傍にあるだけで家柄の価値が向上するらしいことは、常識とも言えるのではなかっただろうか。

 惑星ラーグには、他にも勇者として扱われる地球人が現在している。そしてその多くは、私と同じように、貴族に守護されているらしい。地球人と直接的な関わりはなかったとしても、守護する貴族との交流。もしくは、貴族社会で流れる噂で、貴族に守護される勇者がどのように扱われているのかということを、知る機会はきっとあるだろう。

 それを踏まえた上で思うのは、カシュヴァールさんが私の扱いについて無知で、全くの蚊帳の外というのは不自然だということ。


「しかし、どうにも可笑しいのは、マヤはそれを周知の情報だと扱っている上に、ヘルメスやアンネも知っている風だということだ」

「つまり?」

「つまり、俺は何かを失念しているという結論に至った」


 忘れる。それは、場合によっては手落ちとなることだ。多くの者は、人目につかないように引き出しの奥底へと隠してしまいたいと思うだろう。

 だが、そういった私的な事情を、見渡せる限りは徹底的に排除するという姿勢で、淡々と判断が行われている。そして、その終着点を、平然とカシュヴァールさんは晒して見せた。


「それを裏付けるために、ブルジョワ制度を管轄する機関へと問い合わせも行った」

「ベイツさんと連絡を取ったの?」

「ああ。確かそういう名前だったな――まあ、返答はもらえなかったが」

「それは残念ね」


 そうだろうとも。いくらカシュヴァールさんがルートヴィヒさんの身内であったとしても、ベイツさんには情報を秘匿する義務があるのだ。それを、ベラベラと説明してしまうような脇の甘さは持ち合わせていないだろう。

 しかし、私は瞼をパチクリとさせ、カシュヴァールさんを観察した。


「そうでもない」


 私の頭の中には、疑問符が飛び交っていたからだ。

 態々連絡を取ったというのに、分からないまま。骨折り損とも言えるだろうに、カシュヴァールさんは全く堪えていなさそう。それどころか、足跡の付けられた場所を辿ってこいと言われたかのような、不敵な余裕すらも感じられるのだ。


「疑問は解消しなかったんでしょう?」

「ああいう根がお人好しな人は、線を引こうとしてもどこかで引き切れていないものだ」

「……まさかとは思うけれど、失礼はなかったのよね」

「勿論。物腰から察しただけだ」


 筋肉質な体系とは言い難いベイツさんではあるが、大の大人。その上、幾人もの部下を従えている。そんな彼が、厳しく問いただされただけで口を滑らすとは思えないため、ほんの一瞬、頭に過らせただけなのだが。ベイツさんに詰問をしたのかと、疑ってしまった。

 渦巻く疑惑を受けたカシュヴァールさんは、笑みを作ろうとしたが失敗したように、右側だけが不自然に上がった表情を作った。

 カシュヴァールさんがベイツさんへ失礼をしたのではなくて、私がカシュヴァールさんへ失礼をしてしまったか。非礼を詫びると、軽く手を振って応えられる。


「――それで、俺の考えが間違いではないことを確認した後、兄上へと確認を取った。兄上は、“だと思った”と納得してらしたよ」

「ルートヴィヒさんは、カシュヴァールさんが何かを忘れていることに気付いていたのね」


 カシュヴァールさんの性格を熟知し、よく見ているなとは思っていたのだが。本人さえも具体的には出てこないものに検討を付けるとは。

 感嘆していると、カシュヴァールさんは、私にはよく理解できないことを言い出す。


「ああ。俺は、勇者がどういう存在か。マヤが勇者のひとりであるということを忘れていたらしい」








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