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第十九話


 モンセン家の屋敷内に入ると、シャンデリアが玄関ホールを照らしていた。そこにぶら下がっているカッティングされた石は、ベイツさんの所で照明器具として用いられていたものだ。職人の技術が駆使されたことにより、装飾的な美しさをも持ち合わせていた。

 だが、その明るさとは裏腹に。私の心には、暗雲が立ち込めていた。

 原因は、修道院での出来事にあった。


 コニックさんは、修道院での私の働きに期待してくれているようだった。子ども達に、世界は優しいと教える。そのような大役の一端を、私が担えると思っているようだった。

 しかし、私自身の考えは、コニックさんとは正反対だった。一日修道院で過ごすだけで、私には重荷だと痛感したのだ。私は、平和ボケしている上に、浅はかだ。そのような人間に、傷ついた心を癒すことが出来るだろうか。不可能としか思えない。

 その一方で、今更断ることなど言語道断だとも分かっていた。なにせ、子ども達と対面してしまっているのだ。三日に一度会いにくる。そう言ったのにも関わらず、早々に約束を破っては、大人に対する不信要素がまた増えるだけ。

 どうすれば良いのか、決心が付かない。


 沈んだ表情で考える私の耳に、上階からの足音が届く。見上げると、手すりに手をやりながら階段に立ちどまった。私を見下ろした、カシュヴァールさんがいた。


「ごきげ……」

「聞いているよ」


 挨拶をしなければ。そう思ったところで、先手を取ったカシュヴァールさんが、温度のない声で言う。


「夕食の時間になっても来ないから、どうしているのかと思ったら。コニックの所へ行っていたらしいな」

「え、ええ。修道院で仕事をすることになったから」


 ルートヴィヒさんに迷惑を掛けている訳ではなく。自立へ向かっての行動だということを強調する。

 だが、カシュヴァールさんの彫刻のように固い冷酷さは変わらない。むしろ、私の愚かさに呆れ返り、無価値のものを見る目付きへと変化したようだ。

 道端に落ちているゴミへ、特別な感情を抱く者はいない。背景の一部として、見ないものとされる。存在を認めるボランティア団体ですら、ゴミ袋へそれを放り投げる際は、不潔なものを触った嫌悪で顔を顰める。

 カシュヴァールさんにとっての私は、それだった。


「仕事? 大した言いようだな。いい気なものだ」


 そうは言われても。別に、偽りや誇張はない。


「良い気なんて……」


 胸を張って、否定できることの筈なのに。口から出たのは、気弱な反論だった。

 というのも、ただでさえ落ち込んでいた時に、追い打ちを掛けてこられたということで、打ちひしがれてしまったのだ。

 カシュヴァールさんは、一体何が気に入らないのか。いや、私のやること全てが気に入らないのか。ならば、中途半端に関わらなければ良いのに。いっそのこと一切の無視をしてくれれば、カシュヴァールさんに辛く当たられていることを、見ない振りが出来るのだから。


「そうか? 目先のことしか考えない気楽者に見えるが」

「確かに、考えなしだったのは認めるけれど」


 私がもう少し知者であったのなら、引き受ける前に、自分の器を把握していただろう。そうして、今とは違う選択を取っていたに違いない。

 そう思うからこそ、痛烈な言葉が、胸に深く刺さる。抜けない釘のように鬱陶しく、重苦しいものが、私の中に沈殿する。


 塞ぎ込む私を確認したカシュヴァールさんは、おや、という顔を見せる。そして、数秒間の間を取った後、納得げにし出した。


「……ああ。修道院の状況に落ち込んでいるのか。それとも、思ったようにいかなかったか?」

「どうして」


 その通りだ。これほどまでに易々と見抜かれるほど、軽率であったというのか。

 ぎょっとしながらカシュヴァールさんを見つめるが、彼の態度は超然としたのもの。


「モンセン家領内の様子くらい、把握しておくのは当然だ。それを加味すれば、考えくらい見通せる」

「カシュヴァールさんも、あそこに行ったことが?」

「ああ。“仕事”でな」


 発言に、私に対しての嫌味が含まれているのは理解している。だが、それも気にはならなかった。それ以上に、カシュヴァールさんが修道院で職務を全うしたというのに、驚きを受けたのだ。

 私が請け負った仕事と完全一致ということはないだろうが。修道院に赴く。つまり、そこで暮らす子ども達と顔を合わせる可能性があるということだ。数秒間の接触であったとしても、メンタルにマイナスの影響を与えないための対策は取られているだろう。

 程度の差はあれど。それはつまり、私の仕事の基本方針と同一の方向を向いている。

 年下である二十歳そこそこのカシュヴァールさんが、私に出来ないことをこなした。それは、頭をガツンと殴られたかのような衝撃だった。


 私がショックを受けていることすらも、カシュヴァールさんにとっては滑稽なのだろう。


「まさか、お前だけが特別とでも思っていたのか?」


 私は、鼻で笑われる。


「お前以外に、修道院で働くに相応しい人材はいくらでもいるに決まっているだろう」

「じゃあどうして……」

「お前のためだよ」


 私? 子ども達でも、モンセン家の誰かでもなく、私のため?

 あまりにも想定外の発言に、それの意味をしばらく理解できなかった。私が何も言わないものだから、カシュヴァールさんは、そのまま続ける。


「何がしたいのか知らないが、お前は自分を装ってばかり。それでうまくやっているのなら構わないが、実際はお粗末なもの。その上、それを自覚していないという悲惨な有様だ。実際は、内面も状況も、独り立ちからは程遠いというのにな」


 モンセン家に頼り過ぎているという非難かと、一瞬思う。だが、よくよく聴いてみると、“内面も状況も、独り立ちからは程遠い”つまりは、私自身が未熟者だと言われているわけだ。そして、自立したいと言う想いが、空回りしていると。

 つまりは、「もう大人なんだから!」という具合に、一人前を主張する子ども扱いされているのである。それも、美代と同年代の男の子から。


 屈辱だ。羞恥を平手のように受けた私は、顔を赤らめさせた。唇をわななかせ、何かを言おうとするが、なかなか言葉が出てこない。私の反論を待たずして、カシュヴァールさんは、言葉を重ねる。


「未熟なお前を成熟させるために、兄上は環境をご用意されたんだ――兄上ほど優しくないから言うが、お前は非力なんだよ。」

「だ、だけど、私だって見知らぬ場所で努力して――」

「不出来な奴が物事を抱え込んだところで、マイナスな結果しか生み出さない」


 そんなことも分からないのか? カシュヴァールさんの冷たい視線は、そう言っているようだった。

 そこから思い出すのは、今年入社したばかりの新入社員のこと。新入社員は、仕事内容を理解していないにも関わらず、仕事をはいはいと請け負った。そんな状況で、割り当てられた仕事をこなせるわけがない。後になって、私や他の社員が、尻拭いをする羽目になったのだ。

 なぜそんなことになったのかというと、自分の力量を見誤った上に、物事を勝手に判断していたからだった。分からないなら分からないなりに、取るべき行動があるというのに――。


 新入社員に対して思ったことと同様のことを、カシュヴァールさんから指摘されている。その事実が、海の真ん中に放り出されたような、呆然とした気持ちにさせる。


「それに、見知らぬ場所で努力しているのはお前だけじゃない。その誰もが、努力している」

「……分かっているわ」


 異世界人は、私だけではない。私だけが、理不尽な境遇に置かれている訳ではない。そう知った時、確かに私は、心強いと感じたのだ。ともすれば私も逆境を乗り切っていけるのではないか、と。

 だからこそ。私が努力しているのと同じように、異世界人の誰もが。もしかしたら、私以上の努力を重ねて、惑星ラーグを生きている。そういったカシュヴァールさんの指摘は、間違いないと思う。

 しかし、カシュヴァールさんは、納得がいっていないようだった。


「本当に分かっていたら、被害者面で、与えられるのを当たり前のようにはしていないと思うがな」


 砂を嚙んだかのような、疎ましい不愉快な気持ちが露骨に表情へと現れている。嫌で嫌で堪らないといった感情は、音が発されるごとに、激しくなる。


「お前一人のために、どれだけの人間と金が動いたと思う? 無期限で人を屋敷に置かなければならない。それも、丁重にもてなさなければならない。――お前のために兄上が、どれだけ奮闘したか」


 考えていなかっただろう。そして、それがお前の罪なのだ。

 吐き捨てるように言ったカシュヴァールさんは、「お前を見ていると、心底嫌気がしてくる」と、美しい顔を歪めた。







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