第十八話
修道院は、小丘の上にそびえていた。建物全体が白塗りしてあり、清らかで清潔感溢れるそれは、予想以上に立派である。財が注がれているだけあって、しっかりした建築物だ。これならば、向こう何十年かは住めそうである。だが、実際には、どうにも気安く近寄ってはならない気がする。外界と遮断する分厚い外堀が、閉鎖的だからだろうか。
そんなことを考えながら、馬の尻尾のようにゆらゆらと揺れる、一つに束ねられた茶髪を見つめていると。その動きが、停止する。
「こちらになります」
振り向き、私の入室を促すのは、修道院長であるビバル・コニックだ。黒の修道服を身に纏う彼は、眼鏡の奥にある緑がかった茶の瞳に、笑みを浮かべる。その目元には少々の皺と、うっすらと隈がある。三十代そこそこに見える彼の第一印象は“疲れた人”だった。
「失礼します」
「どうぞ、お掛けください」
「ありがとうございます」
院長室に案内された私が席に着いたのを、コニックさんは確認する。そして、私の正面に座ると、朗らかに笑った。どうにも、気の抜ける人だ。
「修道院で手伝いをして下さると聞いています。改めまして、私はビバル・コニックといいます。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、お引き受け下さりありがとうございます。マヤ・ハシバです。よろしくお願いします」
「戸惑うこともあるかとは思いますが、子ども達は、良い子ばかりです。なんでもお尋ね下さい」
「はい、ありがとうございます」
きゅっと身体を固くしながら、私は頷いた。
実は私は、どちらかといえば子どもが苦手だった。知人が産んだ子どもと会うこともあるが、“可愛い”の一言を述べた後は、特に関わることもない。私が無関心でいると、子どもも子どもで、勝手にひとり遊びを始めてくれる。
別段、苦手になった切っ掛けがある訳ではない。理屈が通じなかったり、遊んでやるために私がおとぼけな行動を取ったりしなければならないことが、困惑させるのだ。
その上、今回の場合は、ミドスタン語しか通用しない相手だ。幸いなことに、コニックさんは日本語が話せる。だが、子ども達はそうはいかない。ただでさえ不得意な相手に、不利な条件が加算されたことを、苦々しく思ってしまう。
これから先、午前八時から午後六時という長時間を三日に一度の頻度で、子ども達と過ごさなければならない。日本では、五日間の連続勤務。場合によっては、休日出勤もしていた。それを考えると、随分緩やかな勤務時間だ。
だというのに、足の不安定な椅子に座っているような心許なさを感じてしまう。
「モンセン様より、子ども達の置かれていた環境についてご説明を受けていますか?」
「はい」
「なら、大丈夫ですね」
ちなみにであるが、修道院にいる間は、ルートヴィヒさんともアンネさんとも別行動を取ることとなる。
今日は初日ということで、執事のヘルメスさんが修道院まで付いてきてくれた。だが、コニックさんと何やら少々話した後、先に帰宅してしまった。次回からは、修道院には私一人で赴くこととなる。とはいえ、馬車で片道三十分の距離を、送り迎えしてもらうのだが。
「モンセン様は幾度も修道院へいらしておいでです。ある種では、私よりも修道院に関してお詳しい」
視察なのであろうが。複数回修道院へ足を運んでいるらしいルートヴィヒさん。子ども達に対して同情的であったのも、頷ける。
「さて。ハシバさんにお願いしたいのは、子ども達の自立の手助けをすることです。その上で、まず大切なのは、信頼関係を築くことです」
「と、言いますと?」
「子ども達と一緒に授業を受けて、食事の支度や洗濯を――そうそう。子ども達は、食事の支度も洗濯も、自分達でしています。そういった活動を、子ども達と共に行って下さい」
同じ時間を、同じような行動を取りながら過ごすことは、仲間意識を生みやすくする。小学校や中学校の課外授業の一環で、キャンプ等があった際には、数人のグループでカレーなどの調理を行ったものだ。それはおそらく、人間関係を構築するための勉強だったのだろう。
なるほど。コニックさんが言っているのは、それと類似した効果を狙ったものか。
「あくまでもサポートをするつもりで、手を出し過ぎないようにご注意下さい」
「分かりました」
「焦らず気長にいきましょう」
性格も年齢もバラバラな子ども達。当然のことながら、大人に対する警戒心の程度も異なると、コニックさんは言う。なかなか信用を得られないからといって焦っては、かえって不信感を生む結果になるのだそうだ。とはいえ、慎重に慎重にとし過ぎても、逆効果。
なんと難しいことを言うのだ……と内心で顔を顰めていると。「誠実に飾らずにいることを、大切にしてほしい」という、ルートヴィヒさんの言葉を思い出す。
あれは、子ども達と接する上での関門を突破するための、ヒントだったのではなかろうか。
気長にいくということは、信用を得るために行動を起こすのは不自然だ。そして、失敗してはならないと構えていても、相手に警戒心を抱かせてしまう。
要するに、ルートヴィヒさんが言うように、真心を持って媚びずに自然にいくしかないのだろう。
方針が定まった所で、コニックさんの、子ども達に会いに行こうという提案へと、頷いた。
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『三日に一度ではありますが、此方でお世話になることになりました。マヤ・ハシバです。よろしくお願いします』
子ども達が普段勉強をしているらしい教室。そこには、長机と椅子が規則的に並べられていた。座席は、前から詰めて定められている。子ども達は全員で十三名であるため、教室の後ろは、がら空きだった。
ひとりひとりの顔を確認しながら、挨拶を行った私。それに対する反応は、やはり様々だ。
比較的幼いのであろう子は、子犬のような無邪気さがある。好奇心ではつらつとしている。それと対照的なのは、年長者と思われし子。能面のように冷たい顔をしている。だが、その目には、私という人物に対する警戒心があった。
『院に関しては、皆さんの方が先輩です。ハシバさんが馴染めるよう、色々と教えてあげてください』
コニックさんの言葉に、子ども達は元気いっぱいに、了承を返す。
『結構です。それでは、ハシバさんは後ろの席に座って下さい』
一同の背中を確認することの出来る場所。そこを指定されたのは、学習することが第一目的ではないからだ。授業中に子ども達の動きを観察し、それぞれの性格に対する理解が深めなければならないのだ。
例えば、先ほど無表情で私を観察していた男の子。彼は、素直な一面もあるようで、コニックさんの言うことには頷きを返している。また、隣に座っている幼い子が問題集に手間取っていたら、手助けをしてやるような優しさもあった。もっとも、元来の性格が照れ屋なのか。素っ気ない態度ではあったのだが。
このように私は、授業時間に性格を掴み、食事の準備を通じて交流をした。だが、成果は思ったほど上がらなかった。
私へ興味ありげにしていた子どももいた。だが、そういった子が私に話しかけないようにと、周囲が制止していたのだ。代わりに私の相手をしてくれたのは、ある程度年齢を重ねた子ども達。そこでは、一線を引いた会話が交わされるのみだった。
一日の終わりに、不如意さに顔を沈ませていると。コニックさんが、私の肩を叩いた。
「今日はお疲れ様でした。……落ち込まれているようですね」
「お疲れ様でした。落ち込むというか。ままならないな、と思いまして」
「まだ初日ですから」
子ども達の経歴を考えると、一長一短ではいかないと思っていたが。仕事として来ているというのに全うできないのが、じれったかった。
まあ、子どもが苦手だと自覚している私なのだ。コニックさんが言う通りで、初めからうまくいく方がおかしい。
「そういえば、子ども達は思ったよりも少人数なんですね」
丸まっていた背筋を伸ばす。気分を変えるために、明るい声色を意識しながら、コニックさんに問い掛けた。
「ああ……」
修道院の建物の規模から考えると、数倍の人数であっても収容できそう。検討付けていた子ども達の人数よりも、随分少ない。全員を把握できるか心配していたのに拍子抜けしてしまった、とコニックさんへ説明する。
「ハシバさんのお考えは、ある意味では正しいですよ。この修道院には、百人近くの子ども達がいた時期もありますから」
「そうなんですね。では、その子達が養子になったのと同じように、今いる子達もいずれは?」
「……いえ、養子になっておりませんので」
世界の絶望をひとりで飲み込んだかのような、暗鬱さ。コニックさんが浮かべているのは、そんな表情だった。何かあるのか、とハッとした私は、息をのんで口を噤んだ。場を和ますために、コニックさんに向かって浮かべていた笑顔は、すっかり強張っている。
「悪環境の修道院は、免疫力の低い子どもの体力を奪います。入院した子どもの過半数は、入って一か月も経たないうちに命を落とします。生きていたとしても、長らく続く過酷な環境に耐えきれない者も」
「じゃあ、今この修道院にいるのは、生き残った……」
「はい。だから修道院の子ども達は、子ども達同士で身を護ろうとするのです」
私は、平和ボケしている。子ども達が苦痛の日々を送っていたという予備知識があったというのに、それが死に結び付くということを、考えもしなかった。
虐められた子ども達はルートヴィヒさんという善人の手によって救われましたとさ、めでたしめでたし。そういったおとぎ話を、頭のどこかで期待していたのだ。ちっとも現実を見ていない。
考えなしで不用意な発言を、子ども達の前でしてしまっていたことを考えると、ぞっとする。傷ついた心に、塩を塗り込むようなものではないか。私は、頭から水を掛けられた。
「だからこそ、私は子ども達に、世界は優しいと教えたいのです」
私が何も言えないでいると、コニックさんは、私に向かって首を垂れた。そして、泣き出すのを堪えているような。絞り出すような声で、ご協力をよろしくお願いします、と言った。




