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第十六話


 長く続いた私の話を、ルートヴィヒさんは単調に聞いていた。その間、質問等は一切ない。それどころか、相槌すらも皆無で、いつからか独り言を言っているかのような錯覚に陥っていた。


「会うことが少ないとはいっても、姉として社会人として、実家に行かなければといつも思っていたわ。だけど、ミドスタン王国に来たことで、私の意志でどうにか出来る問題ではなくなった」

「……」

「日々の葛藤から解放されたの。その一方で、会えないと思うと、家族の顔を見たいという気持ちも生まれる。だけれど、会ったところでどう接すればいいのか……」


 ここで久方ぶりに、ルートヴィヒさんの目を見る。無表情の彼は、何を考えているのか。感情を読み取ることができない。


「だから、自分がどうしたいか言えないのだと思う……これで私の話は、終わり、です」

「そうか」


 ぎこちなく、話の終りを告げる。居心地の悪さを感じる私の状態も素知らぬまま、ルートヴィヒさんは何かをじっと考える様子だった。何時間にも感じる無言の時を過ごした後。ルートヴィヒさんは、私の痛いところを突く。


「事情は分かったが、いつまでも部屋にいたところで疑問が解消されないことは理解しているな?」

「ええ……」


 逃げてばかりの行動を諌められる。情けない思いが膨れ上がり、項垂れざるを得なかった。


「だが、マヤがミドスタン王国について学んでいたことは尊むべきことだ」


 まさか、この場面で褒められようとは。思いもよらないことだった。驚きのあまり、太ももに向けていた顔を上げ、ルートヴィヒさんを見つめる。ルートヴィヒさんは、思いの外優しげな眼をしている。


「ミドスタン語も随分上達したと聞いている。それを活かして、私の仕事を手伝ってはくれないか」

「仕事?」


 引き籠り生活から脱却するために、役割を与えてくれようとしているのだろうが。唐突さに、呆気に取られてしまう。

 いくらミドスタン語に上達が見られたからといって、それは私基準での成長だ。一般的には、未熟なのは明らか。私にルートヴィヒさんの手助けが出来るかは、疑問である。


 とはいえ、仕事という響きは、非常に魅力的だった。ミドスタン王国の使用人のレベルが高すぎて、働くことを断念した私。だが元々は、モンセン家に世話になるにあたって、何かしらの手伝いはしたいと思っていたのだ。

 その内容を、ルートヴィヒさんが割り当ててくれると言っている。私の能力を知っているルートヴィヒさんのことだ。力不足で仕事が半端に終わり、迷惑を掛けてしまうという悲惨な有様は、回避できるような気がした。


 話くらいは最後まで聞きたいという欲求に、抗えない。


「モンセン家の領土拡大の件を知っているか?」

「ええと、財政難で没落した貴族の領土を引き継いだと聞いているけれど」

「そうだ。数年間は、領土の引き継ぎ作業と建て直し作業を行っていた。今では比較的持ち直したとはいえ、完全ではない」

「……まさか。残っている作業で、私に出来ることがあるとは思えないわ」


 領土の件で残されていた仕事を、私に回したいというのが、話の自然な流れだ。だが、政治はおろか、言葉すらもおぼつかない。そんな私に、大役が務まる筈がない。ルートヴィヒさんの正気を、図らずも疑ってしまう。

 だが、怪訝にしている私を、いつも通りの顔立ちでルートヴィヒさんは迎え入れた。そして、そんなことはないとばかりに、首を左右に振って見せた。


「引き継いだ領土には、貴族支配の管下にあった修道院が建設されていた」

「修道院?」

「ああ。簡単にいうと、聖職者育成などの目的で建てられる宗教機関だ」

「なんとなくは分かるけれど――ミドスタン王国では、宗教組織も、貴族支配の影響を受けるのね」


 貴族階級の影響を聖職者階級は受けず、独立しているというような文面を、歴史の教科書で確認したことを覚えている。そのため、ルートヴィヒさんの言うことに、違和感を覚えてしまった。思わず聞き返すと、修道院という単語の意味が分からないものと、ルートヴィヒさんは受け取ったらしい。


 日本人の多くは、自分が何の教徒を信仰しているのか明確に答えられない。かといって、日常に宗教が皆無と言うことではない。お正月やクリスマスといった儀式が浸透していることからもいえるだろう。

 八百万の神とはいうが。私が思うに、多神教信仰者なのだ。

 だからという訳ではないが、一神教信仰者と比較して、修道院や教会といった宗教機関に馴染みがなかった。ルートヴィヒさんが、単語の意味を分からないとしたのも、否定は出来ない。


 とはいえ、甘えてはいられない。乏しい知識を掻き集めて、ルートヴィヒさんの話に付いていかなければ。気合を入れた私は、ルートヴィヒさんへと問い掛けた。


「マヤの認識で構わないが、教皇権の範疇外の修道院も存在する」

「初めて聞いたけれど」

「貴族自らの領地内に建設することで、宗教と生活を関与させたり、死後の埋葬をさせたりする目的のものだからな。知らないのも無理はない」


 私は、なるほどと一つ頷く。


「その修道院だが、それだけのために活用されていたのではないのが問題だ」


 確かに、二点の目的の為だけに莫大な費用を投じる必要があるのかは疑問である。教皇権の範疇にある修道院であっても、やりようによっては目的を達成できそうな気がするからだ。どこにでも汚職は存在するものだ。大金を積めば、良いように出来る修道院がきっと出てくるだろう。

 と、そこで私は、ルートヴィヒさんがどこか苦しげにしていることに気が付いた。ルートヴィヒさんの澄んだ青の瞳が、理不尽に耐える色を宿していたのである。


「貴族の子どもは、常に相続問題の当事者に置かれている。持て余された者。兄弟姉妹の中で不出来な者。一族の利益に成り得ないと判断された者。そのような者は、修道院へと入れられた」

「………」

「また、領民も例外ではない。かの地は、酷税が敷かれていたのだからな。そこで生まれた貧困層の児童や、病弱な児童は、家庭の厄介者として修道院送りだ」

「じゃあ、その子達は……」

「いわば、不要物とされた者達だ。困窮状態の修道院で、どのような扱いを受けていたかは、マヤが想像した通りだろう」


 人間らしい生活を送ることができなくなるまで追い詰められた、幼い子供たち。目を覆いたくなるような光景が、脳内に過ぎった。それはイメージの産物だというのに、息苦しさと不快感が、容赦なく私を襲った。

 かわいそう、と言ってはいけないだろう。だが、他に適切な表現が浮かばない私は、なかなか言葉を発せなかった。「その子達は今?」と尋ねるので精一杯だ。


「未だ、修道院に。――無論、修道院の内部改善はしているが、環境が変わったからといって、心の衰弱が完治する訳ではない」


 多感な児童期に、大人によって傷付けられた子ども。その傷は、そう簡単に癒えるものではない。それどころか、必ずしも癒えると断定できるものでもない。

 ルートヴィヒさんが、領地の状況が完全には持ち直していないと言っていたのも、当然のことだ。

 モンセン家の領地の状況を聞き、予想外の深刻さに心を痛めていると。


「マヤ。数日に一回でもいいから、修道院へ行って、児童の様子を見てみないか」

「私が? まさか! 素人でなくて、専門家の治療が必要よ」


 ルートヴィヒさんが、とんでもない提案をするではないか。

 仕事というのが、トラウマを持った子どもとの交流とは。私にとっては、あまりにも困難なことだった。

 子どものことを考慮するなら、付け焼刃やいい加減な知識でなく、根付いたものがきっと不可欠であろう。私のような素人が関与しては、かえって逆効果となってしまうに違いない。


「この数年間に、専門家による治療も勿論行ってきた。だが、児童たちもいずれは社会に出ていくことになる。周囲の大人が安全だと感じさせ、ゆっくりと日常生活に戻すことが必要だろう」


 いつも傍にいる大人が、児童の信頼を獲得する。それは、心を回復させる必須事項とはいえ、そればかりでは“この人は大丈夫だ”という考えに留まりかねない。温かく受け入れてくれるのだ、という安心の場所をひとつひとつ増やしていくことが必要だと、ルートヴィヒさんは述べている。


「言っていることは分かるけれど」

「難しいことはない。児童と遊びを楽しむことから始めればいい」

「でも、そんな単純なものじゃあないでしょう?」

「もしも不安がっている児童がいたら、共にいてやることが安堵に繋がる」


 ルートヴィヒさんの言葉には、何かを感じさせた。焦燥感や沈痛さによく似たものであるが、それが何かは、確実には言えなかった。だが、そのよく分からないものが、私の心を動かしたのも事実だった。


「………他に、注意することはある?」


 仕事を了承する意を持った言葉を、私は口にしていた。それを聞いたルートヴィヒさんは、固かった頬を微かに緩める。

 別段、躊躇が掻き消えた訳ではない。むしろ、簡単だということが、かえって難しさを感じさせる。だが、責任ある立場になる以上、全うしなければならない。

 そのために、ルートヴィヒさんに詳しく聞きたかったのだが。


「――そうだな。誠実に飾らずにいることを、大切にしてほしい」


 他は、修道院の者に尋ねれば、詳しく教えてくれるだろう。

 ルートヴィヒさんが私に答えるのは、それだけだった。重篤な子どもたちへの対応としては、あまりに簡素なマニュアルだ。だが、一言二言のそれに、文章よりも深いの重みがあるような気がしてならない。私は、追及はしなかった。








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