第十五話
私、羽柴麻耶は中流家庭の長女として生まれた。家族は、父と母。それに五歳離れている美代という名前の妹が一人。いわゆる女系家庭だ。
日本では、共働き……父親と母親の両方が外に働きに出ている世帯も、珍しくない。その理由は、仕事が好きだとか自立心だとか様々だ。羽柴家の場合は経済的な事情からだった。
中流家庭に子どもが二人というと、多くも少なくもない理想的な人数だと思われるかもしれない。とはいえ、子ども一人を成人まで育てるのにかかる金額は、一説によると二千万円。子どもが二人もいると、四千万円という莫大な負担が掛かることを意味する。その上、女系家庭には、お金が掛かる。
美容に気を使わなければならない。友人との輪を保つために、流行も押さえておかなければならない。一見無駄な出費のようであるけれど、立派な交際費だ。そうでなければ、男性から女性として扱われないというのも勿論あるが。それ以上に大切なのは、女性同士の関わり合いだった。
というのも、女性はグループ化して群れる生き物だ。容姿や風貌から、自分や他者がどのグループに所属するのかを見極める。そして、そこに所属すると、今度は居続けるための努力をしなければならない。
例えば、派手な容姿の子達の集まりの場合は、化粧品等を使い出すのも早い。だが、それ以外の子達の出費が少ないかと言ったら、それは違う。若さ故に、化粧をしていなかったとしても、一週間のうちに同じ服を複数回着ることは、身だしなみがなっていないとされる。
そして、同じグループの子達が好む話題。スポーツや、旅行や、書物等々の情報収集が必要となる。そうでなければ話題の提供が出来なくなり、聞き役に徹する他なくなる。とはいっても、知識がない聞き役は、土偶に過ぎない。次第に聞き役としてすら求められなくなり、やってくるのはグループからの淘汰である。
一切のグループに、所属しなければ良いのではないかという意見もあるだろう。だが、小学校中学校と言う閉鎖的な環境においては、そのようなことは推薦されない。日本という国には、協調性が重んじられているからだ。
そういう事情も考慮した羽柴家は、夫婦の二本柱で支えられていた。
だが、共働きによって、新たな問題も生じる。世間でもよく言われているのが、家事育児分担の問題だ。
今でも記憶に強く残っているのは、私が五、六歳の頃の出来事。そのくらいの年齢になると、意識はかなりしっかりしてきているし、モノを話す。詳しいことまでは分からなかったとしても、会話の概要は把握できる。喜怒哀楽は勿論。「お父さんとお母さんが私のことで喧嘩をしている」ということまでもを、理解できてしまう。
「ねえ、先にお風呂淹れてくるから、子どもを見ていて?」
「ん? ああ、見ているよ。それに、美代は気持ちよさそうに寝ているよね」
「そうじゃなくて。麻耶の躾の途中だから、汚くならないように……」
「大丈夫だって、俺が見ているうちに済ませておいでよ」
食事の支度を終えた母は、自らが食べ始める前に、風呂掃除をしに行くのが常だった。そうしておくと、食事を終えた頃に、入浴が出来るようになる。つまり、ダイニングからお風呂場へ、子どもを直行させられる。こうすると、お腹が膨れた子どもが、そのまま寝てしまうこともない。ちなみに、美代の場合は例外だ。生後間もない美代は、腹が膨れては寝てを繰り返すからだ。
「……ねえ、見ていてって言ったよね?」
風呂を淹れてきた母が、イラついたように父に言う。私の正面に置かれているランチョンマット上の食事プレートと、私が右手に持つ箸をジロリと見ている。
「あ、おかえり。ちゃんと見ていたよ」
「どこがちゃんとなの! ほら麻耶、またお箸バッテンになっているでしょ。お箸はどうお持つんだった?」
「おい、まだ子どもだぞ? 箸くらいどう持ったっていいだろ」
その言葉が、油に火を注いだようだった。母の、父に対する怒りが膨れ上がった。
「子どもの内から躾けるものでしょ! あなたみたいな考え方の親がいるから、未だに箸すらまともに持てない大人がいるのよ」
「親失格みたいに言うなよ。俺は言われた通りに見ていただろ」
「言われた通り? あなた、麻耶の箸の躾を始めたっていう話を前にしたのを聞いてなかったの? あなたがそんなだから、未だに麻耶の箸が上達しないんじゃない」
鼻で笑った母のことを、不愉快そうに見る父。
「本当、ダメなお父さんねー。麻耶、お姉ちゃんになるんだから、妹に箸の使い方を教えてあげられるようにならなきゃね。お父さんの代わりに」
「う、うん……」
美代がお腹にいた頃から、母は度々、姉としての役割を言い聞かせていた。それに対して、私が素直に頷くと、母は膨らんだお腹を撫でる。そして、幸福そうな笑顔を見せるものだから、ますます私は姉として振る舞うようになる。私の刷り込みは、完了していた。
箸という、今回の舞台においても同じだった。“お姉ちゃんだから”というお決まりのワードに対して頷く私。だが父は、私を使って小ばかにしている、と感じたようだった。眉間に皺を寄せながら、「お前も人のことを言えないだろう」と、吐き捨てる。
「はあ? 私のどこがダメな訳?」
「俺は仕事から帰ってきて疲れているんだよ。そんな中で子どもの面倒まで見させられているのに、グチグチ文句ばかり」
「仕事から帰ってきたのは私も同じでしょ。私だって疲れているわよ」
「仕事って言っても収入は俺の三分の一だろ。大体俺は、専業主婦でいいって言ったのにお前が」
「それは最初に二人で――……」
世間と同じように、父と母も事あるごとに家事育児分担の問題で言い争った。
母が言うには、子どもが大きくなるにつれて出費も大きくなる。将来的なことを考えて、働けるうちに働いて貯金をしておく。共働きである以上、家事の分担は当然。加えて、二人の子どもであるのだから育児は二人でするものだという主張だ。
一方で父の言い分は、専業主婦になってもらったとしても、贅沢をしなければ十分暮らしていけるだけの収入は得ている。だというのに節約を考えないのは怠惰的。それを許して労働許可をしているのが、前提としてある。であるからして、家のことの基本は、母が請け負うべき。
そういう対照的な考え方を、二人はしていた。
諍いを聞いている幼い私はというと、お金のことは理解できない。だが、未熟な私のせいで二人が喧嘩をしている、ということは、漠然と感じ取れた。
子どもにとっては、父親も母親も、大好きで掛け替えのない存在だ。その二人が、鬼のような顔をしながら怒号を浴びせあっている。とんでもない恐怖だった。
二人に仲良くしてもらうにはどうすればいいのか。その答えが、「父と母に迷惑を掛けない」だったのは、子どもとしては当然の思考回路だ。
それからの私は、人が変わったように努力した。母が一人で洗濯物を畳んでいたら、母を真似ながらTシャツを折りたたむ。父が疲れているようなら、お茶を差し出す。食事以外の時間にまで箸を持ち出して、ひとり、バッテンにならない箸の持ち方を練習した。
それまでの私は、それほど勤勉という訳でもなかった。それが、こうまで豹変したのだから、不自然に思われる。だが、そういうときには母の口癖でもあった。“お姉ちゃんだから”を私の口から発すると、意識が芽生えてきたのだと、誰もが納得する。そして、笑顔で「しっかりしているね」と褒める。父と母が口争することも、激減した。
私がしっかり者だと、皆が幸せになる。皆が褒めてくれる。そうして気を張っていると、初めは贋造であっても、次第に本物になる。性格も定着し、私は満足していた筈だった。
だが、妹の美代は、しっかり者とは正反対だったのだ。
美代は、可愛かった。顔の造形だけ言うと、私と似通っている部分もかなりある。だが、それ以外の全てが異なっていた。
身体つきは華奢で、低身長。それに相応しい、化粧と服装をしていた。パステルカラーのニットセーターや、ワンピースがよく似合うタイプだ。
おっとりしているのかと思いきや。誰に対しても愛想がよく、キャラキャラと明るく笑う。その天真爛漫さを持ってすると、少々気の強い言葉を発した所で、好意的に受け止められる。父や母を中心とする、誰もが美代の我儘を聞きたがった。
私は、父と母の負担になることを嫌った。そうすることで、父と母は私に笑顔を見せてくれたからだ。だが、美代は違った。勝手をすることで、可愛い可愛いと言われたのだ。
父は、根強く母が働くことを嫌っていた。だというのに、美代が洋服を強請るようになった頃、共働きを歓迎するようになった。強請って買ってもらった服を着て、くるりと一回転しながら「ありがとう」と可愛くはにかんだだけで。
嫉妬をせざるを得なかった。私はしっかり者を求められたのに、美代はどうして我儘を許されるのか。
とはいえ、それを表面に出すわけにもいかなかった。私と美代は五歳も年が離れている。私が中学生の頃、美代はまだ小学生という年齢差だ。加えて、散々“お姉ちゃんだから”と言ってきてしまったのだ。しっかり者という意識が、自らにも他者にも根付いてしまっていた故に、何かを訴えることは出来なかった。
醜い妬みをひた隠しにし、姉として振る舞うのみ。そうなると、全てが上手くいっているように見えても、次第にズレが生じてくる。
私は、姉として、妹である美代のことが好きだ。私は、姉として、甘えてくれる妹を可愛いと思っている。私は、姉として、妹の我儘を聞くことを好ましく思っている。
頭ではそう認識しているというのに、美代といると、複雑な黒い感情が心中に渦巻くようになったのだ。
それから目を逸らしたい私は、大学進学と共に家を出た。それ以来、家族と顔を会わせる機会を年々減らす一方だった。そして、今回のミドスタン王国訪問の憂き目に遭遇したのである。




