第十四話
「……どういうこと?」
鈍い頭を必死で動かし、ようやく絞り出したのは一言だけだった。それを聞いたルートヴィヒさんは「やはりな」と納得げだ。
だが私は、どうしてそういう結論に至ったのか分からないでいた。
「国や家族や友人へと思いを馳せる。故郷から離された者の多くが取る行動だが、勇者はその傾向が顕著という」
「それは理解できるけれど、故郷のことを語らないからって帰りたくないと?」
眉間に皺を寄せる私へと、ルートヴィヒさんは説明をしてくれた。
しかし、その内容は随分と短絡的に思える。胸中に情熱や思慕をそっと閉まっておく人間もいるではないか。
否定的な私をとっくり見つめてから、ルートヴィヒさんは「それだけではない」と首を振った。
「異世界への道が開いたとき、ラインの指輪が光ることを聞いているだろう」
「ええ。だからこうして肌身離さず――」
「輝きは、視覚で確認するものだ」
反射的に、指に嵌められた指輪に目を向ける。
白みがかったそれは潔癖な美しさがあるが、他からの光を受けている外発的な輝きで、以前からと変わりない。ぼんやりと瞳へ指輪を映している私に構うことなく、突拍子もない結論へ至った経緯の説明が続けられる。
「強く光ると言われていても、その程度は実際見なければ何とも言えまい。もしかしたら、一瞬発光するだけかもしれない――だからこそ、万が一にも見逃さないよう、勇者は飽きることなく指輪を観察する」
「私だって」
「勿論、私とアンネが把握し切れていない部分もあるだろう。マヤは指輪を欲したし、故郷を恋しく思っていたともベイツから聞いているからな。だが、それを加味した上で私が話していることを分かって欲しい」
ベイツさんから聞いている……まさか、私が泣いたことに気付いていた? そして、ルートヴィヒさんへ報告済みなのか。
かあ、っと頬に血が上るのを感じた。顔は熱く火照り、羞恥心から唇が震えている。うまく働かない口を仕置きするように唇を強く噛み締めると、じんわりと血が滲む。それを誤魔化すように紅茶を飲むと、フレーバーで消しきれなかった鉄くささが口内に広がった。
「マヤ。別に、帰りたがっていないことを責めている訳ではない」
紅茶のお陰で多少なりとも落ち着く。すると、気遣わしげなルートヴィヒさんを見つける。もしかしたら、赤面の理由を勘違いしたのかもしれない。
詳しく説明するのは、かえって恥辱が煽られる。首を縦にひとつ振ることで、非難されているとは思っていないと簡単に伝えた。
「そうか。……マヤの身を預かった以上、マヤの状況を慮る必要が私にはある」
「ええ」
「このことから、マヤの願いを探っていた訳だが、当初検討付けていた帰還は、本意でないのではと先に言ったように判断した。かといって、モンセン家での居心地は、正直な所良くはないだろう」
情けないことだが、とどこか項垂れて見えるルートヴィヒさん。ここで建前や世辞を言ったところで、無駄だろう。大人しく肯定することにする。
「衣食住があるし、暴力を振るわれているわけでもない。絶望から程遠いと思っているのは事実だけれど、居心地が良いとは言えないわね」
さすがに理由までは明言しなかったが、ルートヴィヒさんは見通しているようだった。
「態度を改めるように指導を続けているが不十分だったな。マヤには苦労を掛けてしまって、すまないと思っている」
「別に、ルートヴィヒさんに謝られることではないわ。私を受け入れがたい訳も、理解はできるし」
例えば、私に大切な家庭があるとして。家族のひとりが突如得体のしれない女性を連れてきて、今日から共に暮らす人だと言う。そして、自分以外の皆々はその女性を気に掛けている……。その上、自分の戸惑いや困惑や嫌悪を関係なしに、態度を改めろと強制する。
そのような状態を想定すると、カシュヴァールさんの心境は致し方ないというものだ。私がカシュヴァールさんの立場にあったら、家族は女性に騙されている! なんとかして追い出さなければ! と思うかもしれない。
もっとも、理解はできたとしても、納得のいくものかといえばそうではないのだが。現在怪しげな女性の立ち位置に、私はあるのだから。
「ありがとう。――それで、気に掛けていたのは、元の世界にもモンセン家にも、マヤの拠り所がないのではということだ。勿論、マヤがモンセン家で落ち着けるよう計らってはいくが、なにぶん人の心の問題だ。全てうまくいくとは限らない」
「だから、私に話を聞きたかったのね」
「ああ」
ルートヴィヒさんに私に関することで時間を取らせてしまっていたことは自覚したばかり。だからこそ、質問へ回答することを了承した。
だが、その質問の本意は、予想以上に他に影響を及ぼすものだった。問題が私一人に留まるのならまだしも。指輪が関係する以上、モンセン家を中心とする他機関にも差し響きかねない事柄だ。
偏狭だったことを自覚し、愕然とする。せめてもの償いとして、心持ちを明確に述べたかったが。
モンセン家での暮らしのこと。地球での暮らしのこと。様々な現実に直面するのを避けるため、そっぽを向いて勉学に取り組んできてしまった。
だから私の心の中には、複雑に絡まった感情の糸の塊が転がっているだけ。
無造作に転がる糸を慌ててかき集め、必死で解こうとするが、ますます絡まるばかりである。焦れば焦る程、視界が狭まってしまう。自分のことにも関わらず、何も見えてこない盲目状態にあった。
「正直に言うと、分からないの」
「……」
「帰りたいのか、帰りたくないのか。私はどう行動していくべきなのか。何を望んでいるのか。……ごめんなさい、本当に、何も分からないの」
しっかりしていて頼られる羽柴麻耶は、どこに行ってしまったのか。今にも窒息してしまいそうな苦しみが私を襲い、不甲斐なさに抑圧されてしまうが、それから脱出する手段はない。どうにか潰されないように意識を保つので精一杯だった。
暗鬱さを隠せないでいると、ルートヴィヒさんは声を掛ける。
「元の世界に帰って、家族や友人と会って、ミドスタン王国へ来る前の生活に戻る」
緊張のあまり、と私の身体は硬直する。
「そういったイメージに、幸福を見出せるか?」
「……分からない」
「そうか」
ルートヴィヒさんは、静かに目を瞑った。数秒間物思いにふけたかと思うと、淡々と私の目を見つめる。そして、いつもと変わりない冷静な声色で「話してくれるね」と、覚え語ることを促した。




