第十三話
アンネさんの不可解な行動の意味を知るのは、翌日のことだった。朝食の席でのことである。
ルートヴィヒさんは、いつものようにカシュヴァールさんからいくつもの話題を振られていた。しかし、どこか乗り気ないというか。チラチラと私のことを気に掛けていた。
露骨という訳ではなかったし、当の本人である私も気付かない程度の変化。だけれど、些細なそれに、カシュヴァールさんは即座に反応した。つまりは、今まで空気と化していた私へ、厳しい眼光を向け出したのだ。
会話に参加していた訳ではないし……と、心当たりがなかった私は戸惑った。だが、こうなる理由は前例からいってルートヴィヒさん関係だ。逆算した私は、冷静に状況を見つめるに徹した。
そうすることによって、ルートヴィヒさんの視線を感じ取ったのである。
私と同じように、カシュヴァールさんの状態を直ちに感知したルートヴィヒさんは、ひとつ溜息をついた。せっかく今まで状況把握あるいは話し掛けるタイミングを伺っていたというのに無駄になった、と言うかのような、諦めるようなそれだ。そして、「マヤ」と疲れが滲んだ声を発する。
「今日の午後三時頃は何をしている」
「三時頃なら、アンネさんにお茶を淹れてもらっていると思うけれど?」
私の勉強の詰め込み具合にもよるが、三時頃というと、ティータイムに該当してくる。そのため、休憩を挟みがちだ。
「そうか。なら、場所をベランダに変更しておくように」
「どういうこと?」
「時間が取れたので、同伴しようと思ってな」
「ええと……何かご用が? だとしたら、私とアンネさんの二人でルートヴィヒさんのもとへ行くけれど」
ルートヴィヒさんを私の部屋へ入れることは、いくらなんでも出来かねる。当人達にその気がなかったとしても、当主が女性客人のプライベートルームへ赴いたというだけで邪推する輩がいるからだ。ルートヴィヒさん自身も、おそらくその認識だろう。
とはいえ、私を指定の場所へ呼び出すことは、元々の予定を崩させることと同意だ。それが本意ではなかったルートヴィヒさんが、ティータイムに便乗して所要を済ませようとしたのではないかと考えた。
「いや、そう気負う話でもない。屋敷に来て暫く経つため、様子を聞きたいだけだ」
「それなら、マリアンヌさんとカシュヴァールさんが揃った場でいつでもお話するのに」
「なら、二人もご一緒にいかがですか」
ルートヴィヒさんが、マリアンヌさんとカシュヴァールさんを誘う。
「楽しそうだけれど、予定があるのよね」
「……兄上も人が悪い。先日、兄上直々に仕事を任せられたばかりです」
なるほど、計算ずくということか。マリアンヌさんのスケジュールは偶然だとしても、カシュヴァールさんは仕組みである。
確かに、カシュヴァールさんがいると萎縮してしまうのは事実である。聞きたいことを十分に聞けないという理由からお膳立てしたというのも頷ける。
だが、なにもカシュヴァールさんの前で予定を取り付けなくてもいいと思うのだ。例えば、私が一人でいるときにコッソリとか、アンネさんを通じてとか――。
はた、と気付く。ルートヴィヒさんが私に聞きたいという質問と似たことを、昨日アンネさんに尋ねられなかっただろうか。また、ベランダへ行けということも遠回しに。
そして、そのどちらに対しても私は曖昧に返答したのである。
もしや、ルートヴィヒさんは直接会わずとも良いように取り計らっていた? だが、私はそれに乗らなかった。したがっての第二次案として、何か約束をせずとも、偶然を装って会えるよう算段をつけていたというのに、それも叶いそうにないから、致し方なく今日機会を伺っていた? そして、カシュヴァールさんの手によって、第三次案も潰えたことにより今がある……。
そう考えると、昨日アンネさんから感じた違和感も納得できる。
腑に落ちた私は、気が抜けたように肩を落とした。
なんだ、他ならぬ自分のせいだ。アンネさんの様子がおかしいと気付いていたのだから、どうしてだろうと考えなければならなかった。
また、何度となく外出を勧められたのに、頑なに拒否し続けなければよかった。だとしたら、ルートヴィヒさんと遭遇することもあったろう。
自分にほとほと呆れ、また同時に申し訳なさが膨張する。
「分かった。じゃあ、ベランダでお会いしましょう」
ルートヴィヒさんの提案を、甘んじて受け入れた。その言葉によって、カシュヴァールさんとの関係が悪化したとしても、それは自分の責任だ。
挑むように、ルートヴィヒさんをまっすぐに見つめていた。
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早めにベランダに着いた私は、椅子に腰かけながら景色を眺めていた。
アンネさんと共に歩いたフラワーガーデンが見えるが、そのときとは随分違う。庭園そのものはそう変化ないのだろうが、遠目で味わうことによって、花単体ではなく庭園全体で緻密に構成されているのだと伝わってくる。マリアンヌさんの趣味だと言っていたか……と感心していると、そこにルートヴィヒさんがやってくる。
ルートヴィヒさんのために、アンネさんは、紅茶を新たに淹れている。それを待つ間に、他愛無い世間話が始まった。
「待たせたな」
「いえ、お庭を楽しんでいたから」
「ああ。母上が聞いたら喜ぶに違いない、自慢なようだから」
「お客様をお招きしていたものね」
お茶会の舞台にするほどだ。よほど自慢に思っているのだろう。
「グレッグ家の夫人か」
「カシュヴァールさんのご友人の御母上、よね?」
「ああ。母上との関係はともかく、そこの息子とカシュは親しいようだな。何かと母上も夫人と会う機会を作っているようだ」
「そう……。それにしても、家族全員が、友人とその家族とまで面識があると言うのは珍しいわね」
日本においての人間関係は、個と個の繋がりという意識が強い。家族という大きなひと塊単位で繋がっているというのは、貴重な関係性に思えた。
「そうでなくても、あの一族とは何かと縁があるからな」
「何かと関わる機会があるとはいえ、私の世界では珍しいわ」
日本も昔は、婚姻等において、家同士の結び付きという意識が強かったらしい。今も概念は存在しているが、その時代と比べると随分薄らいだように思う。モンセン家の方々の話を聞くと、そういう部分でも異文化を感じる。
「マヤは、家族の誰かの友人と付き合うことはないのか?」
「そうね。それどころか、家族の近況すら、把握していない部分が多いわ」
「そういえば、家族であっても会うことが少ないと言っていたな」
「アンネさんから聞いたんですね」
「気付いてはいると思うが、一昨日の質問は私がアンネにさせた」
「ええ。――恥ずかしながら、予定を約束した時にね。ルートヴィヒさん、ごめんなさい」
「何を謝る?」
不可解そうにするルートヴィヒさんへ、説明する。
「アンネさんの様子や質問の意味に気付かなかったために余計な苦労をさせてしまって、申し訳なかったと思っているから」
「いや、私ではなくマヤに苦労が掛かったろう」
「結果としての苦労は、私の自業自得。けれど、それまでの過程での苦労は、ルートヴィヒさんが私のためにしてくれたことなのに」
親切を無碍にしてしまったことへ謝罪するが、ルートヴィヒさんは首を横に振り「たいしたことではない」と言う。
だが、忙しいルートヴィヒさんのことである。その気遣いは、十分におおごとであると知っていた。
申し訳なさで胸が痛み、顔を陰らせていると、ルートヴィヒさんはふと思いついたような表情を浮かべる。
「――そうだな。罪悪感を覚えているのなら、このティータイムを私にとって有益なものにしてほしい」
「……卑怯ですね」
「ミドスタン王国では、時に褒め言葉に成り得るよ。それに、指輪が染まってからでは遅いのでな」
私が人に負担を掛けることを苦手としていることを、ルートヴィヒさんは悟っているだろう。それに付け込んで目的を達成させようとするのだから、たちが悪い。
憂鬱に肩を落としながら、了承の意を込めて、ルートヴィヒさんへ視線を送る。
「衣食住があるし、暴力を振るわれているわけでもない。絶望にも血にも、染まっていないわ」
「どうだろうな。ラインが、何を優先して絶望と血を捉えているのか謎は多い。その性質から貴人の結婚指輪に用いられることもあるが、夫婦間に愛情があっても染まることがあれば、死別しても白いままなこともあるという」
「それは、単なる仮面夫婦だということではなくて?」
「面倒極まりないラインを用いるのは、“宝石が白い”ということで利益が得られるからだ。つまり、他者へのアピールが必要なだけの地位がある者。そのような者は、よほど自信がない限りラインを使わんさ」
確かに、何をしておけば安牌かが言えない状態で身につけることは恐怖であろう。メリット目当てにラインを結婚指輪としたとしても、変色したが最後、デメリットに化けてしまうのだから。
にも関わらず、指輪の判定には一定の信頼があるようだし……と、奇妙な価値観を面白く思っていると。
「変色のことはいい。それよりも、指輪のことに関しても聞きたいことがある」
「指輪?」
ミドスタン王国の方々ですら明言できないことを私が知る由もない。そう思っていると、ルートヴィヒさんは予想外な。硬直してしまうことを口に出す。
「マヤ、帰りたいと思っていないのか?」




