第十二話
「ハシバ様。差し出がましいようですが、そろそろご休憩なさっては如何でしょうか」
「……もうそんなに時間が経つ?」
「かれこれ四時間ほど」
「そう。じゃあ、アンネさん紅茶を淹れてくれる?」
物事を代行し、主や客人の手を煩わせないアンネさんに課せられている職務を、理解はしている。しかしながら、何事も。最低でも自身のことは自身の手で行いたい私は、アンネさんというワンクッションを踏むことによって却ってストレスを感じてしまう。
このことから、用がある際は此方から呼び出させてもらうという形式を取っていた。アンネさんは私付きであるけれど、常時私の隣にいる訳ではない。
しかしながら、私が呼ばずともアンネさんが部屋を訪ねることがある。食事や呼出や言伝がある際。そして、私の体調が崩れかねないと、アンネさんによって判断された時だった。
後者の理由からアンネさんと顔を合わせる機会が増加していることに、気付いていた。別に、部屋に籠って危険行為をしているわけではない。単に机に向かう時間が増えているというだけなのだが、それこそが危ぶまれる原因だった。
私自身は、大袈裟に受け取られていると感じているのだが。視点を変えてみると、「部屋から一歩も出ずに、長時間ガリガリとひとつの行動を繰り返す人」つまりは引き籠りとも見ることが出来る。……改めて思うと、へこんでしまう事実だが。
自制することは、なかなか難しかった。だがせめて、止めが入ったときは大人しく息抜きしようというのが私の意向だった。
引き籠り予備軍という認識が勘に障るから、というのも理由のひとつ。
加えて、根詰めることによって病んでしまうことがあるとしたら。その原因は誰にあるのかという問題にも発展しかねないからだ。
無論、他の誰でもなく私に全責任があると思うのだが、そういう常識が通用するとは限らない。何しろ、私の立場は勇者なのだから。
ともすると、責任を負わされる可能性があるのは、私に付いているアンネさんだとも考えられる。
そういう訳で、休憩がてらアンネさんに淹れてもらった紅茶を、私は口に運んだ。
「ありがとう、とても美味しい」
紅茶のまろやかさを、口内で堪能する。飲み込み食道を通すことで、全身に温かさがじんわり染み渡る。
「恐縮に存じます」
実際、アンネさんの淹れる紅茶は美味だった。どちらかといえばミルクティー党の私でさえ喜んでストレートで飲むほどだ。
紅茶は手間暇を掛けなければならない飲み物である。それが守られている喫茶店へ行くことなどほぼ皆無の私は、長らく紅茶イコール渋い汁だと思っていた。だから今までは、その渋さを濃厚で柔らかなミルクによって緩和させていたのだ。
ミドスタン王国へ来てから飲んだ紅茶のお陰で、それは誤りであったと理解した訳だけれど。
紅茶の力を受けて、ほっとした所で、私はアンネさんに切り出した。
「そうそう、少し時間を取れる?」
「はい。何かご用でしょうか?」
「いつもの練習に付き合って欲しくて」
「私でよければ、僭越ながらお付き合い致します」
語学を身につけるには、実践が必要不可欠だ。以前はベルさんにお願いしていた教師役を、今はアンネさんに頼んでいた。
ベルさんの時は録音機能が大活躍していたが、顔を合わせる機会の多いアンネさん。録音ではなく、生での会話を重視していた。もっとも、指導してくれという言い回しだと、恐縮されて断られてしまう。そのため、「ミドスタン語で会話をしたい」という名目ではあるが。
『今日は、何が起こりましたか?』
教科書的な固い言い回しは拭えない。しかし、これでも、自己紹介しか話せなかったこと思うと随分進歩した。
『ルートヴィヒ様とカシュヴァール様でしたら今の時間はお仕事中です。マリアンヌ様はお茶会かと』
『誰かを招待していますか?』
『本日は、グレッグ家の奥様をお招きしております』
『仲がいいんですね』
『カシュヴァール様とグレッグ家のご子息との間に、交流があるとは聞いております』
『家族ぐるみの関係ですか』
カシュヴァールさんのお友達の御母上。つまり、関係性はママ友ということか。一対一でティータイムを過ごすということは、それだけ深い仲であろうと察する。知ったように頷く私に、アンネさんは尋ねる。
『そういえば、ハシバ様のご家族やご友人はどういった方かお聞きしても?』
『どうしてですか?』
アンネさんは基本的に、プライベートなことには干渉しない。こうして踏み込んでくるのは珍しいことだった。嫌とかではなく、純粋に戸惑ってしまう。
『いえ。こちらにいらしてから暫く経ちますが、一度としてお話を伺わないので』
『そうでしたか?』
とぼけてみたものの、アンネさんの言うことに相違ない。
離れて暮らす者がどうしているかと想いを馳せない私に、違和感を覚えたのか。病んでいるように見える私が、溜め込んではいないかと心配してくれているのか。
どちらにせよ、これ以上心に留めさせないように申し開く。
『きっと忙しいからです。それに、前は仕事をしていました。元々会うことが少ないです』
『会いたいとは?』
『仕事をしていたときは、毎日に必死でしたから』
『では、今はどう思っていらっしゃいますか』
『そうですね……今はもしかしたら会いたいのだと思います』
言葉を重ねても、まだまだアンネさんは釈然としない。
とはいえ、タイミングよく紅茶を飲み終えたということもあり、口を噤む。そして、「さて、勉強に戻るわ」と日本語で声を掛けた。
更に詳しく話すことを望んでいたのだろうが、ミドスタン語は未熟だ。語彙が足りないことにより率直な物言いになってしまうし、誤解が生じかねない。それを避けるためにも早めに切り上げることにしたのだが。
『ハシバ様、本日マリアンヌ様はベランダでお茶会をされておいでです』
『そうなんですか』
『はい。是非とも、ハシバ様にもご案内致します』
『……ありがとうございます。今度お願いします』
と、再びミドスタン語で言及される。
不得意な言語で攻められた。これにより、案の定、明確に断り切れない。外出を避けていることに、気付いていない筈がないのに……。今日のアンネさんは、いつもとどこか違っていた。




