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第十一話


 モンセン家で過ごす私の朝は、早い。

 鳥がさえずりだすのと同時に起床し、ひとり身支度を済ませる。本棚に並べられたいくつかの本から、求めるものを引き抜く。机に向かうと、引き出しからノートを取り出す。ノートを使いだしてから、そう日は経っていない。だというのに、中のページは折り目がいくつも付いていた。用紙をわざと折り曲げることで、文字を隠して暗記に役立てたり、記述内容の分類分けをしたりするのである。不恰好さが玉に瑕だが、大学受験の際にも使っていただけあり、自分に合っていることは間違いない。

 そんなことを思いながら本をペラペラと捲り、二時間ほど勉強した後。「朝食の準備が出来ました」と、私を呼びに来たアンネさんの声に従ってダイニングルームへ向かう。


 ダイニングルームには、モンセン家の皆さんがいつも揃っている。礼をした私が席に着くと、朝食は給仕され始める。

 夕食とは違い、朝食は品数が少なく、ボリュームが軽い。その分だけ、食事の時間も短く済む。その一方で、美食に気をそらせることが出来ないのが難点だった。ついつい、会話の内容ばかりに注目してしまうからだ。


「兄上。先日友人と狩猟に出掛けたのですが、兄上は鷹狩りがお得意でしたね」

「暫くは行っていないが、そうだな。以前は鷹狩りを夢中になって行っていたものだ」

「また始められないのですか?」

「時間が取れれば行きたいとは思っているがな」


 なかなか難しい、と首を振る姿に、カシュヴァールさんは肩を落とす。


「そうですか……。実をいうと、鷹狩りをしてみたいと思っておりまして。名手である兄上がついて下されば心強いのですが」

「カシュも? そうか、ではカシュの鷹を用意させよう」


 弟が自分と同じことを始めたがっている。しかも、自分に習いたいと健気な願いを口にする様を見て、ルートヴィヒさんの口は弧を描いている。


「本当ですか!?」

「ああ。訓練されるまで暫くかかるだろうが、それが終わった頃に狩猟の時間を作ろう」


 無理は言うまい、と諦めていたのから一転。想いが叶うことに興奮したカシュヴァールさんは頬を赤らめ、目に晴々しい幸福が宿している。


 二人は狩猟について。

 例えば、鷹狩りは単なる娯楽ではなく、物事を見極める冷静さや忍耐力。危機察知能力が必要であり、あらゆる分野で応用可能な能力を育むことができるのだ、といったことを熱心に討議している。


 だが、温かな愛情溢れる視線をカシュヴァールさんへ送るルートヴィヒさんがいるのだ。話の内容は嘘ではないのだろうが、鷹狩りを始める理由を、もっともらしいもので取り繕っているように見えてしまう。

 マリアンヌさんは、そのような状況に慣れたように「あらあら」と朗らかに笑うだけ。


「男の人は馬や狩猟が好きね。女の私達には分からないわ」


 首を傾げることで、マリアンヌさんは私へ同意を求める。

 馬や狩猟の魅力が分からないのは勿論だが、注目すべき点が間違っているように思える。私としては、ブラコンな一面を見せる兄弟に戸惑いを隠せないのだが……。それを指摘する訳にもいかない。

 様々な意味を込めて、苦笑を返すしかなかった。


「母上。それは聞き捨てなりません。一度試してみれば、母上にも狩猟の面白さが分かるはず」

「まあ、女性が狩猟をするの?」

「ええ。兄上のように腕の立つ者は、貴婦人を伴って楽しむことがあるそうです」

「そうなの。では、カシュがルークと腕を並べるほどになったら行こうかしら」


 母上も一緒に! という期待を込めた目をしていたというのに。

 マリアンヌさんの茶目っ気ある答えに、カシュヴァールさんは痛いところを突かれたように呻く。


「も……勿論、兄上に近づく努力は致します」

「ふふ。冗談よ、カシュが鷹狩りに慣れた頃くらいに一緒に行けるといいわね」

「それどころか、カシュは私をたちまち追い抜いてしまうかもしれませんよ」

「兄上!」


 軽口に便乗するルートヴィヒさんに、からかいすぎだとカシュヴァールさん自らが止める。真剣に抑止しているのだろうが、赤面させる様は少女のよう。あまりの愛らしさに、ついついからかってしまうのも、無理はないというものだ。



 私はこうした微笑ましいホームドラマを、毎朝こっそり観賞する羽目になる。

 その場では、確かに和やかな心境でいられる。だが、朝食の席から退席すると、たちまち激しいギャップに苦しめられる。

 近くにアンネさんという人はいるものの、軽口を交わせる相手ではない。そもそも、地球にすら、そのような人物はいない。モンセン家の方々と一緒にいても、部屋にいても、私はひとりだ。

 その事実を誤魔化すために、勉強にひたすら没頭することになるのである。


 勉強をするにしても缶詰では捗らない。

 停滞してくると他所事に気を取られ、教材を前にしていても孤独を感じてしまう。これを避けるためにも、机に向かうことのみで気を紛らわせようとするのではなく、休憩も兼ねて中庭散策にでも行けばいいのだが。

 ひとつ間違えると、かえって憂鬱になってしまいかねない現状があった。


 アンネさんの勧めと案内もあり。何度か目の散歩を、モンセン家の豪壮な中庭で行っていたときのことである。




「馬車から降りたときに見たお庭。あれも素敵だったけれど、フラワーガーデンも一風変わって綺麗ね」

「前者はルートヴィヒ様のご趣味。後者はマリアンヌ様のご趣味になります」

「そう……花に囲まれているあの建物は?」

「あちらには温室植物が植えられています」


 ルートヴィヒさんの趣味だという庭の特徴は、一定の間隔で芝生に植えられた青々とした木々だ。これを卵状にカットしてあったのは、今でも鮮明に思い出せる。シンプルながらも、手が掛けられているのが伺えたものだ。

 対して、今観賞しているフラワーガーデンは多種多様な花々が、温室に向かって伸びている。色とりどりであることから、一歩間違えれば無造作や節操なしになりそうだ。だというのにセンス溢れて見えるのは、どの花も、そこしかないという位置に行儀よく座っているからだ。


「温室植物? 次回にでも、行ってみたいのだけれど……」

「ご案内いたします」

「ありがとう」


 植物に大きな関心を寄せているというわけではなかったが。改めて緑を見ると、草木の効果で心が安らぐと言う人の気持ちが理解できる気がした。

 加えて、アンネさんの説明が巧みなのだ。素人でも理解しやすいよう配慮した話な上に、彼女のおっとりとした話し方と雰囲気が、癒し効果を増幅させる。

 ついつい庭に長居してしまうのは、そのためだった。


「あの建物は?」

「あちらは、厩舎になります」

「厩舎……というと、馬や馬車が納められているの?」

「さようでございます」


 歩き進めているうちに視界に入ったのは、レンガ建ての堂々たる建物。モンセン家の母屋には流石に劣るが、それを知らないままに此方の建物を見たら、豪邸だと感じるに違いない。それほどに立派な建築物が厩舎とは、やはりスケールが違う。

 まじまじと観察していると、中から馬の足音が聞こえてくる。間もなく私の前に現れたのは、カシュヴァールさんであった。突然の出来事に驚いていると、馬を撫でていたカシュヴァールさんが、私を確認する。


 途端に、馬に向けていた穏やかな様は一変する。眉間に皺をよせ、不愉快さが全面からにじみ出ている。

 とはいえ、一度ルートヴィヒさんから私に対する無言を注意されているカシュヴァールさんは、目が合った以上無視するわけにはいかないと思ったのか。此方へ近づいて来るではないか。


「ごきげんよう」


 鼻で笑った、嫌味な挨拶だ。


「ごきげんよう、カシュヴァールさん」


 慣れない挨拶言葉であったが、カシュヴァールさんに倣って発する。似合っておらず、どこか違和感がある。だが、カシュヴァールさんの耳には入っていないようだった。私の頭からつま先までを、値踏みするように観察しているからだ。そして、観察が済んだかと思うと、もう一度鼻で笑い「暇そうだな」と一言。


「はい?」

「暇そうだと言ったんだ。好きなだけ食べて、寝て。偶に見かけたかと思うと悠々と散歩か」


 今日はたまたま、散歩に出ているだけのこと。それ以外の多くは、部屋にいるのだ。カシュヴァールさんが昼間に私を目にすることは、そうありはしない。

 また、部屋で私が何をしているのかと言うと、本を手にしているのだ。もっとも、具体的な目標があってのことではない。ただの現実逃避であることから、誇れることではないのだが、嘲笑われるほどに怠惰的な生活を送っているつもりもなかった。


「そんなことは」

「まあ、お前が何をしようと関係ない」


 流石に訂正しようとする。だが、それを遮ったカシュヴァールさんは、馬に跨る。


「だがな。俺も兄上も忙しい身だ。邪魔だけはしてくれるな」


 馬に跨ったカシュヴァールさんを見上げる私。逆光となっているため、表情の全てを伺える訳ではない。

 だが、頭上から投げかけられる言葉の刃物のような鋭さから推測するに、私のことを憎々しげに睨み付けているのだろう。


「お前と違って、俺は今から仕事を片付けにいかなければならない。失礼する」


 それを最後に、カシュヴァールさんは馬を出す。颯爽と去っていく後ろ姿は太陽の光に当てられており、眩しかった。


 愛情豊かな人。そして、ある意味で私が理想としている関係を築いている人から送られる冷淡さは、予想以上に私の心を締め付けた。

 その日から、私の勉学という名の逃避は加速するのである。






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