第23話:姫香さんの心に火が付いた
「四人だけの勉強会」も軌道に乗ってきて、テスト対策も軌道に乗ってきた時のことだった。僕は、こんな順調な時こそ気を引き締める必要があることを失念していた。
事は放課後に起きた。教室でいつもの様に読書部に行くために荷物をまとめていた時だった。二見さんも荷物を持って僕の席に来ようとしていた。
「ねえ、二見さん、放課後いつもどこに行ってるの?」
猪原とその取り巻きの3人だった。猪原は、クラス男子の二大勢力の一人と言っていいだろう。
いつも坂中と向田の二人とつるんでる。スポーツも勉強も割とできて、ワイワイやってる陽キャってとこだろうか。
それ自体は悪いことじゃないし、むしろ凄いことだ。イマイチ好きになれないのは、自分が一番でそれ以外を見下しているところ。
僕が近づくと必ずトラブルになるだろうから、いつも近づかないようにしていた人たち……それが猪原だ。
「二見さんが、そんなヤツと一緒にいたらダメだ!俺たちが、いや、俺がそばにいてあげるから、そんなオタクな野郎とは一緒にいるべきじゃない!」
二見さんは、キョトンとしている。
「二見さんは、孤高だ!でも、もし誰かがそばにいた方がいいなら、それなりのヤツでないと!そう、俺くらいの!そうじゃないと、二見さんの格を下げてしまうよ!」
「別に、格とか考えた事ありませんので……」
二見さんがやんわり断る。元々人見知りで、あんまり話すのが得意じゃないから、辛そうだなぁ。
そういえば、僕相手でも最初の方は口調というか、語尾というか、安定してなかった感じだったし……
「見てられないんだ!高幡なんかほっといて俺たちと遊ぼう!絶対そっちの方が楽しいから!俺が楽しませてやるから!」
猪原は自分が言っている事が絶対正しいと言うくらいに全てを断定して話していた。自信家なんだろうけど、僕が苦手な部分はそこ。「えんじょう」……二見さんも苦手かも……
「すいません。その……間に合ってますから……」
二見さんが、猪原たち三人をすり抜けて通ろうとしたときだった。
「二見さん!ダメだって!俺たちとおいでよ!」
猪原が二見さんの腕を掴んだ。
「……った」
手を強く掴まれた痛みで歪む顔。できるだけ静観するつもりだったけど、それを見た瞬間、僕は考えるより先に動いていた。
「やめてよ。猪原くん」
猪原の手首を掴み、二見さんの手を離させた。別にすごい力で握ったわけじゃなくて、肘の曲げる方と反対側から握られると力が入らなくなるもの。僕が突然にぎったから驚いたのもあって、二見さんの腕を離した形だ。
「高幡!てめえ!」
瞬間逆上した猪原が僕の右肩を突き飛ばそうと手を出したのに気が付いた。ここで一歩下がればすぐに避けることができたのに、僕の悪い癖だ。そのまま突き飛ばされた。僕は近くにあった机2つをなぎ倒しながら地面に尻もちをついた。
「流星くん!」
二見さんが心配して近寄ってきてくれる。
「ちっ」と、あからさまな舌打ちで猪原が不満をぶつけてきた。
「女に守られやがって!行こう!」
猪原が坂中、向田を引き連れて去った。三人とも一様に蔑んだ目をしていた。坂中、向田も猪原同様の考えなのか、賛同しているかなのだろう。
「大丈夫ですか!?私のためにごめんなさい!」
二見さんが起き上がるのに手を貸してくれた。
「ごめん。かっこ悪くて」
「そんなの気にしないで!ケガはありませんか?」
「ありがとう、大丈夫です」
そう。|大丈夫なように転んだから《・・・・・・・・・・・・》。あそこで猪原が付き飛ばすのを避けたら、猪原は逆上して殴りかかってくるだろう。ケンカになるともっと二見さんが責任を感じてしまう。しかも、猪原との関係も悪くなる。
僕の最適解としては、あそこで突き飛ばされてある程度の不満を発散させること。空気は悪くなるので、猪原は立ち去る。向こうが上だと思って優越感があるからこそとる行動だと思ったのだ。
それよりも気になったのは、二見さんの腕の方。猪原に掴まれて赤くなっていた。彼女は元々色白で赤くなると目立ってしまう。内出血まではいかないけれど、多少跡が残る程力任せに握られたのだ。このことは後々僕の感情を乱すことの理由の一つになる。
「二見さんこそ手が赤くなってるけど大丈夫?保健室寄る?」
「これくらい大丈夫で……保健室にはベッドがありますね。空いてますかね?」
二見さんは通常運転だった……。一応シップくらいはもらっておいた方がいいのかな。
***
(ガラッ)「遅くなりました」
僕らは、いつもより少し遅れて読書部の部室に到着した。
「あ、流くん、遅い!二見さんとどっかに行ったのかと……どうしたの?」
二見さんの腕のシップを見て天乃さんが訊ねた。
「ちょっと……」
二見さんは多くを語らなかった。
「流くんなの?ケンカ!?」
天乃さんが僕を責める目で見た。
「違うんです!流星くんは守ってくれた方で!」
「え?」
「クラスの男子にちょっと……」
「そうでしょ、そうでしょ」と僕の背中をバンバン叩く天乃さん。段々遠慮が無くなってくるな、この人。一応でも女の子を助けた事を自分の事のように自慢気だ。
「その男子って、誰?」
姫香さんが相変わらずの無表情で訊ねた。ただ、その視線は冷たく鋭いようにも見えた。昔の姫香さんを知っている僕としては肝が冷えた。
「いや、いいんですよ。ひとまず収まりましたから。それよりも、しっかり成績上げてアピールしないとまずいみたいです。段々SNSの中だけじゃなく、直接来るようになってきましたし」
「そうね。厳しくいくわ」
「ギアは一段上げますんで、お手柔らかにお願いします」
本気の姫香さんは怖い。程々でお願いしたい。
「じゃあ、今日のミッションいくわよ」
相変わらず幼い声であまり抑揚が無いしゃべりの姫香さん。でも、何となく彼女の中に火が付いたのを感じたのは僕だけかもしれない。
***
「じゃあ、気を取り直して、今日のミッション」
今日までに過去問の把握はほぼできていた。後は忘れないように繰り返し……と思っていたけど、新しいミッションらしい。
「少し内容を変えた問題を準備したわ。今日はこれをやって」
数学で言うなら数字が多少違う。国語で言うなら出題されている漢字が違う。出題範囲も問題の傾向も同じなのに、ちょっとだけ違う問題が準備されていた。こんなものを作れるのはそうそういないはず。数学なんて数字がちょっと変わるだけで問題として成り立たなくなることもある。
「ちょっと変える」がすごく難しいから教師も自分で問題を作らず、教材の中からコピペして使うようになる。結果として過去問と似た問題の出題となるのだ。「少し内容を変えた問題を準備した」は、いうほど簡単じゃことじゃない。
数日で8教科全部作り上げてしまうなんて、本職の教師より仕事をしているのではないだろうか。また「お供え」を持って来なければ。
「じゃあ、時間は半分の30分で今日は4教科やるわ。点数が70点以下だったら……覚悟が必要ね」
背筋が伸びる僕。他の二人は単なる罰ゲーム程度にしか思っていない様だった。とにかく集中して、問題を解いた。
……結果、4教科70点以上いけました。よかった。危なかった。




