第五十八話 「公爵令嬢は頼まれる」
一同が屋敷内の居室に移動するとセバスティアンが大量の白いタオルを持ってきたので皆、濡れた髪や顔を拭く。ヴィクトルは雨に降られてズブ濡れなので、早々に私の横で暖炉の前に陣取り、服を乾かしながらガシガシと雨に濡れた赤髪を力任せに拭った。
同じく雨に濡れた銀縁眼鏡のダリオン・アルケ・フィサリス大公は受け取ったタオルで銀縁眼鏡についた水滴をタオルで拭きとった。
「ご令嬢。雨で服が濡れてしまったので着替えたいのです。客室をお借りしてもよろしいですか?」
「ええ、もちろん構いませんわ。セバスティアン、案内して差し上げて」
「はい。では、こちらでございます」
居室に残ったのは私とマリウス様、金髪の女騎士ミシェルと第二王子ディートリヒ様、そして赤髪の料理人に、私が胸に抱いている白鳥だ。ディートリヒ様は一人、居室のソファに腰かけると長い脚を組んだ。
ミシェルの方はヴィクトルよりも衣服に泥が跳ねて酷い状態だったが、黒衣の伯爵マリウス様から預かった大剣を居室のドア近くで壁に立てかけ、タオルで衣服を拭いながら、同じ室内にいる黒衣の伯爵を睨め付けている。
先ほどまでマリウス様を不審者だと判断して剣を交えていたのだ。ミシェルが警戒するのも無理はないだろう。私は小さく息を吐いて、黒衣の伯爵に質問することにした。
「マリウス様。どうしてここに……? 少し前、脇腹に深い傷を負われたのでは?」
「脇腹に関しては、この通り問題ない」
「問題ないはずが無いだろう? 私は確かに貴様の脇腹を剣で貫いたんだぞ!?」
黒衣の伯爵マリウス様の言葉にミシェルが、美しい金色の前髪から水滴を落としながら異論を唱えるが、マリウス様は琥珀色の瞳を僅かに細めただけで、淡々とした様子を崩さない。
「実際、こうして問題なく生きているのが事実だ」
「しかし……!」
柳眉を逆立て、さらに反論しようとするミシェルに私は口を挟むことにした。やはり彼女は頭に血がのぼっているようである。とりあえず、状況確認が先だろう。
「ひとまず、マリウス様がご無事なのは良かったですわ。でも、何故あの時、ジュリアと行動を共にしていたんですの?」
「それは……」
「やはり、以前おっしゃってた通り、脅迫されていたということですか?」
「まぁ、それに近い形だ……」
「やっぱりジュリアに」
「だが、俺が剣で貫かれて倒れたことでジュリアは、俺が死んだと思ったのだ。……おかげで解放されたという訳だ」
「そうだったのですね……」
それで現在は行動を共にしておらず、マリウス様はジュリアから解放されたということなのだろう。私は得心した。
「俺のことは死んだと思わせておいた方が都合が良い……。今はジュリアに表立って直接、干渉する気は無い。ここに来たのは他でもない。エリナ嬢に頼みがあるからだ」
「頼み?」
「ああ。可能ならジュリアが所持している遺物を回収したいのだ」
「以前、弱みを握られたというのは、その遺物が?」
「その通りだ……。失われた古代文字が掘られているから、見れば分かるはずだ」
「古代文字の掘られた遺物? それは確かに珍しい代物でしょうけど……」
由緒正しい、骨董品ということかと想像しながら返事をすれば、黒衣の伯爵は頷く。
「もし、入手できればエリナ嬢の元で一時的に保管して欲しいのだ」
「それはマリウス様が引き取りに来るまで、私が預かると言うことですか?」
「ああ。構わぬか? 無理ならば、それでもかまわぬ」
「預かるだけなら、たぶん出来るとは思いますが……」
戸惑いながら答えれば、黒衣の伯爵は満足そうに琥珀色の目を細めた。
「そうか、助かる……。では俺は失礼する」
「え? 外はまだ雨が降っていますよ?」
「俺がここに居ては、その者が落ち着かんだろう」
「フン」
僅かに方眉を上げたミシェルは、アイスブルーの瞳に警戒の色を隠そうともしない。確かに黒衣の伯爵に対して疑念を持ち、警戒し続けているミシェルは、彼と同じ屋敷内に居て心が休まる筈も無い。かといって雨の中、マリウス様に出て行ってほしいとまでは思っていない。しかし黒衣の伯爵はドアに向かった。
「用も済んだし帰らせてもらう。では、すまないが頼んだ」
壁に立てかけられている自身の大剣を手に取った黒衣の伯爵はそう告げると、そのまま部屋を出て行った。
「え、ちょっと! マリウス様!」
「いない」
薄暗い廊下は一方通行だが、すでに黒衣の伯爵マリウス様の姿は見えない。
「あいつ、やはり怪しすぎる」
「伯爵と言っていたが、少なくとも俺は知らぬ顔だったな」
眉間にシワを寄せるミシェルと、腕を組んで壁にもたれかかっている美貌の第二王子ディートリヒが訝しそうな表情をして考え込んでいる。
その時、暖炉の前である程度、服を乾かした赤髪の料理人がひょっこりと顔を出した。
「ああいう、自己完結して人の話を聞かない男はモテないタイプだな。やっぱり、俺のように女性を思いやって言葉を尽くすタイプじゃないとダメだな」
「貴様のようなヤツが最も信用できないタイプだが、自覚が無いというのは恐ろしいことだな」
「は!? 俺のどこが信用できないって言うんだよ?」
「そうだな。控えめに言って、全部だな」
「なんだと!?」
赤髪の料理人と金髪の麗人による舌戦の火ぶたが切って落とされようとした、まさにその時、ちょうどセバスティアンが廊下の奥から新しいタオルを持って歩いてきた。
「おや、エリナお嬢様……」
「あ、マリウス様が通って行かなかった?」
「いえ、廊下では誰とも会っておりませんが」
「そんな……」
一方通行の廊下でセバスティアンに会わずに姿を消すとは一体どうやって。廊下の窓から出て行ったのだろうか。外はいまだに雨が降っているというのに、こんな足元の状態も悪い中、窓から外へ出たというのだろうか。
それに、古代文字が掘られた遺物とやらの形状すら分からないというのに、どのように回収しろというのだろうか。ミシェルとヴィクトルが背後で口論しているのを聞きながら、私は暫し呆然と立ち尽くした。




