第五十六話 「公爵令嬢はかける言葉が見つからない」
「先ほどから玄関で呼んでも、どなたも出て来なくて途方に暮れてたんですが、何やら音が聞こえるので来てみれば……。いや~。実に面白い物を見せてもらいました!」
「フィサリス公爵、どうしてここに? ファムカ王立図書館に行ったのでは?」
「ええ、行きましたよ……。噂に違わぬ、素晴らしい蔵書数でした!」
北の湖に建てられたヴァイスヒルシュ城で、私がファムカ王立図書館について、近隣諸国でも蔵書数が豊富と評判で貴重な写本もあると述べた時、この銀縁眼鏡のダリオン・アルケ・フィサリス公爵が、並々ならぬに興味を示したのは記憶に新しい。
そしてそのまま、まだ見ぬ本を目指してファムカ国へ向かってしまったほどの書物愛好家。いや、書物崇拝狂と言っていいほどの行動力を見せたのだ。
王立図書館には膨大な数の本、書物がある。それらに目を通すのは一朝一夕に出来ることではない。てっきりファムカ王都に長期滞在して、王立図書館に通い詰めるのだとばかり思っていたので、こんなに早く再会することになろうとは思いもしなかった。
「この短期間で、もうご覧になられたのですか? ファムカ王立図書館の膨大な蔵書を……!?」
「ははは。いや、あの王立図書館の蔵書数は実に素晴らしかったですが、昔書かれた物の写本が多かったでしょう?」
「え、ええ……」
「昔、書かれた著名な本に関しては私、一通り読んだことがありますから!」
「えっ!」
銀縁眼鏡の公爵が読書家であるというのは知ってはいた。しかし、昔の著名な本は一通り読んだことがあるという返答に唖然とした。
私の知る限り、ファムカ王立図書館にある著名作もとんでもない蔵書数があったはずだ。彼の頭の中には一体どれだけの情報が詰まっているのだろうか。
「まぁ、中には最新の研究内容が書かれた本もありましたし、見たことが無い物もあって、実に有意義な時間を過ごせましたが」
「はぁ……。それで、もうファムカ王立図書館での用事は済まされたのですね?」
「そうなのですよ! あと、そろそろ、アリアを迎えに行かないといけませんからね!」
「アリア……。確か、黒髪の……」
「ええ。私の身内です」
ヴァイスヒルシュ城で赤髪の料理人が、その美しさを絶賛していた女性の姿を思い出す。パープルブラックの布地に白いレースが華やかにあしらわれたドレスを着た、アリア・アルケ・フィサリスと言う名の妖艶な美女。
あんな美しい身内の女性を旅先で長期間、目を離すというのは何かと心配だろう。私はひとつ頷いて納得した。
「それで帰路を急がれていたのですね」
「そうなのです! そして、ご覧の通り、急な雷雨に見舞われまして……。ご令嬢、雨宿りさせて頂いてもよろしいですか?」
「ええ、それは構わないですけど……」
「ああ、お取込み中だったようですねぇ~。これは失礼しました」
「いえ……」
妙にハイテンションでマイペースな銀縁眼鏡の公爵の登場に、私達は毒気を抜かれたような気分になった。ミシェルもヴィクトルも、私の横にいるディートリヒ王子も、腕の中にいる白鳥も皆、唖然としている。
そんな私達の心中を知ってか、知らずか、彼は銀縁眼鏡をクイと上げながら興味深そうにヴィクトルやミシェルの方へ視線を向ける。
「それにしても、こんな所で、こんな状態のおまえに会うとは……。実に愉快ですねぇ」
「……」
ヴィクトルに剣先を突き付けられている男の姿を見て、銀縁眼鏡の公爵は実に嬉しそうな笑みを浮かべた。そしてそんな公爵を見た黒衣の大男は無言で、うっとおしそうに眉を顰めた。
銀縁眼鏡の公爵の様子と『こんな所で、こんな状態のおまえ』という言い方。明らかに、初対面の雰囲気ではない。
「フィサリス公爵は……。マリウス様をご存知ですの?」
「マリウス? ええ、その伯爵のことはよく存じておりますよ。同郷の者ですからね」
「伯爵!? フィサリス公爵と同郷。……ということはマリウス様は、ガランサス国の伯爵だったのね」
黒衣には上品で細やかな刺繍が施されており、いかにも貴族然とした格好をしていたから、初対面の時からマリウス様が貴族なのは、ほぼ間違いないだろうとは思っていたが……。
この二人が同国の者同士で、旧知の仲であるらしいことに驚いていると、たった今、伯爵であると判明した黒衣の男は、琥珀色の瞳を光らせてフィサリス公爵を一瞥した。
「フン……。そういう貴様は、大公ではないか」
「大公!? え、確か、公爵だったんじゃ……」
「いや~。私の身分に関しては、決して嘘を言った訳ではないんですよ? 『大公』ってことは、つまり『大公爵』つまり『公爵』でもある訳でしょう?」
「え……。まぁ、そう言われると確かに……」
全く悪びれず、笑顔であっけらかんと語る銀縁眼鏡の公爵……。改め、大公に相槌を打つと、彼は銀縁眼鏡の奥でオレンジカーネリアン色の瞳を細めた。
「ほら、大公と呼ばれる身分の者が碌な護衛もつけずに、ほぼ単身で他国をフラフラしてるなんて嘘っぽいじゃないですか?」
「え、ええ」
「だから『大公』って名乗らずに控えめに『公爵』って言ったんですよ? これでも気を使っていたんです」
「はぁ……」
気を使って自分の身分を『大公』ではなく『公爵』と言ったのだと話す銀縁眼鏡の貴人に、私は何だか呆れてしまって、かける言葉が見つからなかった。




