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第五十話  「黒髪の従僕は再会する」

 公爵令嬢エリナ様から「フィリップ、本当にゲオルグ国王がディートリヒ王子を謀反人として誅殺しようとしたのか、グルーテンドルスト国まで行って調べて貰えるかしら?」そう要請され、久しぶりに王都の門をくぐった。この地を踏むと色んな思い出がよみがえる。しかし、残念ながら感傷に浸っている時間は無い。


「ひとまず露店街でも散策しながら、市井の噂を聞いてみるか……」


 人々の喧噪の中、石畳の街路を歩けば、野菜を売る露店では鮮やかなオレンジ色の大きなカボチャ、赤タマネギ、じゃがいも、ニンジンに旬のキノコ。栗皮色のヤマドリダケ、黄色い花のようなアンズダケ等が山盛りに盛られている。


 果物を売る店では真っ赤に輝く林檎や梨、葡萄、赤紫や青色のスモモなど、瑞々しい果実が美しく陳列され、肉の切り売りをしている店では、軒先に大小いろんな種類のソーセージを吊して、行き交う人々の目をひいていた。


 ふと、香ばしい香りに視線を向ければ肉屋の隣で、串焼きの肉を焼いている露店の女店主と客が話し込む声が耳に入る。



「それにしても第二王子が、あんな事になるなんてねぇ」


「乗ってた馬車が渓谷の高い場所から落ちて、見つからないんじゃあ、生きてはいないだろうなぁ」


「おいたわしい事だねぇ……」


「現状、城にいる王子は第一王子だけになってしまったな」


「第一王子にまで、もしもの事があれば大変な事になるわよね……」


「今回の件をきっかけに、前々から囁かれてた第一王子の結婚が急がれるかも知れないなぁ」



 ディートリヒ王子が行方不明になっている件は、すでに市井の人々の耳にも入っているのだなと自身の顎を指で摘まんだ時だった。



「おお! フィリップじゃないか!」


「これは……! ご無沙汰してます。クレメンスさん」


 陽気に声をかけてきたのは、城で働いていた時、たびたび顔を合わせていた書記官のクレメンスという男だった。


「突然、おまえがジュリア姫に解雇されたから、心配していたんだ!」


「私も当初は途方に暮れていたんですが、あの後ファムカ国の方に声をかけて頂いて、今はそちらで働いているんです」


「そうだったのか! いや、元気そうで何よりだ! こんな所で立ち話もなんだ。ちょうど良い時間だし、そこの店にでも入ろう!」


「ええ、是非!」



 城に勤めているクレメンスさんから話を聞ければ、第二王子の謀反についてや、ゲオルグ国王が第二王子の殺害を指示した件について、真偽が確かめられる。こちらにとっては願っても無い。


 快く誘いを了承し、近くの酒場兼、食堂に入ると、中は賑やかに酒や食事を楽しむ客で賑わっていた。カウンター席で二人座れる場所が無かったが、幸いテーブル席が空いていたので、そこに掛ける。


 ふと近くのカウンター席に座っている男の頭部や右肩に、包帯が巻かれているのが見えて、痛々しそうな様子に思わず眉を顰めた。しかし、眼前のクレメンスさんは、周囲のことは気にもせず口を開く。


「とりあえず麦酒でいいな?」


「あ、私はアルコールを飲むと、すぐ顔に出てしまうので……」


 暗に飲酒を断ろうとしなのだが、こちらの意図を知ってか、知らずかクレメンスさんは全く意に介さない。うんうん頷きながら破顔する。


「呑むと顔が赤くなるタイプか! 俺は気にしないぞ! まぁ、一杯つきあえ!」


「えっ」


「勤務時間外なんだ! 固いこと言うなよ!」


「はぁ……」



 流されるように酒を飲む羽目になったのを内心、嘆息しながらも、アルコールが入った方が城内の話もより聞きやすいかと思いなおす。


 呑むと顔に出やすいタイプではあるが幸い、泥酔して前後不覚になったことはない。常に意識も記憶も、はっきりしているのだから、過剰に心配する必要もないだろうと自分を納得させた。



 クレメンスさんが適当に二人前の注文を出せば、程なくしてテーブルの上に料理と飲み物が並べられた。豚、羊、鹿の肉で作られた色とりどりのソーセージとチーズの盛り合わせ。


 茹でたジャガイモを潰して小麦粉と塩、挽肉を混ぜてから丸めて蒸した団子。付け合わせに、塩のみで味付けされたキャベツのザワークラフトが添えられている。


 さらに薄切りにされた、黒いライ麦パン。刻んだ玉ねぎにバターと小麦粉を加えて炒め、さらにブイヨンなどで味を整えた素朴なオニオンスープが、白い湯気を立ち上らせながら鼻腔をくすぐり食欲を誘った。



 再会を祝って乾杯し、木樽ジョッキになみなみと注がれた麦酒を飲む。白い泡が立つ琥珀色の麦酒は、爽やかなハーブの香りと独特の酸味に加え、ほんの少し甘みも感じられた。満足げに咽喉を潤して一息つくと、クレメンスさんはおもむろに黒パンに手を伸ばす。


「薄切りにされたライ麦パンに、スライスされたチーズとソーセージを挟んで、簡易的なサンドイッチにして食べるのが好きなんだ」


 そう言いながら、嬉しそうにシンプルなサンドイッチを食べ始めた。その様子を見て微笑しながら、自分は現在、ファムカ国の北にある公爵家の屋敷で仕えている近況を話した。



「クレメンスさんの方は如何ですか?」


「俺の方は、アルヴィン王子が行方知れずになられてから、何かと多忙でな……」


「そうですよね……」


「おまえも知っての通り、俺はあの方の仕事の補佐をしてただろう?」



 アルヴィン王子に届く書類は基本的にクレメンスさんが全て目を通していた。重要な物を王子に渡し、重要度が低い書類はクレメンスさんが処理したり、最近は特に新しい産業の手続き、手回しで確認作業が大変そうだったと記憶している。



「ええ。確か、アルヴィン王子が手掛けておられた、ガラス産業、製紙産業などの補佐をされておられましたよね?」


「ああ。何しろ突然、何の指示も無く、責任者不在になってしまったんだから、現場は大変だよ」


「それは……。お察しします」



 心から同情を込めて言えば、クレメンスさんは木樽ジョッキを口元で傾け、ゴクゴクと音を立てながら麦酒を胃に流し込んだ後、口元についた白い泡を手の甲で拭った。



「ふぅ。先日もアルヴィン王子の不在が要因で、輸入される筈だった原材料が入手できなくなるかも知れないと言う話になったんだ」


「そんなことが……」


「材料が手に入らないんじゃあ、せっかく軌道に乗りかけていた、新産業が暗礁に乗り上げてしまうだろう?」


「ええ。そうですよね」


「だから先日、俺は藁にも縋る思いで、ディートリヒ殿下に『アルヴィン王子はいつ頃、戻られるかご存じないでしょうか?』と尋ねてしまったよ」


「……」


 城での第二王子は親しい肉親ならばいざ知らず、その美貌や冷たい雰囲気も相まって配下の者が気軽に声をかけられる雰囲気では無かった筈だ。クレメンスさんはアルヴィン王子の不在で余程、切迫していたのだろうと慮ってしまう。



「ディートリヒ殿下もやはり『分からない』と困惑されていたんだが、思う所があったのだろうな……。程なくして、行方知れずのアルヴィン王子を捜索する為、城を出られたんだ……。しかし、第二王子があんな事になるなんて……」


「さきほど城下で、第二王子は乗ってた馬車が、渓谷の高い場所から落ちて生死不明らしいと小耳に挟みましたが」


「ああ、その通りだ。ディートリヒ王子は王都への帰還途中で『賊』に襲われ、馬車ごと川に落下してしまったらしいんだ。未だに見つかっていない」


 クレメンスさんの言葉に、思わず黒パンをちぎる手を止めて聞き返す。


「……第二王子を襲った『賊』とは?」


「それがディートリヒ殿下を狙った賊は、渓谷の高い場所から弓矢で攻撃を仕掛けたそうで、第二王子側の、特に王子の馬車周辺を警護していた兵は壊滅的な被害を受けてしまって、賊の手がかりや詳細は分からないんだよ」


「……」


「しかも、賊の方は負傷者らしい負傷者も無く、現場を去ってしまったそうでな……。千人も王子の護衛がついていながら信じられないと思わないか?」


「そうですね……」



 返事をしながら内心、別の部分に疑問を覚えずにはいられなかった。クレメンスさんは『賊』と言った。ディートリヒ王子の話によれば『謀反人』の疑いをかけられ命を狙われた筈。


 グルーテンドルスト国王が指示し、軍隊がディートリヒ王子殺害の為、動いた筈なのに……。王都では第二王子が『賊』に襲われたことになっている。


 これは一体、どういうことなのか……。困惑する私に構わず、クレメンスさんは肉団子を摘まみながら話を続ける。



「いくら地の利がある上方から弓矢で攻撃を仕掛けたとはいえ、それほどの人数に壊滅的な打撃を与えた上、痕跡も残さず立ち去れるほど規律正しく動けるなら、それなりに訓練を受けた部隊ではないかと思うのだが……」


「ええ。確かに、千人の兵を相手に無傷で痕跡も残さず立ち去るなんて、盗賊にしては手際が良過ぎますね」


「だが、国外から軍隊が国境を越えて侵入してきたと言う情報も無い。だから、物取り目的で盗賊に襲われたと目されているんだ」


「……」


 第二王子を襲ったのは国外の軍隊では無く、王都では第二王子を襲ったのは『賊』とされている。ディートリヒ王子本人は『謀反』の疑いをかけられたと言っている。これの意味する所は……。



「とにかく、アルヴィン王子の捜索をしていた、ディートリヒ王子までも行方が分からなくなるなんて、王家は呪われてるんじゃないかって言う奴もいるよ。……ここだけの話だが」


「?」


 クレメンスさんが声を潜めて身を乗り出したので、こちらも心持ち身を乗り出して、何事かと耳をそばだてる。


「公妾ヘレネ様は出奔したと言われているが、国外で目撃されたという話が一切、聞こえてこないし案外、とっくに殺害されているのやも知れん……。アルヴィン王子にしても置き手紙を置いて行かれたが、その後はいっこうに消息が分からない」


「……」


「公妾、第三王子、第二王子……。これだけ立て続けに、行方不明者が出れば、呪いなんて噂が出てしまうのも無理ない話だろうな」



 大きな溜息をつき、肩を落とすクレメンスさんの木樽ジョッキに追加注文した麦酒を注ぎながら、気になっている点を尋ねる。



「……生死不明になったディートリヒ王子について城内では、どのように受けとめられているのでしょう?」


「第二王子が生死不明との一報を聞かれて、国王夫妻は大層、驚かれたそうだ。特に王妃殿下は聖堂に通って、ディートリヒ王子の無事を深く祈られているようだ」


「王妃殿下……。ルイーズ様」



 記憶の中で優しげに微笑む、聡明な貴人を思い出す。アルヴィン王子の実母、ルイーズ様はとてもお優しい方だから今回の件で、さぞかしお心を痛めていらっしゃるに違いない。


 出来ることなら、今すぐ王妃殿下に、ディートリヒ王子とアルヴィン王子の無事をお伝えしたい……。第二王子に謀反の容疑がかけられたのが誤解であるなら、クレメンスさんを通して二人の王子の無事を伝えるのに大きな問題は無いように思える。


 しかし、実は情報操作や規制なりが行われていて、グルーテンドルスト国王がディートリヒ王子を殺害しようとしているというのが事実であった場合、ルイーズ様に第二王子の生存を伝えることでゲオルグ国王がそれを知る所となり、ディートリヒ王子を匿っているエリナ様にまで危険が及ぶ恐れがある……。他の懸念もあることだし、やはり自分の一存で勝手な真似はしない方が良いだろう。



「第二王子は王妃殿下にとって実の子供ではないとはいえ、王子の幼少期からルイーズ様が教育係としてついていたからなぁ」


「そうでしたね……」


 思考しながら相槌を打てば、おもむろに麦酒を味わっていたクレメンスさんは、小さく息を吐き、ふとその瞳に影を落とす。


「血が繋がっていないとはいえ、我が子同然に可愛がっていたディートリヒ王子が生死不明……。しかも実の子供である第三王子も行方知れず……。王妃殿下の胸中は察するに余りある」


「国王陛下は、何と仰られているのですか?」


「勿論、すぐにディートリヒ王子を捜索するよう、指示を出されたよ」


「……」



 アルコールが回り、熱くなってきた頬を片手で押さえながらテーブルに肘をついて考えていれば、クレメンスさんは、こちらを見ながら目を丸くして呟く。


「フィリップ……。おまえ、本当に顔に出やすいんだなぁ……。まだ麦酒、一杯すら飲み切ってないのに、指先から手……。いや、身体全体、赤くなってるんじゃないか?」


「だから、赤くなるって言ったじゃないですか」


 恨みがましい目で軽くなじれば、痛い所を突かれたクレメンスさんは、いかにもバツの悪そうな顔をした。


「いや、まさか、ここまでとは思わなかったんだ……。目がトロンとしてるけど大丈夫か?」


「ああ、見た目は酔っ払いになってますけど意外と、意識はハッキリしているので御心配には及びません」


「うん。口調はしっかりしてるな……。でも酔っ払いは、自分の事を『酔ってない』と言い張るものだからな……。まぁ、ちょっとでも、危なくなったら遠慮なく言ってくれよ」


「だったら最初から飲ませないで下さい……」


 アルコールによる体温の上昇と多少の酩酊感。それに加えて、不毛な会話を繰り広げることに疲れ、これみがよしに大きな溜息をつけば、クレメンスさんは「すまん」と謝罪の言葉を口にした。


 ここで麦酒をあおったのは、自分がアルコールに弱いとか、そういう、どうでも良い話をする為ではない。話題を元の所に戻すべく口を開く。



「それで……。行方不明になられた第二王子の捜索を、国王陛下が指示されたとのことですが、具体的にどのようなご指示を出されたのでしょう?」


「ああ、ちょうど王都に定期報告に来ていた、カルミア伯がディートリヒ王子の捜索に名乗りを上げたそうで、国王陛下はカルミア伯に第二王子の捜索を一任されたそうだ」


「カルミア伯……。確か、国境警備の長官をされている」


「ああ。名門貴族で、国境周辺の地理に詳しいカルミア伯なら、国王陛下も安心して任せられるという事なんだろう」


「……」



 国王が自ら陣頭に立って指示している訳では無く、配下の者に任せたのか……。熱くなった左右の頬を両手でおさえつつ、テーブルにヒジをつきながら、どこともなしに視線を落として、まとまらない思考に浸っていれば、クレメンスさんは再び麦酒をあおって話す。



「若い頃のカルミア伯は公妾ヘレネ様と親しくされてたし、公妾の忘れ形見であるディートリヒ王子が生死不明と聞いて、思う所があったんじゃないかな」


「……昔のこと、お詳しいんですね」


「いや、俺の叔母が昔、城で働いていてな。当時は色々あったらしいぞ」



 意味ありげな表情で片眉を上げたクレメンスさんに、若い頃のカルミア伯と公妾について一応、話を聞こうと口を開きかけた瞬間、思いもかけない方から声がかけられた。



「あの……。その話、詳しくお聞きしたいんですが」


「え?」


 不意に尋ねられ、クレメンスさんと共に声の方に視線を向ければ、カウンター席に座っていた包帯の男がこちらに顔を向けていた。よくよく見れば、その顔には見覚えがある。


「君は……」


「私はディートリヒ王子の侍従です」


「第二王子の……」


「はい。私は殿下が馬車ごと川に落ちた時、同じ馬車に乗っていた侍従のヨハンと申します」



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