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第四十九話 「白鳥は近辺を警戒する」

 ジュリアの手によって白鳥の姿になった後、婚約者だったブランシュフルール公爵家のエリナに保護された俺は、彼女の傍で不自由なく過ごした。


 呪いの効力が弱まったのか、幸い言葉を話せるようになってからは、意思疎通も出来るようになったし、こちらの事情を話せばエリナは親身になって、俺の呪いが解けるよう動いてくれた。


 ブランシュフルール公爵家の屋敷から、比較的近い距離にある、ヴァイスヒルシュ城に第二王子である、ディートリヒ兄上が滞在していたのは僥倖だった。


 兄上に面会し、こちらの事情を話して漸く活路が見出せたと思ったのも束の間、ディートリヒ兄上は父王ゲオルグに謀反を疑われ、意識不明の状態でブランシュフルール公爵家の屋敷に運び込まれた。



「ディートリヒ兄上と父上は何となく、よそよそしい雰囲気もあったが兄上に謀反の意思など無いのは明白だし、自分の子を殺害するよう指示を出すとは、とても信じられない……」


 独りごちるが実際の所、兄上がこちらに来てから、グルーテンドルスト兵の身なりをした兵が、この周辺を探索しているのが目につくようになった。兄上は当初の危険な状態を脱した為、四六時中、傍にいる必要は無い。俺は密かに屋敷の周囲を警戒することにした。


 今日もグルーテンドルスト兵と思しき二人の男が、ブランシュフルール公爵家の屋敷近くで休憩を取っていた。気配を消しながら、そっと近づき、茂みに潜みながら聞き耳を立ていれば、兵たちは会話をはじめた。



「これだけ第二王子を探しても、見つからないということは、もっと下流に流されてしまったのではないか?」


「その可能性が高いだろうな……。しかしファムカ国内まで、大っぴらに捜索するとなると、それなりの兵をファムカ国に投入することになるからな……。大規模捜索は難しいだろう」


「第二王子捜索を名目に、まとまった数の兵を他国に送っては、国境侵攻を疑われるという訳か……」


「ああ」



 自国内ならともかく、どこに行ったか分からない第二王子を探して他国にまで、まとまった兵を送るというのは確かに難しい。しかも厳密に言えば、捜索対象者は公妾が産んだ、王位継承権の無い非嫡出子なのだ。


 せめて明確な手がかりでもあれば話は別だろうが、本当にいるか分からないのに他国に兵を送って、国家間の関係が険悪になるような事態は避けたい。というのが容易に想像できた。そんなことを考えているとグルーテンドルスト兵は少し、声を潜めて囁く。


「それにしても、ディートリヒ王子が見つかれば、生きていても『殺害せよ』と上からのお達しなのだろう?」


「おい! それは極秘事項だろうがっ!?」


 片方の男は声を荒げたが、もう一人はヒラヒラと手を振って笑う。


「こんな辺境の森林で聞いてる奴なんて誰もいないさ」


「それもそうか……」


 

 呑気なグルーテンドルスト兵たちと対称的に、話を聞いていた俺は、ディートリヒ兄上の殺害命令は確かに出されていたと知り愕然とした。


 これは絶対に屋敷の中に、ディートリヒ兄上がいることを悟られてはならないと思った、その時、不意に片方のグルーテンドルスト兵が呟く。



「そういえば、あそこの屋敷はどうなんだ? ファムカ国の……。公爵家の屋敷だったか……」


「ああ。第二王子を知らないか、すでに声をかけたが、やはり知らないと言っていたぞ」


「しかし案外、灯台下暗しってこともあるんじゃないか?」


「そういえば、中までは確認していないからな……。意外と匿われているという可能性も――」



 グルーテンドルスト兵が屋敷内に興味を示したその瞬間、俺は白鳥特有の低い威嚇の声を上げ、バタバタと大きな翼をはためかせながら突如、二人の兵の前に姿を現した。



「何だ!?」


「は、白鳥!?」


 突然の出来事に驚くグルーテンドルスト兵に対して、俺は長い首を伸ばして容赦なく、威嚇しながらクチバシと翼で軽い攻撃を加えた。


「い、痛ぇ!」


「なんて凶暴な白鳥だ!」


「人間様に歯向かうとは、身の程知らずの鳥め……!」


「まぁ、ちょうどいいさ。殺して、夕飯にしてやろう!」


「!」


 逆上したグルーテンドルスト兵が、腰に帯びていた剣をスラリと引き抜いて、切りかかろうと構える。流石に身の危険を感じ、引くべきだと思った次の瞬間、思いもかけない方向から声がかかった。



「待て!」


「!?」


 声の方に視線を向ければ、制止した声の主は、凛々しい金髪碧眼の女騎士だった。



「誰だ貴様は!?」


「私はブレイズ侯爵家のミシェル。……ブランシュフルール公爵令嬢の護衛騎士でもある」


「こ、侯爵家……」


「公爵令嬢の護衛騎士……」


 いきり立っていたグルーテンドルスト兵が、身分を聞いて怯んだのをアイスブルーの瞳で眺めながら、金髪の麗人は問いかける。



「その白鳥は、この辺りを治めるブランシュフルール公爵家の令嬢、エリナ・アンジェリーヌ・ド・ブランシュフルール公爵令嬢が可愛がっている、愛鳥と知っての所業か?」


「えっ!」


「公爵令嬢の?」


 目を丸くするグルーテンドルスト兵に、冷淡な視線を向けながら女騎士はゆっくりと頷く。


「如何にも。その白鳥は、公爵令嬢の愛鳥だ」


「……」


 ごくりと生唾を飲み込み、言葉を失うグルーテンドルスト兵に対して、金髪の麗人は柳眉を逆立てた。


「グルーテンドルスト国の第二王子が行方不明だと聞き及んでいたから、他国の兵が、この辺りをうろつくのを黙認していたのだが、貴様らはブランシュフルール公爵令嬢の白鳥を殺すと言っていたな?」


「い、いや、そんなつもりは……」


「まさか、公爵令嬢が白鳥を飼ってるとは思わなかったんだ!」


「ああ、てっきり野生の鳥だとばかり……」


「それに俺たちは好き好んで、白鳥を殺そうとした訳じゃない! この鳥が俺たちを襲って来たから!」



 すっかり気勢をそがれたグルーテンドルスト兵は、自分たちに非は無かったのだと弁明し始めた。その様子を無表情で見ていた女騎士の後ろから、ゆったりとやって来た老紳士が穏やかに声をかける。



「白鳥は縄張り意識の強い鳥ですから、見ず知らずの人間が自分のテリトリーに入ったことで、警戒して攻撃してしまったのでしょう」


「セバスティアン……」


 ミシェルがほんの少し眉間に皺を寄せるが、老紳士は構わず続ける。


「普段は大人しい白鳥なのです。屋敷に知らない人間が近づきさえしなければ、無闇に人を襲うようなことはございません。ブランシュフルール公爵家の家令を務めております、この私に免じて、お引き頂けませんか?」


「……まぁ、そういうことなら」


「ああ。飼っている鳥なら、屋敷外で放し飼いなどしないことだ!」


「お言葉、肝に銘じておきます」



 老紳士が形の良い礼をするのを見て多少、溜飲を下げたグルーテンドルスト兵は、逃げるように立ち去った。彼らが完全に見えなくなってから金髪の麗人は、実に冷ややかな視線をこちらに送りながら問いかける。


「……それで、何か言いたいことは?」


「すまない……」


 危ない所を助けられる形になり、素直に頭を下げ、謝罪すれば老紳士も疑問を口にした。


「その姿で、何も知らない人間の前に出れば、襲われかねないことは分かっていたでしょう?」


「ああ……。本当は姿を見せたり、攻撃するつもりは無かった……。だが、あの二人がディートリヒ兄上を殺害するよう、上から命令を受けていると聞いたんだ」


「!」


「なんと……」


「その上、ブランシュフルール公爵家の屋敷内は、まだ見ていないと言い出したので、つい……」


「さようでございましたか……」



 アイスブルーの瞳を見開く金髪の麗人と、やや驚いた様子の老紳士に事の次第を話せば、二人は納得してくれた。女騎士は一つ溜息を吐く。


「人間の我々が出て行くより、白鳥が縄張りを守っていると思わせた方が怪しまれないだろうが、あまりにも危険すぎる……。せめて単独行動は控えるべきだ」


「そうだな……」


「屋敷の周囲を警戒する際は、誰かに声をかけるようにした方が、よろしいでしょう……。次からはそうなさって下さい」


「ああ……。分かった」


 女騎士と老紳士に諭され、深く頷いた俺を見たセバスティアンはポンと手を叩く。



「そうそう! 実は先ほど、ディートリヒ殿下の食欲が無いと、エリナお嬢様にお伝えした所、一人で調理場に向かわれたのですが……」


「何だと! なんで、それをもっと早く言わないんだ! あの女狂いと二人きりにさせるなんて、危険極まりないぞ!」


 聞くや否や、金髪の麗人は顔色を変え、屋敷に戻るべく颯爽と駆け出した。


「アルヴィン様は、向かわれないのですか?」


「ミシェルが行ってくれたなら、俺が行くまでも無いだろう……。それに、俺はもう少し周囲を見回りたい」


「……」


「先ほどのグルーテンドルスト兵が、屋敷に探りを入れるのを本当に諦めたのか、まだ分からないからな」


「さようでございますか……。それでは散歩がてら、私もご一緒しましょう」


「そうか……。悪いな」


「いえいえ、良い気分転換になりますので」



 にっこりと微笑む白髭の老紳士と共に屋敷の周囲を歩いて回りながら、グルーテンドルスト兵が完全に立ち去ったのを確認して帰路についた。


 屋敷に戻ってみれば、赤髪の料理人が「痛いと思ったら、頭にでっかいタンコブが出来てるじゃねーか!」などと悪態をつきながら、冷水を含んだ布で必死に頭を冷やしているのを目撃し、老紳士と二人で視線をあわせて「やれやれ」と肩を竦めたのだった。

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