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第四十七話 「公爵令嬢は宥める」

 厚い紫檀材の扉を開けて屋敷の外に出れば、薄い雲の隙間から、気持ちの良い陽光が降り注いでいた。この屋敷に初めて来た時には荒れ果てていた庭園も、ラウルが丹精込めて整備してくれたおかげで、今は見違えるように整えられている。


 植物への水やりが楽になるようにと作られた水路も設計図に基づいて、きちんと造られたようだ。屋敷の入り口から見ると左右対称に水が流れ、さらに庭園の緑とコントラストも美しい。


 先日、ラウルが植えてくれた薔薇の苗たちは、どれもいきいきと鮮やかな緑色の葉を広げている。感心しながら歩いていると、揺れるアッシュブラウンの髪色が視界に入る。せっせと薔薇の苗を世話している庭師だった。



「ラウル」


「これは、エリナ様」


 私が声をかけると庭師は手を止め、笑顔で会釈した。


「薔薇の苗、順調に育ってるわね」


「はい。新しい土にちゃんと根付いてくれたようです」


「一安心ってところね!」


「ええ。それとエリナ様、こちらをご覧ください」



 庭師に促された場所を見れば、先日、カモミールの種を蒔いた花壇から、小さな可愛らしい新芽がいくつも顔をのぞかせていた。



「まぁ。この前、蒔いた種、こんなに芽が出てきたのね!」


「ラベンダーはまだ、あまり芽が出てないですが、カモミールの方はご覧の通りです」


「順調に育てば、無事に花が咲いてる光景が見れそうね!」


「そうですね……。カモミールはマーガレットに似た、白くて可愛らしい花を咲かせますよ」


 庭師が若葉色の瞳を優しく細めて、穏やかに微笑む。


「自家製のカモミールティーも作れるわよね!?」


「ええ、勿論です。収穫してドライハーブにすれば、いつでもカモミールティーが作れます」


「楽しみだわ!」


「薬効が高いハーブですからね……。エリナ様もご存知かと思いますが、カモミールは鎮痛効果、安眠効果、健胃効果。さらに保温、発汗効果があると言われてますから、風邪の初期症状の緩和に加えて、花粉症などのアレルギー症状を和らげる効能も期待できると言われています」


「カモミールの効能って多岐にわたっていて、本当にすごいわねぇ……」


 自分の唇に指を当てながら、お茶というよりも最早、薬と言った方が良いほど効能が高いカモミールの優秀さに改めて感心してしまう。


「そうですね。香りに安眠効果があると言われてますから、ハーブティーも良いですが、たくさん収穫出来たらポプリにするのも良いと思いますし、女性なら美肌効果を期待できると、化粧水にされる方もいると聞きます」


「化粧水!?」


「保湿効果も期待できると言われていますからね。尤も、一日で使い切ってしまわないといけませんが……。あと、入浴剤としてカモミールを愛用されてる方もいらっしゃるそうですよ」


「なるほど……」



 カモミールティーが健康に良いことは知っていたけど、美肌効果と保湿効果を見込んで、化粧水や入浴剤にする発想は無かった。


 大量に収穫できたら是非ためさなければならない。密かに誓いを立てていると、背後から土を踏む音が近づいてきた。



「エリナお嬢様」


「セバスティアン」


 声をかけられ振り返ると、やや表情を曇らせた老紳士がいた。。


「実はディートリヒ殿下の事なのですが」


「?」


「お食事を召し上がらないのです……」


「え!?」


 驚く私に、セバスティアンは沈痛な面持ちで続ける。


「こちらに来た時から、あまり食が進んでおられなかったのですが……。先ほどお出しした食事は、全く食欲がわかないからと、手も付けないご様子で」


「もしかして、具合が悪いの!?」


「いえ。それがどうも、精神的に落ち込んでおられるのが原因で、食事が咽喉を通らないようで」


「そんな……」


「身体が弱ってらした所に食事まで、碌に取らないとなると……」


「分かったわ。ディートリヒ王子と話してみる」




 実の父親である国王に謀反を疑われ、殺害されかけたとなれば、心労で食欲がわかないのも理解できるが、全く食べないとなれば黙って見過ごすことは出来ない。


 何か食べやすい物を作ってもらうべく調理場へ向かえば、調理台に向かい、まな板の上に色とりどりの新鮮なパプリカを置いて、料理に取り掛かろうとしてた赤髪の料理人に事情を話す。



「――という訳で、第二王子は今、あまり食欲が無いようだから、何か咽喉を通りやすい物でも作ってもらえたらと思って」


「そうか……。そういう事か……」


「?」



 片手で自身の顔を覆いながら肩を震わせ、何かを察した様子で呟く料理人の、あまりにも深刻そうな様子に小首を傾げていると、ヴィクトルは私の両肩を強く握った。



「騙されたら駄目だ!」


「え!?」


 戸惑う私に、赤髪の料理人は強く主張しはじめる。


「きっと第二王子は、俺の天使が食事を持って客室に現れたら……『君の事を考えると食事が咽喉を通らない……。俺を救えるのは、君の愛だけだ!』とか言い出すに決まってるんだっ!」


「さすがに、それは無いと思うんだけど……」


 若干、呆れていると、眼前の料理人は首を横に振って、真剣な表情で自身の推測を述べる。


「いいや! 戸惑う天使を寝台に引きずり込んで、あんな事やこんな事をする腹積もりに違いないっ!」


「そんな事を考えるのは、貴様くらいだッ!」


「ゴッ!?」



 私がヴィクトルに肩を掴まれたのを、タイミング良く目撃したのだろう。颯爽と調理場に飛び込んだ金髪の麗人は、光の速さで調理台の上に置いてあった、分厚いまな板を手に取り、赤髪の料理人の頭部を容赦なく強打した。


 まな板の上に置かれていた、赤、緑、黄色の鮮やかなパプリカは宙に吹っ飛び、頭部を強打されたヴィクトルもパプリカ同様に吹っ飛んだ後、ゴロゴロと冷たい床に転がった。



「ミシェル!?」


「まったく……。セバスティアンから、エリナが一人で調理場へ向かったと聞いて、心配して来てみれば案の定だ! 油断も隙も無い!」


「わ、私は大丈夫だから、落ち着いて!」



 白目をむいて倒れ込んだヴィクトルの背中を足蹴にして、グリグリと彼を踏みつけながら怒りを露わにするミシェルを何とか宥めて、料理人の意識が回復してから無事に野菜スープを作ってもらう頃には、すっかり日が傾いていた……。



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