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第四十五話 「公爵令嬢は王位継承権について聞く」

 私はフィサリス公爵から貰った本を脇に抱え、黒髪の従僕フィリップと共に廊下を歩き、客室に入った。暖炉の前を通り、第二王子が横たわる寝台の方に足を進めれば、傍らに白鳥を寄せている第二王子が薄っすらと目を開いて、白鳥に何やら呟いているのが見えた。



「ディートリヒ殿下!」


「ブランシュフルール公爵令嬢……」



 寝台の上で上半身を起こした第二王子に上着を肩掛けして、セバスティアンが用意してくれた熱いハーブティー入りのカップを手渡した。白い湯気が立つハーブティに息を吹きかけ、ゆっくりと飲めば、ディートリヒ王子は漸く人心地つけたようで、ほっと息を吐きだした。



「お目覚めになられて良かったですわ。一体、何があったんですの?」


「アルヴィンにも話していたんだが……。王都に帰る途中の渓谷で伏兵に攻撃されて、乗っていた馬車ごと谷底へ落ちたんだ」


「伏兵!?」


 事故ではなく、兵に攻撃されたと聞き、思わず声を荒げてしまったが、第二王子は気にする様子も無く続ける。


「川に投げ出されて、もう駄目かと思ったんだが……」


「意識を失って川岸に流れ着いた所を、ガランサス国のダリオン・アルケ・フィサリス公爵に助けられたのですね」


「どうやら、そうらしい。……フィサリス公爵は?」


「あの方は先ほど、この屋敷を発たれましたわ」


「……」


「ファムカ王立図書館へ一刻も早く行きたいご様子でしたので……。見送りの際に、またこちらの屋敷に寄って欲しいとお伝えしたのですが、再び来訪されるかは分かりませんわ」


「……そうか」


「それにしても、伏兵なんて一体どこの誰が差し向けたのでしょう?」


「……」


「グルーテンドルスト国内に兵を出して王子を害そうとするだなんて……。戦争になってもおかしくは無い事でしょうに」


 私が顔を曇らせていると、第二王子は手にしていたカップを仰いでから、大きく息を吐いた。


「他国の者では無いらしい」


「え」


「伏兵の指揮官は、俺の『父の命令』だと言って攻撃してきた」


「そんな……。まさか……」


 ディートリヒ王子の父といえば、グルーテンドルスト国王である。俄かには信じられないでいれば、第二王子は空になった手元のカップに視線を落としながら呟く。


「どうやら、俺に謀反の疑いがかけられたらしい」


「謀反!?」


「もちろん、俺は謀反を企ててなどいない」


「そ、そうですわよね」


 私は思わず、安堵の吐息をもらしたが、第二王子の瞳は昏かった。



「だが厄介な事に、謀反の疑いというのは一度かけられれば、それを拭うのは並大抵のことでは不可能だ」


「ディートリヒ殿下……」


「そもそも主君が臣下に対して、信用が置けぬと猜疑心を持ったから『謀反の疑い』という大義名分の元、処するのだからな」


「そのような事……。国王陛下とはいえ、お父上ではありませんか? 実の子を信用しないなんて……。まして処するだなんて」


「実の子か……」


 そう呟いて俯いたディートリヒ王子は一瞬、自嘲めいた笑みを浮かべた。


「?」


「まぁ、王子などと呼ばれてはいるが、俺など名ばかりだ……。王位継承権も無いのに、何が王子だ……」


「え?」


「兄上……」


 傍らの白鳥を一撫でした第二王子は、口角を僅かばかり上げて私の方へ視線を向けた。


「ブランシュフルール公爵令嬢は知らなかったか? グルーテンドルスト国は基本的に一夫一妻制でありながら、国王は公妾を持つことを容認されているが、王位継承権を認められるのは、正妃と王の間に生まれた子供だけだ」


「……」


「つまり先の正妃ソフィアの子である、第一王子ジークフリート兄上と、現王妃ルイーズの子であるアルヴィンは王位継承権を認められるが、公妾の子供である俺に王位継承権は無い」


「!」



 言われてみればそうだ。ディートリヒ王子の母が、王の公妾として身分を認められていたとはいえ、一夫一妻制の国で非嫡出子に相続権は認められない。


 つまり、非嫡出子であるディートリヒ王子には、生まれた時から王位継承権が無かったのだ。しかし、ならば何故『王子』と呼ばれていたのかと困惑していれば、私の胸中を察したらしいディートリヒ王子は口を開く。



「第二王子と呼ばれていたのは、長きにわたって正妃の子が、ジークフリート兄上ただ一人だった事と、俺の母である公妾の父が、国の宰相だったのもある」


「え」


「俺が生まれた時から、国王と公妾の子供に生まれた子供にも、王位継承権保持者としての地位を与えるべきだと宰相が強く主張したそうでな」


「……」


「宰相は何年も粘っていたそうだが、俺が幼少時、センタウレアの人質になってから王位継承権の話は有耶無耶になったようだ」


「人質?」


「其方は知らないだろうが、俺は幼少時に東国センタウレアで過ごしていた時期がある」


「……」


「当時は東国センタウレアとの国境付近で、諍いが絶えなかったからな……。友好の為に両国の王子を交換留学させるという名目だったが、体の良い人質だった」


「そんな……」


「まぁ、今となっては『王子』呼びは人質に箔をつける為、王子として扱われていた名残で儀礼称号的なものだ。思えば、俺が生まれた時から父上は人質として外交で利用する為に、王位継承権を与えるか曖昧にしていたのだろう」



 ディートリヒ王子は半ば自虐的な笑みを浮かべていたが、人質として扱われていた名残だなんて、あんまりではないのかと私は思わず、自分の手をきつく握った。そんな私に視線を向けた第二王子は苦笑した。



「俺は、今も昔も国の道具だ。王位継承権の無い王子など、使い捨てられても良い駒に過ぎない」


「……」


「兄上、そんな事は……!」


 言い募ろうとする白鳥を制して、美貌の王子は首を横に振る。



「俺が生きていると知られれば、碌な事にならないだろう……。ブランシュフルール公爵令嬢。君にも迷惑がかかってしまう……。こんな事なら、川に落ちた時に死んでおくべきだったな」


「ディートリヒ殿下! そのような事、おっしゃらないで下さい!」


「だが、事実だ」


「殿下……」



 心労と肉体的な疲労で、生彩の欠けた第二王子は白皙の美貌も相まって、いかにも儚げで、今にも朝露の如く消え去ってしまいそうな程だった。


 一先ず、聞くべきことは聞いた。第二王子との話を終えた私は、後の事をセバスティアンに任せて、黒髪の従僕と共に客室を出た。


 実の父に謀反を疑われた上、命まで狙われ、すっかり意気消沈しているディートリヒ王子と話をして、どうにも腑に落ちない点がある。第二王子を襲った伏兵の指揮官とやらは、王子の父親に命令されたと言っていたようだが、狂言や謀計の類である可能性もあるのではないかと……。



「フィリップ……。第二王子は本当に謀反の疑いを持たれているのかしら?」


「ディートリヒ殿下は、そう確信されているご様子でしたが……」


「私には、父親が実の子を殺そうとするなんて、ちょっと信じられないわ」


「……」


 黒髪の従僕は、やや俯き、視線を床に落として思案気な表情をしている。



「フィリップ、本当に国王がディートリヒ王子を謀反人として誅殺しようとしたのか、グルーテンドルスト国まで行って調べて貰えるかしら?」


「……かしこまりました」


「悪いわね」


「いえ、あの……。エリナ様」


「?」



 何やらおずおずと、言いにくそうな様子の黒髪の従僕に小首を傾げていると、フィリップは少し頭を下げた。


「私が不在の間、アルヴィン様の事、どうかよろしくお願いします」


「ん? それは勿論……。ああ、フィリップはここに来る前、アルヴィン王子の従僕だったものね」


「正確に申しますと、アルヴィン様が王子になられる前から従僕をさせて頂いておりました」


「そうなの!?」


 驚いて尋ねれば、黒髪の従僕は穏やかに微笑み、頷いた。


「私は元々、幼少の頃からアルヴィン殿下のお母上、ルイーズ様のご実家であるクレマチス伯爵家に仕えておりましたので……」


「まぁ……。では随分と長い間、一緒に居るのね」


「はい。従僕として仕事が出来るようになったのもアルヴィン様とお母上であるルイーズ様のおかげです。母が病にかかった時には希少な薬を用意して下さったり……。何かと私と家族の事を気にかけて下さいました……。お二方には返しきれない程の御恩があります」



 黒曜石色の瞳を優しく細めて話す黒髪の従僕の姿に、彼が如何に二人を敬愛しているのが窺えた。


「そうだったのね……。安心してちょうだい! フィリップが留守にしている間、私が責任を持って、貴方の大切な方が、危ない事をしないように見てるわ!」


「えっと。そう、ですね……。では、よろしくお願いします」



 なぜか若干、戸惑い気味に微笑した黒髪の従僕に、私は笑顔で力強く頷いた。翌朝、玄関前まで従僕を見送りに出て来た白鳥に視線の高さを合わせるべく、片膝をついたフィリップは二言、三言、白鳥と言葉を交わした。


「フィリップ。くれぐれも無理はしないでね」


「はい」


 私の言葉に笑顔でそう答えると黒髪の従僕は騎乗し、朝靄の中、単騎出立したのだった。


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