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第三十六話 「公爵令嬢は銀縁眼鏡の男と出会う」

 今後のことを前向きに考えながら城外に出るべく歩を進めていた所、茶髪で銀縁眼鏡をかけた、身なりの良い男性が通路の窓際にある革張りソファに腰掛け、分厚い本を読んでいる。


 ふと気になって、読んでいる本のページに視線を向ければ、白鳥の挿絵が見え、思わず足を止めてしまった。すると私の視線に気づいたようで、茶髪の男性は顔を上げた。銀縁眼鏡の奥で、いかにも理知的そうな瞳が穏やかに細められる。



「この本が気になりますか? ご令嬢」


「ええ……。その、白鳥の絵が見えてしまったので」


 私の足元に白鳥が居るのに気づいた茶髪の男性は軽く目を見開いた後、納得して頷いた。



「これは人間の姫が呪いをかけられて、白鳥になってしまう物語なのですよ」


「白鳥になる呪い……」



 私は同行している白鳥を横目で見ながら、思わず言葉を失った。そんな私に構わず茶髪の男性は、自身の銀縁眼鏡をクイと上げて微笑する。



「この物語の結末をご存知ですか?」


「いいえ。……でも呪いが解けて、人間に戻れるんでしょう?」



 自分自身の期待を込めてそう答えたが、茶髪の男性は首を横に振る。


「残念ながら、呪いが解けずに絶望した姫は死を選ぶのです」


「そんな……」


「そして、姫を愛していた王子も、彼女を救えなかった事を悔いながら死を選びます」


「酷い結末だわ……」


 私が顔を顰めれば、茶髪の男性は本のページをめくりながら苦笑する。



「そうですね……。ですが悲恋物というのは、いつの時代も一定の需要があるようで、廃れる事は無いようです。この本の中に載っている白鳥関連の話は三作。その内、二作は主要登場人物が死亡する、アンハッピーエンドです」


「……一作はハッピーエンドなのですよね?」


「はい。一作は白鳥になる呪いをかけられた兄王子達を、妹姫が助けて呪いを解く、ハッピーエンドですよ」


「そ、そうなのですか……。それは良かったわ」



 妹姫が兄王子の呪いを解くと聞いて、何とも言えない気持ちになるが、白鳥関連の物語が全て、主要人物死亡のアンハッピーエンドで無かった事は、素直にホッとした。



「この本は、つい先日、手に入れたのです。近隣諸国の童話や寓話などを書き記した物なのですよ」


「それは……。なかなか貴重な本ですわね」


「おや、この本の価値が分かりますか?」


 茶髪の男が嬉しそうに尋ねるので答える。


「私、祖国では毎日、王立図書館に通ってましたのよ……。近隣諸国の童話や寓話を書き記した書物なら、相応の知識や手間が必要ですもの……。まして、その本の厚さなら、価値は高いと思いますわ」


「なるほど。本の価値をよく理解しておいでのようですね。素晴らしい……。私は本の蒐集が趣味なのです。貴女が通っていたという王立図書館、とても興味が沸きます」


「私が通っていたのはファムカ王立図書館ですわ。近隣諸国でも蔵書数が豊富と評判で、貴重な写本もありますのよ」


 本の蒐集が趣味という人には、たまらなく心の琴線に触れるフレーズだったらしく、銀縁眼鏡の奥で瞳を輝かせた。


「それは素晴らしいですね! 是非、行ってみないと!」


「あ、でも……。王立図書館は、ファムカ国内の貴族なら自由に閲覧できるのですが……」


「国外の貴族は無理ですか? 私は一応、公爵ですが……」


 身なりもちゃんとしているので、貴族だろうとは思っていたが、まさか、こんなに若い男性が公爵とは思っていなかったので内心、驚嘆する。


「公爵……。それなら、事前に申請して、許可を取れば大丈夫だと思いますわ……。以前、国外から視察に来た役人が、王立図書館内に居たのを見た事がありますし」


「ふむ。面倒ですが、仕方ないですね……。国に戻る前にファムカ王立図書館へ寄る事にします。良い事を教えて下さってありがとうございます。ご令嬢……」


 銀縁眼鏡の奥で、薄茶色の瞳が優しく細められ、私も微笑み返す。


「私はエリナ。……ブランシュフルール公爵家の者ですわ。もし、王立図書館へ入るのにファムカ貴族の紹介状が必要なら、ご協力できるかと思います」


「これは、丁寧にありがとうございます。私はダリオン・アルケ・フィサリスと申します」


 その名を聞いて、もしやという思いが脳裏によぎる。


「フィサリス? 黒いドレスのアリアっていう名前の、女性のご身内?」


「おや、アリアに会いましたか?」


 銀縁眼鏡をクイと上げながら、茶髪の公爵が興味深そうに尋ねてきた。


「ええ、あちらの中庭で……。その、私の同行者と話をしてましたわ……。話が盛り上がっていたようなので、声はかけなかったんですけど……」


「全く、仕方が無いですね……。久しぶりに、外に出たから羽目を外しているのでしょうが……。ちょっと様子を見に行くとしましょう。貴女のおかげで有意義な時間を過ごせました。感謝します」



 分厚い本を携えて、ブーツの靴音を鳴らしながら中庭に向かう、知的な公爵の後姿を見送りながら、ふと気づく。


「あ……。アリアって女性が公爵の身内。……って事は、黒ドレスの女性は公爵令嬢かしらね」


「その可能性が高いだろうな。兄妹あたりか」


 ミシェルが、茶髪の公爵の後姿に視線を向けていると、同じ方向を見ていた白鳥は首をかしげる。


「うーん。しかし国内に、あんな公爵が居た記憶は無いんだが……」


「他国の公爵かも知れないわね……。ディートリヒ王子が、令嬢を気に入る可能性があるなら、他国からでも来る価値はあると考えるでしょう」



 王家と縁戚関係になれるなら、自国にとっても、実家にとっても大きなメリットになる。尤も、かつての自分がまさに、それを理由に王子の婚約者になってしまった公爵令嬢なのだが……。そんな事を考えていたら、ミシェルは腰に手を当て、半ば呆れながら息を吐く。



「わざわざ他国から、縁戚関係を結ぶべく、ここまでやって来たのか? ……ご苦労な事だな」


「あれ程、見目麗しい王子が結婚適齢期にも関わらず、婚約者も居ないなら、押しかける貴族が居るのも無理ないわよ……」


 

 そんな事がありながらも、私たちは馬車に乗り込み、美しい北の湖城を後にする。約一名、馬車の後方から大声を発し、走って追いかける赤髪の人物が居た。


 しかし、金髪の麗人は「日頃の行いが悪いんだ。良い機会だから暫く走らせよう」と歯牙にも掛けない様子で、馭者のフィリップには、あれに構わず馬車を走らせ続けるよう指示を出したのだった。

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