「顔色が悪い病弱女は英雄の妻にふさわしくない」と婚約破棄されましたが、私が貴方の「痛み」を全て肩代わりしていたのですが、明日から大丈夫ですか?
「セレナ、貴様との婚約を破棄する!」
王宮の大広間に、王太子レオナルドの怒号が響き渡った。
華やかな夜会は一瞬で静まり返り、着飾った貴族たちの視線が、会場の中央に立つ二人――レオナルドと、その前に佇む私、セレナに突き刺さる。
「……理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
私は口元にハンカチを当て、できるだけ声を震わせないように尋ねた。
咳が止まらない。喉の奥から鉄の味がする。
立っているだけで、全身が軋むように痛い。
今日のレオナルド殿下は、昼間に騎士団との模擬戦を三時間も行っていたからだ。その疲労と打撲の痛みが原因だろう。
「理由だと? 鏡を見てみろ!」
レオナルドは私の顔を指差し、侮蔑の笑みを浮かべた。
「その幽霊のような青白い顔! 祝いの席だというのに、湿っぽい咳ばかりして……。『不敗の英雄』と称えられる俺の隣に立つ女が、風が吹けば倒れるような病人では格好がつかないだろう!」
彼の隣には、ふっくらとした頬の愛らしい男爵令嬢が寄り添っている。彼女は勝ち誇った顔で、私を嘲笑うように見下ろしていた。
「そうよぉ、セレナ様。レオナルド様はね、いつも『セレナがいると空気が澱む』って仰ってるんですの。英雄様のパートナーには、私のような健康で明るい女性こそふさわしいと思いません?」
「ハハッ、その通りだリリィ! おいセレナ、俺の足手まといになる前に、さっさと田舎の領地へ引っ込んで療養でもしていろ!」
会場からクスクスと失笑が漏れる。
ああ……そう、ですか。
今の私は確かに不健康に見えるかもしれない。
だけど、それは私の特異体質によるものだ。
それが私に前世の記憶があることと関係があるのかはわからないが、私は誰かの痛みを引き受けることができたのだ。
だから、王家のため、貴方のため、ずっと痛みを受け止め続けてきました。
貴方が自信を失ってしまわぬように、そのことをずっと心に閉まって。
だけど、それも今日までのようです。
このような醜態にさらして、説明する気すら失せる。
「……承知いたしました」
私はゆっくりと顔を上げた。
不思議と、涙は出なかった。代わりに、冷ややかな諦めだけが胸に満ちていく。
「貴方がそう望むのなら、お返ししますよ」
「あ? 何をだ?」
「貴方の『痛み』をです」
「ははっ、すまぬな、確かに心が傷ついているだろうな。しかし、王族とは国のために時に非情な決断を下さなければならぬのだ」
その言葉を聞くか聞かないかというところで、私は彼との『リンク』を切断した。
ブツリ。
耳の奥で、何かが千切れる音がした。
その瞬間。
鉛のように重かった四肢が、嘘のように軽くなった。
焼けるようだった肺の痛みが消え、深く、澄んだ空気が体中に満ちていく。
一方で、レオナルドが眉をひそめた。
「……ん? なんだ? ……チッ、まあいい。最後くらい、しおらしく消え失せろ!」
彼は気づいていない。
今、彼の人差し指にある小さなささくれが、ズキズキと痛み始めたことに。
「さようなら、レオナルド殿下。どうかお元気で」
私は最大の皮肉を込めた一礼を捧げると、踵を返した。
もうよろめくことはない。
背筋を伸ばし、颯爽と歩き出す私を、周囲の貴族たちが「あれ? なんだか顔色が良くなっていないか?」と不思議そうに見送った。
◇
その様子を、バルコニーの暗がりから見つめる一組の瞳があった。
「……へぇ」
グラスを片手に、面白そうに目を細める美青年。
隣国ガレリアの皇太子、フェリクスだ。
「面白いね。今、彼女の生命反応が爆発的に向上した。……やはり、僕の仮説通りか」
青年は獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべ、音もなくバルコニーの手すりを乗り越えた。
「これは確保しないとね。貴重なサンプルを、野放しにはできないな」
◇
大広間の重厚な扉を背にして、私は夜のテラスへと出た。
頬を撫でる夜風が、驚くほど心地よい。
ついさっきまでなら、この程度の風でも骨の髄まで凍えるような悪寒を感じていたはずなのに。
今はただ、涼やかだと感じるだけだ。
……ああ、終わったんだわ。
私は手すりに手をかけ、大きく息を吸い込んだ。
肺が痛くない。心臓が悲鳴を上げない。
長い期間、レオナルド殿下が戦場や訓練で負うはずだった傷と疲労。
それを肩代わりし続けてきた日々が、ようやく終わったのだ。
自由になった開放感と、少しの寂しさ。
複雑な思いで月を見上げていた、その時だった。
「おめでとう。随分と清々しい顔をしているね」
唐突に、甘い声が降ってきた。
ビクリと肩を震わせて振り返ると、テラスの柱の影から、一人の青年が音もなく姿を現した。
月光を浴びて輝く銀髪に、闇夜に光る猫のような紫紺の瞳。
常に口元に薄ら笑いを浮かべたその美貌は、社交界でも有名だった。
「フェリクス……殿下?」
隣国ガレリア帝国の皇太子、フェリクス・アークライト。
なぜ、他国の皇太子がこんなところに?
私が警戒して後ずさると、彼は面白そうに目を細めて近づいてきた。
「やあ、こんばんは『病弱令嬢』」
「……全てを失った私に、今更、なにかご用ですか?」
「あぁ、うん、僕はね、人を観察するのが趣味でね」
彼は私の目の前まで来ると、値踏みするように顔を覗き込んできた。その距離があまりに近い。
「ずっと不思議だったんだ。この国の『不敗の英雄』は、どんな無茶な戦い方をしても傷一つ負わない。一方で、その婚約者は優雅な茶会に出ているだけで吐血して倒れる」
フェリクスの瞳が、探究心にギラリと光った。
「まるでこの世界の理『現象保存の法則』を無視したエネルギーの移動だ。片方が無敵で、片方が瀕死。……君たち、どういう理屈で繋がっていたの?」
心臓がドクリと跳ねた。
私の【苦痛転嫁】の特異体質は誰にも話したことはなかった。
レオナルドの能力が疑われることがないよう……。
それを、ただの観察だけで見抜いたというの?
「……何のことか分かりかねます。私はただ、体が弱かっただけです」
「嘘だね。今の君からは、生命力が溢れ出している。うーん、さしづめ痛みの肩代わりと言ったところかな?」
「……!」
一瞬で本質をついてきたフェリクス殿下は私の手首を掴むと、脈を測るように指を這わせた。ひやりとするほど冷たい指先だ。
「しかし、今の君の魔力回路は正常だ。いや、正常すぎる。……ねえ、計算が合わないと思わないかい?」
「計算……?」
「『英雄』が受ける致死量のダメージだ。それを長くも『転嫁』されていたと仮定するのなら、普通の人間ならとっくに死んでいる。あるいはよくて廃人だよねぇ」
彼は顔を近づけ、私の瞳の奥を覗き込むように囁いた。
「なのに君は、病弱であったとしても、決して死ぬことはなかった。……これは医学的にも魔術的にもありえない。君という『器』は、一体どうなっているんだ?」
その言葉には、恋い焦がれるような熱と、狂気じみた好奇心が混ざっていた。
この人、やばい。
本能が警鐘を鳴らす。これ以上関わってはいけない、と。
「……失礼いたします。夜風が冷えてきましたので」
私は彼の手を振りほどき、その場を去ろうとした。
だが、すれ違いざまに肩を抱き寄せられ、視界が反転した。
「きゃっ!?」
気づけば、私は彼に横抱きにされていた。いわゆるお姫様抱っこだ。
「逃がさないよ。憐れにも僕の視界に入ってしまった『特異点』を」
「な、何をなさるんですか! 下ろしてください!」
「君、この後、どうするんだい? 婚約も破棄されて行く当てに困ってるんじゃない? もしそうなら、僕の国においでよ」
彼は私の抗議など聞こえていないかのように、楽しげに笑って歩き出した。テラスの下には、いつの間にか豪奢な馬車が待機している。
「拒否権はないからね。君のその異常な体質、僕の研究室で徹底的に解明させてもらうよ」
「え、研究室? 解明? ちょっと、待っ――」
抵抗も虚しく、私はそのまま馬車の中へと押し込まれた。
ガチャン、と重い鍵がかかる音。
走り出した馬車の窓から遠ざかる王城を見ながら、私は呆然とするしかなかった。
婚約破棄された直後に、変人皇太子に拉致されるなんて。
私の平穏な生活は、一体どうなってしまうの?
◇
隣国ガレリア帝国の離宮に連れ去られてから、三日が経過した。
私が監禁――もとい、滞在させられているのは、フェリクス殿下の私的な研究室だ。
薄暗い牢屋に入れられる覚悟をしていたけれど、案内されたのは最上階の豪華な客室。フカフカのベッドに、最高級の紅茶と山積みのお菓子。
唯一の不満といえば、公務以外の時間は殿下がへばりついて離れないことくらいだろうか。
「うん、素晴らしい。今日も数値が安定している」
フェリクス殿下は、ソファに座る私の手を握り、うっとりとした溜息を漏らした。
診察という名目で、彼はここ数日、私の体に触れては魔力を流し込み、何やらブツブツと独り言を呟いている。
「あの、殿下? もう十分ではありませんか? 私はただの『苦痛転嫁』という奇妙な体質持ちです。確かにそれは少しは珍しいかと思いますが、それ以上はなにも……」
「違うよ、セレナ」
殿下は私の言葉を遮り、楽しげに瞳を輝かせた。
机の上に積み上げられた羊皮紙の束を一枚手に取り、私の目の前に突きつける。
「ここ数日の詳細な解析結果が出た。……君はとんでもない認識誤りをしているようだねえ」
「え?」
「『苦痛転嫁』? そんなものじゃない。君の魔力回路で行われていたのは、破壊された細胞を毎秒数千回、強制的に再構築するプロセスだ」
彼は興奮を抑えきれない様子で、私の手を取り、指先に唇を寄せた。
「つまりね、転嫁じゃない。対象への『遠隔蘇生』だ」
「……蘇生、ですか? 私が?」
あまりの言葉に、思考が追いつかない。
蘇生魔法なんて、おとぎ話に出てくる聖女でさえ使えるかどうかという神の御業だ。
「そう。君はレオナルド王子のダメージを引き受けていたんじゃない。彼が死ぬほどの傷を負うたびに、君自身の膨大な生命力を使って、瞬時に『なかったこと』にしていたんだ」
フェリクス殿下は、まるで宝石を鑑定するかのような熱っぽい瞳で私を見つめる。
「君は、無自覚に自分の命を削って、あの凡庸な男を『不死身の英雄』に作り変え続けていた。……普通の人間なら、一度発動しただけでショック死してもおかしくないのに、君はそれを長い期間も平然とやっていたということになるのかなぁ」
「そんな……」
私は自分の手を見つめた。
「傑出している。彼は君を『病弱で役に立たない』と捨てたそうだけど、実際は逆だよねぇ」
殿下はクスクスと喉を鳴らし、私の耳元に顔を寄せた。
甘い吐息がかかり、背筋がゾクリと震える。
「君こそが本物の怪物……いや、女神様ってわけだ」
「か、怪物扱いで結構です……」
恥ずかしさと混乱で顔を背けようとすると、顎を指先で掬われ、強引に向き直らされた。
至近距離で紫紺の瞳が絡みつく。
「そんな無駄遣い、もうしなくていい。その規格外の生命力、これからは自分のために使いなよ」
「自分のため、ですか?」
「そう。一生かけて、僕が君を徹底的に研究してあげるから。ね?」
ね? と同意を求めるような、けれど絶対に逃がさないという独占欲に満ちた笑顔。
研究対象として見られているのか、異性として口説かれているのか。その境界線が曖昧すぎて、私は顔が熱くなるのを止められなかった。
「……拒否権は、ないんですよね?」
「もちろん。こんな希少なサンプル、手放すわけがないだろう?」
彼は満足そうに笑うと、私の手の甲を撫でる。
「覚悟してね、僕の愛しい妃殿」
それは実験体として……ですよね?
私は苦笑いするしかなかった。
◇
一方その頃、祖国である王国では。
元婚約者であるレオナルドは、かつてないほど上機嫌だった。
「体が軽い! ああ、なんて素晴らしいんだ!」
愛馬に跨り、彼は高らかに笑った。
セレナという「重石」がいなくなったおかげか、今日の彼は絶好調だった。剣を振るう腕に淀みはなく、全身に力が漲っている気がする。
「やはり、あの女は疫病神だったのだ! 俺の覇道を邪魔する呪いだったに違いない!」
「流石ですわレオナルド様! 今日こそは、あの忌々しい『赤竜』の首を獲ってきてくださいませ!」
見送りに来たリリィの声援を受け、レオナルドは自信満々に頷いた。
今日の任務は、国境付近に現れた赤竜の討伐だ。Sランクの凶悪な魔物だが、『不敗の英雄』である彼には恐れるに足りない相手だった。
「見ていろ。俺の最強の肉体が、竜の炎などものともしないことを証明してやる!」
彼は部下たちの制止も聞かず、盾も持たずに単騎で先行した。
いつもの勝利パターンだ。
敵の攻撃を恐れずに突っ込み、肉を切らせて骨を断つ。多少の怪我など、数秒あれば勝手に治るのだから、防御など時間の無駄だ。
岩山の陰から、巨大な赤竜が姿を現す。
轟音と共に吐き出されたのは、鉄さえも溶かす灼熱のブレスだった。
「ははは! 効かぬわぁ!!」
レオナルドは嗤いながら、炎の海へと飛び込んだ。
熱い。だが、すぐに引くはずだ。
いつものように、一瞬で痛みが消え、焼けた肌が再生するはず――。
――ジュッ。
肉が焼ける嫌な音が、鼓膜を打った。
「――あ?」
痛みが引かない。
それどころか、かつて味わったことのない激痛が、脳髄を直接殴りつけたように駆け巡った。
「ぎゃ、あああああああ!!?」
レオナルドは馬から転げ落ち、地面を転げ回った。
左腕と半身が、黒く焼け爛れている。
「あつ、熱いッ! 痛い、痛い痛い痛い!! なんだこれは、どうなっている!?」
涙と鼻水を垂れ流し、彼は絶叫した。
今までなら、こんな傷は瞬きする間に治っていた。
「殿下!! すぐに回復魔法を!」
慌てて駆け寄った魔術師たちが、必死に治癒魔法をかける。
だが、焼けた皮膚は少しずつしか再生しない。
「遅い! 何をしている、もっと魔力を込めろ! 無能共め!」
「殿下、これが限界です! これでも最高位の治癒魔法なのです!」
部下の一人が、悲痛な声で叫んだ。
「殿下はどうされたのですか!? 普段ならこのような傷は……。まるで……今の殿下は普通の人です」
「普通……だと……?」
ズキズキと脈打つ激痛の中で、レオナルドの思考が凍りついた。
脳裏に浮かんだのは、夜会で最後に見た、セレナの静かな微笑み。
「まさか……。セレナの奴ぅうう」
戦慄が走る。
自分が無傷でいられたのは、自分の才能でも強さでもない。
だとしたらなんだ?
ここ最近の変化と言えば、それくらいしか思い当たる節がない。
「……!?」
あの女が、セレナが、何かをしていたからなのか?
「あ、あ……嘘だ……」
レオナルドは震える手で、ボロボロになった自分の体を見た。
痛みへの耐性がない彼の心は、たった一度の敗北で粉々に砕け散ろうとしていた。
「セレナ……。戻してくれ……。痛い……痛いんだ……ッ!」
荒野に、英雄の情けない泣き声だけが虚しく響き渡った。
◇
それから一週間後。
隣国ガレリア帝国の離宮に、一人の男が訪ねてきた。
「頼む、セレナに合わせてくれ! 一言でいいんだ!」
門前で衛兵に懇願しているのは、全身を包帯でぐるぐる巻きにした哀れな男――かつての婚約者、レオナルドだった。
松葉杖をつき、顔の半分もガーゼで覆われているその姿に、かつての『不敗の英雄』の面影は微塵もない。
「やあ、騒がしいね。僕の庭で何を喚いているんだい?」
悠然と現れたのは、フェリクス殿下だ。
その後ろには、健康的な血色を取り戻した私が控えている。
「セレナ!」
私を見るなり、レオナルドの目がすがるように見開かれた。
「ああ、セレナ! 探したぞ! 悪かった、俺が悪かった! だから戻ってきてくれ!」
彼は松葉杖を放り出し、地面に這いつくばりながら滲み寄ってきた。
「痛いんだ、痛くて眠れないんだ! お前がいなきゃダメなんだよ! あのリリィとかいう役立たずとはもう縁を切った。初めから愛しているのはお前だけなんだ、なぁ、やり直そう!?」
必死な懇願であったが、何一つ、心には響かなかった。
「おやおや、見苦しいねえ」
フェリクス殿下が、私を庇うように一歩前に出た。
「勘違いしているようだから教えてあげるけど、彼女は君の『痛み止め』じゃないんだよ」
「うるさい! 他国の皇太子が口を出すな! これは俺たち二人の絆の問題だ! ふぜけやがって!」
逆上したレオナルドがフェリクス殿下に襲い掛かる。
「あっ……フェリクス殿下!」
が、
「ふごぉおおおお!」
フェリクス殿下の右ストレートがレオナルドの左頬に直撃する。
「はがぁあ……き、貴様、何をするぅう?」
「絆? 笑わせないでくれ」
フェリクス殿下は冷ややかな瞳でレオナルドを見下し、残酷な真実を告げた。
「君は自分が強いと勘違いしていたようだけど、それは彼女が君を『死ぬたびに生き返らせていた』だけだ」
「……な、んだと?」
「彼女の能力は『遠隔蘇生』。君が戦場で即死級のヘマをするたびに、彼女は自分の命を削って時間を巻き戻していたんだよ。君は英雄なんかじゃない。僕から言わせれば、君は……セレナに守られていただけの『ごく普通の人』」
レオナルドは口をパクパクとさせて硬直した。
理解したくない、けれど理解せざるを得ない事実に、顔色が土気色に変わっていく。
「そ、せい……? 俺が、何度も死んでいた……?」
「そうさ。そして彼女のその奇跡の力は、今後、彼女の意思で使うことになる。君のような雑な器に使うかどうかは僕にはわからないなぁ」
フェリクス殿下は振り返り、私に視線を向けた。
行っていいよ、と目で合図を送られる。
私はレオナルドの前に立ち、静かに告げた。
「レオナルド殿下」
「セ、セレナ……頼む、助けてくれ……」
「貴方が今感じているその痛み。……それは、私が長い時間、毎日、毎分、毎秒感じていたものです」
私はニッコリと、心からの笑顔を浮かべた。
「私の痛みを知ることができてよかったですね。これからは、どうぞご自身でたっぷりと味わってくださいね」
「――っ!?」
それが最後だった。
フェリクス殿下の合図で衛兵たちが動き、泣き叫ぶレオナルドを引きずっていく。
「待ってくれ! 嫌だ、痛い! セレナぁぁぁ!!」
断末魔のような叫び声が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
不思議と、胸がすっと軽くなった気がした。
◇
「……容赦ないねえ。僕も振られないように気をつけないと」
静かになった庭園で、フェリクス殿下がクスクスと笑った。
「当然です……」
私がそう答えた時だった。
「ケホッ」
私は咳払いをする。
「あ、あれ……? どうかしたの?」
「え、えーと……」
「あ……」
フェリクス殿下は自分の右拳を見つめる。
それは先ほど、レオナルドを殴った右手であった。
僅かではあるが殴った拳とは痛みを伴うものである。それが今は全くなかった。
「……使っちゃいました」
私はフェリクス殿下に遠隔蘇生を使っていた。
「……な、なんで?」
「だって、殿下、言ったじゃないですか? これからはこの力を『自分のために使いなよ』って」
「ち、ちが……あれは自分のためにと……」
「ふふ……、そうだったのですか? まぁ、そうだったとしても結果は変わりませんけど?」
私が微笑むと、フェリクス殿下もまいったなというように頭を搔く。
そして、突然、彼の手が私の顎をすくい上げた。
有無を言わせぬ動作で、その唇が私の頬に触れる。
私は熱くなった頬を隠しながら、精一杯の悪戯心を込めて彼に尋ねる。
「……えーと……、今のは何の実験ですか?」
「……情動反応による魔力変動率の確認だよ」
「ふーん……、そうですか……、変わった実験ですね」
風が吹いている。
かつては痛みを伴ったその風は今、とても優しく、温かい。
私はもう痛くない。そしてこれからも、きっと幸せになれる。
隣にいる、愛すべき変り者の皇太子様と共に。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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