99、公方を諫(いさ)める童子
永禄四年(1561年) 十一月上旬 山城国 京 御所 伊勢虎福丸
「虎福丸殿、お久しゅうございます。覚えておいでですか?」
俺が春日局に連れられて、慶寿院の部屋に入ると、二人の美女がいた。一人は分かる。御台所だ。えっと、もう一人は……。
「妹の尊性尼ですよ。髪を伸ばしているから別人に見えるのでしょう」
尊性尼、前に会った時は尼だったからな。今は麗しい姫の姿だ。この姿を見たら赤松出羽守もメロメロだろう。
「嫁ぐ覚悟はできております。朝廷と将軍家の為であれば……」
「その必要はございません。これは罠だと思います」
皆がギョッとした表情で俺を見る。やれやれ、気づいていなかったか。みんな、お嬢様育ちだねぇ。
「罠、とは……」
「恐らく、三淵様の罠でしょう。三淵様の狙いは私です。尊性尼様の婚儀を利用して赤松に私を捕えさせる。そして私を使って、播磨の六角勢を盛り立てる気でしょう」
「そんな……妹は虎福丸殿を誘き寄せるための道具にするのですか……そんなひどい……」
「それくらい公方様も三淵様も追い詰められているのですよ。私を三好に取られた。取り戻すしかないと思っているのではないでしょうか。私と御台所様の仲が良いことに目を付けて、尊性尼様を利用する。そうすればお人好しの虎福丸はのこのこ出かけていくと。三淵様の考えそうなことだ」
「た、武田との同盟では三淵弾正左衛門殿と虎福丸殿は一緒に行かれたのでしょう? 私たちは三淵殿と虎福丸殿は昵懇の間柄と思っていますが」
「仲は良いですよ。三淵様はいつも私を庇ってくださいました。だからこそ、三淵様は私を手元に置きたいのでしょう。あの御方も変わった。幕臣たちと一緒にいるとおかしくなるのでしょう」
「幕臣たちはどうしてああなってしまったのでしょう。私が話すと嘲笑されることがあります。私は御台所ですよ。それを軽んじるとは……」
御台所は憤っている。俺も話には聞いていた。御台所は戦を知らんと幕臣たちは馬鹿にしているというのだ。今まで御台は近衛の姫として畏れられてきた。幕臣たちは増長している。俺のせいだ。俺が上杉や三好を呼び込むから義輝の力が強くなった。おかげで小判鮫の幕臣たちが勘違いした。やはり幕府は凄いのだ。あの三好長慶を隠居に追い込んだ。それに比べ、何も知らない御台所様は……。というところだろう。
「御台所様、あまり愚弄してくるのであれば、実家に戻られてはいかがですか」
「そ、それは……」
御台所が言い淀む。それはプライドが許さないか。俺は御台所を気の毒に思う。これでは子ができることがないだろう。御所の中で孤立したまま、彼女は耐え忍ぶしかない。
「慶寿院様、尊性尼様を預かってもよろしゅうございますか?」
慶寿院……義輝の母親は微笑む。
「ええ、いいですよ。姪を頼みます。虎福丸殿」
俺は慶寿院に向かって頷く。尊性尼様は伊勢で預かる。指一本触れさせんわ。
永禄四年(1561年) 十一月上旬 山城国 京 御所 一色輝喜
「虎福丸が三田城から動かぬと申すか」
公方様が声を上げた。虎福丸は尊性尼様の輿入れのために同行する手筈になっていた。赤松出羽守にもそのことは伝わっている。それなのになぜ……。
「弾正左衛門、そなたの策が見抜かれたのではないか?」
「そのようでござる。虎福丸は簡単には我らの手に乗ってきませぬ」
弾正左衛門殿は落ち着いて言った。このことを予期していたとでもいうのか……。
「尊性尼様を留め置くのは伊勢が謀反を企んでいるのではありませぬか。これを機に攻め込んでは如何か」
杉原兵庫助晴盛殿が眉間に皺を寄せながら公方様に言う。兵庫助殿の言う通りよ。これは謀反だ。公方様に対して不忠の極みではないか。
「待たれよ。兵庫助殿。伊勢を滅ぼすなど、我らにとって災厄しかもたらさぬ」
細川宮内少輔殿がたしなめるように言った。宮内少輔め、伊勢を贔屓するのも過ぎよう。
「フン、伊勢を手元に置いておけば、公方様に刃を向けるであろう。公方様、三好に使者を送りましょう。そうですな。相手は三好日向守殿が良い。伊勢を討つように言えば、三好とて動かざるを得んでしょう」
「……ならぬ。ならぬぞ。兵庫助。虎福丸を斬ってはならぬ」
公方様が兵庫助殿を睨みつける。
「しかし……」
「尊性尼の身は虎福丸に預ける。好きにさせよ。虎福丸は予を諫めているのだ……。頭を冷やせということか」
義輝様がゆらゆらと立ち上がった。細川宮内少輔が勝ち誇ったように笑みを浮かべている。おのれ、宮内少輔め、憎たらしい奴よ!
公方様は虎福丸を信用なさっておられる。これでは虎福丸を討つことは敵わぬか……。




