94、招かれざる客
永禄四年(1561年) 十月下旬 摂津国 有馬郡三田城 伊勢虎福丸
「播磨の動きはどうか」
「動きはありませぬ。どうやら若を恐れておるようで」
与次郎が答える。播磨、備前には忍びを貼り付かせている。六角がまた動くとも限らんからな。全く忙しいことだ。ただ年越しは京に戻ってしたい。叔母上の嫁ぎ先の件もある。どこにしようかな? 幕臣の何人かは嫁にくれと言ってきているが、気が進まん。だって連中に嫁いだって没落確定だからな。義輝と松永義久の仲が良好であるままとも思えん。義久は父親と違って、野心の塊のような奴だ。今回、波多野をあしらったことで戦上手との評判も高まっている。ますます自信をつけたことだろう。父親の松永久秀は京で公家や商人たちと茶会三昧の優雅な生活を送っている。もう隠居老人だな。優秀な息子を持って羨ましいとまで言われている。
「フフフ。そうか。年内に戦は起きまいな。それと越後の上杉だが」
「甲斐の武田を攻めましょうか」
「上杉殿は義の武将だ。頼まれると断り切れん。信濃を国人たちに返してやるということも有り得る」
上杉と武田の仲は険悪だ。俺が間に立って同盟を仲介したというのに、信玄は無理やり隠居させられた。当主の太郎義信は今川・北条と近づいて、上杉を牽制する動きに出ている。上杉は同盟国の武田に気を取られ、身動きができない状況にある。全く、武田義信にも困ったものだ。
「上杉はしばらくは動けんだろうな」
与次郎が口元を結んだ。上杉の動きには期待できない。まあ、三好義長で安定しているんだ。上杉と三好が戦になれば、また世は乱れる。
「若、火種は阿波にあるのではないでしょうか」
与次郎の目が鋭くなる。そうだ。火種は阿波にある。
「平島公方か。豊前守殿が担ぐかな」
義輝の叔父である義維が公方を名乗って、阿波の古津村に逼塞している。
豊前守にしてみれば、義輝よりも義維のほうが扱いやすいということだろう。平島公方家の者たちが堺や京で動き回っている。俺にも近づいてきそうだ。
「それと讃岐でございます。香川兵部大輔の動きが怪しいですな。豊前守に不満があるようで」
「香川と言えば、細川京兆家の重臣だな。豊前守と仲が悪いのか?」
香川兵部大輔は讃岐の国人だ。代々(だいだい)讃岐守護代を務めてきた家柄で大きな勢力を保っている。
「それはもう。口を開けば悪口雑言。ま、豊前守殿も阿波の国人をたくさん誅しましたからなあ。羽床伊豆守資載殿、福家七郎資顕殿がなだめているのですが、兵部大輔は納得がいかぬと」
与次郎が眉間に皺を寄せて言う。讃岐のことはよく知らない。
「ふむ。兵部大輔にすれば、豊前守殿が次は自分を誅するのではないかと不安ということか」
「はい。有り体に申せば、そういうことにございましょう。豊前守殿が京にいるので好機と見て兵を動かすことも考えられまする」
「兵部大輔の動かせる兵は?」
「一万近く」
声が出そうになった。讃岐は荒れるな。豊前守は阿波に帰らなければならなくなる。強欲な幕臣どもが香川に接近すれば……。
「与次郎、良い事を教えてくれた。忍びを讃岐にも急ぎ向かわせる」
「若のお役に立てて何よりにございまする」
与次郎がにっこりと笑う。そういえば、与次郎は讃岐の情勢に何でこんなに詳しいんだ? 伊勢の重臣たちは全国の情勢に通じているのか、それとも与次郎がオタクなのかな……。
永禄四年(1561年) 十月下旬 摂津国 有馬郡三田城 伊勢虎福丸
「何、俺に会いたいだと」
三郎兵衛が困ったように頷いた。与次郎も渋い顔をしている。安枕斎が俺に会いたいと言ってきた。安枕斎ってのは畠山安枕斎のことだ。平島公方家の重臣で界隈では有名な男だ。平島公方家は義輝の叔父の家だ。今は阿波に亡命し、逼塞している。義輝の父と平島公方家で御家騒動があった。昔の話だ。勝ったのは義輝の父で平島公方家は仕方なく、阿波に逃れて、現在に至るというわけだ。
「はい。三田に温泉に入りに来たとかで」
三郎兵衛が言う。三郎兵衛の困り顔は珍しい。それくらい畠山安枕斎ってのは厄介なんだ。伊勢家とも仲が良いし、邪険にはできない。
「しかも津田宗及殿も一緒におりますからな」
与次郎が苦り切った顔で言う。津田宗及、いわずと知れた堺の大商人だ。俺も鉄炮を買ったりしている。無下にはできん。
「厄介なことよ」
俺が言うと、二人とも頷いた。今更、平島公方家とつながっても何の得にもならない。むしろ三好に警戒されるだけだ。それでも会うしかないか……。
大広間に畠山安枕斎と津田宗及がやってきた。それともう一人、見たことのない陰気な男がいる。誰だ? 安枕斎の息子か?
「篠原肥前守にござる。こたびは豊前守様より命じられて安枕斎殿にお供しました」
向こうから自己紹介してくれた。篠原長房の弟か。笑みが嫌らしい。兄と違って陰性の男だ。しかし、豊前守め、俺を平島公方家と結び付けるとは……。俺を自分の陣営に引き込みたいのか。
「いやあ、大きくなられた。伊勢守殿の屋敷で赤子の虎福丸殿を抱かせてもらってから、もう三年か。畠山安枕斎にござる。覚えておいでかな?」
ああ、今思い出したわ。生まれた時にいたなあ。こんな奴。平島公方家の連中も来ていたっけ。というより、北は伊達・最上から南は相良家まで使者が来ていたし。さすがに島津は来ていなかったが……。まあ実質総理大臣の伊勢伊勢守の孫だ。生まれたときは盛大に祝われたんだよな。懐かしいわ。
「もちろん、覚えておりますとも。あの時は阿波の古津村から遠くまでよくぞ来られました」
うんうんと笑顔で安枕斎が頷く。狸ジジイめ、俺を政治利用する気で最初から近づいただろーが。目的は義輝の孤立化だろうな。俺が義輝から離れれば、義輝も力を落とす。そうすると自然と平島公方家が注目される。義輝は混乱を招くだけの存在だ。それよりは平島公方の方が……。そう思わせるための駒として俺を利用しようというんだろう。
「津田宗及殿とは茶飲み仲間でしてな。よく茶会には出ておりまする」
「そうでしたか。私には茶の良さは分かりませぬ」
「はっはっは。虎福丸殿にはまだ早いでしょう。されど、三好家の方々も茶会には夢中にござる」
そうなんだよな。茶会はお洒落な趣味、この時代の流行なんだ。武将も商人も茶会に行く者は多い。三好豊前守も相当な数寄者だ。俺にはとてもついていけんが……。
「しかし、幕臣の方々の増上慢、目に余りまするなぁ。先日も茶会でその話になりました」
肥前守が話の流れをぶった切るように言う。安枕斎が目を細める。最初からこの話に持っていくつもりだったのだろう。喰えない連中だ。
「公方様も幕臣を叱りつけければ良いのですが。甘やかすというか何と言うか」
肥前守がぶつぶつと言っている。独り言なのか人に話しかけているのか、判断に困る喋り方だ。
「左様。幕臣は領地を押領し、私腹を肥やしておりまする。我が主君・義維様も心配されておりまする。虎福丸殿の考えは如何に」
皆の視線が俺に集中する。おいおい三歳の童だぞ。もっと優しい目で見ろよ。
「そうですなあ。人の領地を取ることはよくありませぬ」
俺はハッキリと言った。押領を許すから幕府に対する憎しみを生む。安枕斎も肥前守も嬉しそうに笑みを浮かべる。
「ただ幕府に兵なくも公方様をお守りすること敵いませぬ。難しいところでございます」
安枕斎が真顔になる。肥前守もだ。俺も幕臣なんでね。一応、連中の擁護させてもらうぞ。まだ襲撃されるのも敵わんしな。
「義維様が将軍ならば、このようなことにはなっておりませぬぞ」
安枕斎が絞り出すように言った。義維なら飾りに徹するか? まだ義輝にはカリスマ性があるからな。余計なこともするが民に対しては誰よりも熱い思いを持っている。義維が将軍になったところで義輝の人気には勝てないだろう。義輝には憎めないお人好しなところがある。それが人を惹き付けるのだ。これは天性の才だ。先代の将軍・義晴が早く隠居した理由が分かるわ。義輝という男を早く世に出したかったんだろう。
俺が畠山安枕斎と会ったというのは畿内近国に広まるだろう。それは良い。俺は義輝の味方で通す。双方からも一目置かれる中立の立場だ。そういう立ち位置が一番おいしかったりする。




