92、新領地獲得
永禄四年(1561年) 十月下旬 山城国 京 御所 伊勢虎福丸
俺は御所に呼ばれた。俺は侍女に案内されるままに、廊下を歩いていく。宇喜多三郎右衛門と浦上遠江守は使える男らしい。赤松、宇野は勝手に領地に戻り、六角も仕方なしに姫路城に引き上げた。三好は戦わずに有馬郡を手に入れたのだ。有馬家は取り潰され、伊勢の家臣に編入されることになった。喜ばしいことだ。浦上軍は備前天神山城に戻り、播磨の赤松政秀と対決している。いつ戦になるかも分からない。
三好は取って返して、芥川山城に戻った。京にいる波多野軍は五千程。他は大和に出払っている。今、波多野は慌てて京に戻っているところだ。
波多野は丹波に逃げるだろうと言われている。俺もそう思う。三好筑前守は今回の件で名を上げた。さすが修理大夫殿の御子息よ、と京の民も噂している。ただ怒っている者もいる。それは義輝だ。波多野は義輝の密命で動いている。それが失敗したのだ。義輝は不機嫌になっているだろう。
「よく来た。虎福丸」
部屋の中に入ると、顔の赤い義輝が姫の膝枕で寝ていた。確か烏丸の娘だったか、気の弱いおどおどした娘だ。
「大樹、昼から酒でございますか」
「はっはっは。そうだ。悪いか? 筑前守が余計な真似をするからな。予と虎福丸の仲を裂こうという奸計よ」
義輝が笑い声を上げる。やれやれ、子供かよ。烏丸の娘が困ったように俺を見る。いや、頼られてもなあ。この馬鹿は成長というものを知らんから。
「有馬郡は京、摂津、そして播磨を通る豊かな地。筑前守殿からそのような領地をいただけたことは将軍家にとっても大事なことと思いまする」
「だが、予と虎福丸は引き離される」
「公方様には筑前守殿がいらっしゃるでしょう。今こそ、三好との仲を深める好機にございます。筑前守殿は大樹を敬っておりまする。それに戦に強い」
義輝が体を起こす。
「筑前守は予を将軍に縛らぬか」
「筑前守殿は足利を立てて政をなさりたい方だと思います。私が領地をもらったように幕臣とも友好的に振る舞われるでしょう」
「……むぅ」
俺が烏丸の姫に視線をやる。姫が怯えたように俺を見る。
「透子、虎福丸と大事な話がある。下がっておれ」
「は、はい。公方様」
透子が立ち上がった。いや、俺は化け物じゃないんだ。そんな怯えた顔をしないでくれ。
透子が出ていくと、義輝は居住まいを正した。
「大樹、筑前守殿では家中は抑えきれませぬ。このままでは大樹は殺されまする」
「なッ、予がか……」
義輝が目を見開く。やはり気づいていなかったか。上杉を呼んだのは義輝だ。三好の中には義輝を疎ましく思う者たちもいる。
「はい。三好豊前守辺りがきな臭い動きをしておりまする。使いを大和に送っているとか。大和にいる松永彦六に大樹を殺させる気でしょう」
義輝の顔が引きつった。史実ではあと四年後に暗殺だ。だが、長慶は隠居し、かつての力はない。権力の空白に乗じて、三好豊前守が動く可能性は高い。豊前守の手元には平島公方家、つまり義輝の従兄弟がいる。将軍のすり替えが行われるだろう。
「な、何ということよ……」
義輝は驚いている。いや、あまりにも無防備だろ。三好豊前守、それくらい激しい男だ。細川讃岐守を殺して女房を奪ったのだからな。戦国の梟雄と呼ぶにふさわしい。そんな豊前守が義輝の横暴を許すはずがない。
「今すぐ、というわけではございませぬが、身辺にはお気を付けを。いざとなれば、朽木谷に逃げられませ」
「う、うむ」
義輝がゆっくりと頷いた。うん、これで義輝も死ななくて済むだろう。俺は心置きなく有馬に行けるというものだ。
永禄四年(1561年) 十月下旬 山城国 京 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
大方の予想通り、波多野の大軍は急いで丹波に撤退した。京は守りにくいからな。三好が京を取り戻した。京の民もほっとしているだろう。まだ摂津の国人衆の反乱は治まっていない。それでも六角と波多野は兵を退いたのだ。戦乱は遠ざかった。戦を避けていた商人たちも戻って来るだろう。
俺は有馬郡に出向くことになる。領内の仕置きをせねば。幸い、有馬の人間は降伏したので誰も死んでいない。無傷で兵も手に入るのだ。伊勢の兵力も強化される。ただ京から離れることになるし、播磨も諸勢力の小競り合いがある。浦上も毛利との仲が良くない。毛利が尼子を放っておいて、浦上征伐に乗り出すことも十分に考えられる。
つまり、伊勢家は大事にされながらも煙たがられている。そのため、有馬郡をもらったとも言えるのだ。祖父と父はまだ九州にいる。しばらくは帰って来ないように伝えている。幕臣の馬鹿どもがまだ動いている。危険だ。
冬になると大名たちも兵を動かし辛くなる。その間に力を蓄えたい。六角と波多野はまだ京を諦めていない。毛利と尼子、そして毛利と大友の対立は終わっていない。義輝の和睦仲介が機能すれば、毛利も浦上討伐に乗り出すだろう。となると播磨の六角が動き出すだろう。
ああ、そうだ。その前に顔を出しておかなければならないところがあった。飛鳥井家に行かないと。朽木谷の竹若丸殿の伯父だ。公家たちのサロンも主催している。叔母上も連れて行こう。子供一人じゃ怪しまれるからな。




