90、勝つための布石(ふせき)
永禄四年(1561年) 十月下旬 摂津国 有馬郡 金仙寺湖付近 三上秀長
夜通し進軍し、金仙寺湖の近くに辿り着いた。敵は三田城にいるため、山口丸山城は難なく降伏した。女たちが縄で縛られて連れていかれている。有馬家中の者たちだろう。逃げ遅れたのか。哀れなものよ。
「与次郎、そこにおったか」
内藤備前守殿が声をかけてきた。備前守殿は精悍な顔つきで武士たちがぞろぞろと続いている。
「女子が多いですな。斬るのですか?」
「斬らん。筑前守殿は慈悲の心をお持ちよ。あの者たちは伊勢に引き渡す。若は女子の処遇は虎福丸殿に一任すると仰せだ」
備前守が笑い声を上げた。この戦に勝てば、有馬郡一帯は若の物になる。ただ勝てるのか……。
備前守殿と馬首を並べる。風が心地よい。また馬の上で縛り付けられた女子が連れていかれる。妻の顔が浮かんだ。夫は死んだのか? あの女たちを若は受け入れるのか。恨まれねば良いが……。
「六角は腰が引けておる。後藤但馬守も攻めてこぬし」
後藤但馬守、六角の重臣だ。ただ右衛門督とは折り合いが悪いと聞く。それに播磨国人衆が但馬守の言うことを聞くとも思えぬ。このまま押していけば、六角は有馬郡を捨てるか? いや、虫が良いか……。
三好豊前守殿、安宅摂津守殿が立ち話をしている。その周りに三好の重臣たちが集まっている。備前守殿が馬を降りた。私も馬を降りる。
「おお、与次郎か。待っておったぞ」
豊前守殿が白い歯を見せて笑う。人たらしの御仁よ。平気で人を騙し討ちにすることがあると思えば、少年のような笑みも見せる。落ち着いた修理大夫殿にはないものだ。
「このまま突き進むぞ。有馬郡を我らの手に掴むのだ!」
豊前守殿が声を張り上げる。重臣たちが声を上げた。志気が高い。この戦、若の為にも負けるわけにはいかぬ。
永禄四年(1561年) 十月下旬 山城国 京 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
「若、夫は大丈夫なのでしょうか」
美人が俺の頬をぷにぷにしながら聞いてくる。年の頃は二十代半ば。与次郎の妻だ。ただこの女、俺を見るとじゃれついてくる。気分は親戚のお姉さんってところか。伊勢家はアットホームだな。
「大丈夫だ。備前の浦上を知っているか? 浦上が動く手はずになっている」
「まあ」
せつが声を上げた。せつというのはこの女の名前だ。
「浦上が東に進みますか」
「ああ、動く。浦上には宇喜多三郎右衛門という切れ者がおってな。三郎右衛門と俺は仲良くしている。浦上遠江守は三郎右衛門に説き伏せられるであろう」
宇喜多三郎右衛門とは謀将・宇喜多直家のことだ。ただ俺は奴のことは謀将とは思っていない。謀略の人ってのは後世に作られたイメージだ。松永久秀もそうだな。江戸時代は里見八犬伝が大流行したように君臣の義というものが重んじられた。といっても、そんなものは戦国時代にはない。ところが江戸時代はたくさんある藩を束ねるために幕府は朱子学を信奉し、儒教的価値観が武士のスタンダードになった。そこで悪役になったのが宇喜多直家というわけだ。宇喜多は関ヶ原の戦いで改易され、八丈島に流罪となっている。つまり、宇喜多直家を悪者にすることに反対する者もいない状況だった。
こうして、宇喜多直家は悪者にされていったわけだ。ある意味、時代の犠牲者と言えるだろう。ただ、力のある戦国武将であることは確かだ。そこで俺は接触を試みた。もちろん貢物も送ってな。
宇喜多三郎右衛門からの反応は良かった。俺のことも興味を持って見ていたという。西国でも虎福丸殿の名は知れ渡っておりますぞ、とも言っていたらしい。
宇喜多が浦上遠江守に働きかける。それで浦上も兵を出すなら六角も有馬郡から手を引かざるを得ない。
「ではお味方勝利間違いなしでございますね!」
せつが声を上げた。俺を膝の上に乗せて、頭を撫である。俺はされるがままだ。女子から見ると俺は可愛い生き物のようだ。
「うむ。せつ、大船に乗ったつもりでいるのだ。また百人一首で遊ばぬか。待っていても辛いだけだぞ」
叔母上のところにカルタがある。歌を詠むという遊びもあるが、俺は武人だ。そんな教養はない。せいぜい百人一首で遊ぶくらいだ。ま、公家の家に生まれたら和歌は必須の教養だろうがな。
喉が渇いた。水が飲みたい。俺は侍女に水を持ってくるように命じた。




