86、有馬攻め
永禄四年(1561年) 十月下旬 摂津国 小浜城 三上秀長
評定の間に皆が揃った。軍勢は四万に膨れ上がっている。和泉や大和、阿波の兵までいる。摂津有馬への討伐軍は志気も高い。末席に着座すると、筑前守様が口を開いた。
「有馬め、震え上がっておりましょうな」
松山新太郎殿が嬉しそうに軽口を叩く。皆、鬱憤が溜まっているのだ。上杉により、三好は阿波に退かざるを得なかった。無念だったのだろう。三好の武将たちは皆、嬉しそうにしている。
「有馬は娘を人質に出し、降伏すると申し出てきた。重畳なり」
筑前守様が言う。三好の武将たちがどよめいた。重畳? 年端もいかぬ娘を妾にするとは三好の名折れではないか。若が嘆くのも分かるわ。恥ずかしい限りよ。
「三田ではさぞ楽しいことになろうぞ」
三好豊前守殿が声を上げた。嬉しさが滲み出ている。
「真に。めでたきかな」
今度は鳥養兵部丞殿だ。日頃は大人しい兵部丞殿も顔を赤くして喜んでいる……。三好は足利の陪臣。有馬は足利の直臣だ。そのことで引け目もあったのだろう。それに比べ、摂津の国人たちは笑ってはいるが、どこまでが本心なのか。
若のお言葉を思い出すわ。こたびは有馬の罠。六角が摂津に攻め込んで来ようと。本気で戦わず、逃げ戻って来いと。兵を損じてはならん。素早く退かねば、無駄死にとなろう。笑い声が聞こえた。三好も修理大夫殿がいなければ、この程度か。先行きは暗いものよ……。
永禄四年(1561年) 十月下旬 摂津国 三田城城下町 喜蔵
皆が声を上げた。三田城の城下町に入った。姫がゆっくりと歩いてくる。なかなかの別嬪じゃねえか。ここまで来て良かったぜ。
「お迎えに上がろうぜ」
「そうだ! 筑前守様のところまで案内して差し上げろ!」
五、六人で駆け出した。百姓は姫様に会うことは罷りならねえ。一度、顔を拝んでみたい。俺たちは姫様の前に辿り着いた。不思議だ。侍女も人っ子一人いやしねえ。いや、城下町だってのに人がいない……。みんな、逃げちまったのか? 有馬の支城はすべて降伏した。
姫が顔を上げた。笑ってはいない。意外と幼かった。姫は俺たちを睨みつけてきた。
「死になさい。賊ども」
姫の顔が歪んだ。紅が禍々(まがまが)しく見える。風を切る音がした。弓矢だ。まさかこれは罠……? ヒィ。女房と子供の顔が浮かんだ。まさか、こんなところで死ぬなんて……。
永禄四年(1561年) 十月下旬 山城国 京 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
「やはり有馬の罠だったか……」
堤三郎兵衛の報告に俺はそう答えた。俺は三歳だから当然代理を立てて兵を送った。大将は三上与次郎秀長。伊勢の重臣だ。他にも重臣たちがぞろぞろと出かけて行った。
三好筑前守たちは摂津国人衆と合流。意気揚々と有馬の居城・三田城に向かった。有馬は当主の娘を差し出し、降伏を申し出た。ところが、娘を受け取る途中で有馬方が矢を射かけてきた。やはり罠だったのだ。三好方は慌てて、一時後退した。
その隙に播磨から六角軍が現れた。軍勢は三万程。大将は後藤但馬守賢豊だ。三田城に近づく六角軍に三好は慌てた。すわ、決戦かと思われたが、三好は摂津小浜城に退却。態勢の立て直しを図った。
三好の方が数で有利だが、今度は丹波の波多野孫四郎が動いた。兵を動かし、勝龍寺城に攻め込んだ。京に来るのも時間の問題だと騒ぎになっている。京には三好長慶の兵五千がいる。波多野には細川残党の牢人衆が加わっているとされ、数は三万、四万を越えるとの風聞が流れている。
六角は細川と手を組み、反撃の一手を練りに練っていたのだろう。
家臣たちが俺を見る。また逃げようとでも言うのだろう。
「摂津の国人たちも次々と六角に寝返っております。畏れながら、お味方は不利かと」
三郎兵衛が俺の目を見ながら、低い声で言う。ドスの利いたいい声だ。現代ならいいバリトン歌手になれるだろう。
「うーん、厄介なのは波多野だ。京に来るだろうしな。俺も親三好派として粛清されかねん」
波多野は細川晴元と仲が良い。この裏には晴元がいるのだろう。何としても京に復帰したいのか。哀れなことだ。
「ただ逃げると言っても、今からではな」
摂津芥川山城に逃げるか? ただ俺は幕臣だ。ここにいても殺される可能性は薄い。波多野も義輝には気を遣うだろう。それに母上や叔母上にまで避難させると、時間がかかる。波多野が追ってこないとも限らないし。
「そうだな……波多野に使いを送ろう。俺は政所の任があるため、京に留まる、と。その反応次第だな。それと与次郎には文を送る。そのまま三好に従うように、と」
「若、危のうございますぞ」
三郎兵衛の声が硬い。伊勢が逃げるのも義輝を見捨てるようで気が引ける。波多野に俺を殺す度胸はないだろう。このまま戦況を見守るしかない……。




