85、領地加増(かぞう)
永禄四年(1561年) 十月 山城国 京 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
「ふむ……」
摂津の簡単な地図を作った。三田城に千ほどの兵が籠る。有馬の兵だ。
「若、播磨の地図をお持ちしました」
髭を生やした男が地図を持ってくる。忍びの岡部兵太郎だ。瑞穂の部下で摂津はこの男が探っている。年齢は三十を過ぎたようだ。鼻の下の髭が気になるが、イケメンで女にモテそうだな。
「あら、虎福丸殿。遊んでいるの?」
叔母さんがニコニコしながら俺たちの方に歩いてくる。いや、遊んでるんじゃないけど……この人は好奇心旺盛だなあ。
「まあ、これは……」
「摂津と播磨の地図でございまする。六角がどこを攻めてくるか、兵太郎と話していたところで」
「ふぅ~ん。摂津で戦になりそうとは聞いていたけれど、播磨の地図までいるのかしら?」
「いりまする。筑前守殿は播磨まで攻め入るお考えでしょうから」
筑前守からは何の連絡もない。ただの予想だ。ただの有馬討伐で済めばいいが、他にも池田、瓦林、中川など去就定まらぬ国人たちがいる。そいつらの動向次第では摂津で大反乱が起きる。そして影で操るのは義輝だろう。
「虎福丸殿、大乱になりますか?」
叔母上が心配そうに俺を見る。
「ならぬことを願っておりますが……兵太郎。池田の様子はどうじゃ?」
「芳しくありませぬな。当主の長正は三好派なのですが、嫡男の勝正が六角に近づいているようで……。それに伊丹大和守、多羅尾、野間らがどっちつかずで揺れておりまする」
「ううむ。三好にとっては摂津は大事な地よ。それに火がついている。これは由々(ゆゆ)しき事態でございまする」
「戦は嫌よ。せっかく平穏になったと思ったのに」
叔母上が嫌そうに声を上げた。京の民はみんなそう思っているだろう。応仁の乱以降、戦乱が止むことはない。
「何とか火を消すことを考えねばな」
兵太郎がこちらを見た。まだ言い足らなさそうだ。
「三好家でございますが、有馬を侮っているようです。脅せば、簡単に降伏する、と」
「ふむ。調子に乗っておるな。誰じゃ、そのようなことを言うのは……」
「三好筑前守、三好日向守、三好豊前守、安宅摂津守、松永弾正少弼……」
「三好のほとんどではないか……」
馬鹿が義輝から三好に移ったのか……。やはり長慶の隠居が痛いな。戦上手の松永義久も大和信貴山城にいるし、驕った三好を諫める者が誰もいない。いるとしたら、松永の嫁の勝姫だろうが、あの女に力があるようには見えないな。
「虎福丸殿、これは……」
叔母上の表情が強張った。危ない。戦に疎い叔母上でもそう感じるのだろう。俺もそう思う。
「叔母上、頼みたいことがございます」
叔母上には勝姫のところに行ってもらう。筑前守はこのジャジャ馬の妹を可愛がっている。叔母上の口から摂津の情勢を伝えさせよう。間に合うといいが……。
永禄四年(1561年) 十月 山城国 京 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
「殿は虎福丸殿に領地を与えたいと仰せでござる」
ニコニコと笑い顔の男が言う。松山新太郎重治。三好配下の猛将だ。筋肉質のマッチョな男だが、愛想があり、鬼と懼れられる男には見えない。
「私は三好の家臣ではござりませぬ」
俺が言うと、松山新太郎は相好を崩さない。手ごわいな。
「御心配には及びませぬぞ。すでに公方様から虎福丸殿への加増のこと、お許しをいただいております」
義輝の奴、俺を敵の最前線に立たせるつもりか。まあ幕臣はみんな知行を受けているから俺の番ということなんだろう。
「有馬家はお取潰しでございますか」
「左様。有馬家に代わって、虎福丸殿が三田一帯を治めるのでござる」
松山新太郎がニヤリと笑う。難しいとところだな。三田は有馬家が百七十年治めてきた土地だ。領民も有馬家に慣れているだろうし。そこに急に伊勢家が入っても……なあ。
「それはありがたいお話でございまする。この虎福丸、喜んでそのお話、お受け致しまする」
ただこの話、断れん。多分筑前守の好意なんだろう。有馬を潰し、自分に友好的な伊勢を優遇する。
「虎福丸殿に受けていただいて、それがし、ほっとしておりまするぞ。いやあ、若に良い手土産ができ申した。これで三好に帰っても皆に責められずに済みまする」
がっはっはと松山新太郎が豪快に笑う。単純なように見えるが、老獪な男だ。三好は人材豊富だな。将軍家に手を回し、俺の動きを封じた。手が早い早い。
「若は摂津有馬の娘を妾にしまする。三好に逆らえば、どうなるか。見せしめでござるよ」
新太郎が口の端を吊り上げる。娘を人質に出させ、妾という屈辱的な身分を与える。三好筑前守は怒っているのだ。だから、有馬を見せしめにし、屈辱を与える。厳しいな。長慶ならここまではやるまい。筑前守は優しいが、敵には容赦しないのだろう。そこが危ういと感じる。
国人たちは恐怖と嫌悪を抱くだろう。三好と有馬、元は足利家の家来筋であることに違いはない。同族間の争いだ。やり過ぎだとも思う。
「摂津有馬には大和に行ってもらいまする。大和では松永彦六殿が一人で戦っている。有馬には大和平定に働いてもらわねばなりませぬ」
新太郎がフンと鼻を鳴らした。三好も驕ってきたな。いや、矜持を示したつもりか。
「新太郎殿、有馬に娘を差し出せ、とは国人たちの反感を買いませぬか」
「有馬は三好に弓引いたのでござる。姫を差し出して当然でござろう。それとも虎福丸殿は有馬の姫に気がおありか?」
新太郎が嫌な笑みを浮かべる。
「いや、姫は存じ上げませぬ。されど、有馬が簡単に三好家の軍門に下りましょうか? 播磨には六角もいますし、池田も有馬に味方せんとしています」
「池田が有馬に? はっはっは、それは面妖な。今、有馬に加われば、池田は滅びましょうぞ」
新太郎が膝を叩いて笑う。三好の重臣でもこの程度の認識か。呆れるわ。
「有馬が降伏せねば、河内の畠山、大和の筒井、播磨、近江の六角が動きましょう。前管領の細川右京大夫様は朽木谷より近江坂本に逃れており、前管領が密書を各国に送っているはず。前管領としては京に帰りたいでしょうからな」
「細川右京大夫様に言われて動きますかな。もう力なき御方よ」
新太郎は歯牙にも欠けない。惜しいな。これはヒントなんだ。細川晴元を操っているのは義輝と幕臣たちだ。筑前守が優しいから調子に乗っているんだよ。松山新太郎じゃ、そこまで頭が回らないか……。
「取り合えず、摂津への出兵はお願いしますぞ。伊勢殿の力の見せ所でござる故な」
新太郎が大笑する。まずいな。このままでは摂津が六角に喰われる……。如何したものか……。




