78、束(つか)の間の休息
永禄四年(1561年) 九月 京 御所 細川藤孝
「主殿殿、三好に動きありとのことでござる」
主殿殿の部屋に入ると茶を飲んでいるところだった。何を呑気な! あの三好が動いたというのに!。
「慌てなさるな。こちらに六角、畠山が味方についておりまする。そう易々(やすやす)と打ち破られることはありませぬ」
「ですが、なあ」
「それよりも虎福丸殿を我らの味方に引き込みましょうぞ。かの者に明に行ってもらうのです」
「またそれですか。明国は固く国を閉ざしておりまする。それ故に足利の言うことなど聞きますまい」
主殿殿は虎福丸殿を呼び戻したいらしい。というより、家臣にしたがっている。奇妙な男だ。何を考えているのやら。
「諸国の大名は平定するに及びません。義輝様の威光にひれ伏させるのみ」
「しかし、それは大大名たちは納得しますまい」
私が言うと、主殿殿が笑む。
「その時はその大名に滅んでもらうまでのことでござる。与一郎殿が公方様の名代として討伐軍を率いられよ」
「なっ、それがしが……」
「不服にござるか」
主殿殿が笑んだまま、私に問いかける。不気味な男だ。
「足利に兵はござるぬ。冗談も程々にされよ。諸国の大名とは和を重んじる。たとえ、相手が三好としても戦はなりませぬ」
「頑固でござるなあ。与一郎殿は」
主殿殿が笑い声を上げた。全く不思議な男よ……。
永禄四年(1561年) 九月 若狭国 後瀬山城 城下町 伊勢屋敷 伊勢虎福丸
「お久しゅうございます」
「久しぶりだ。虎福丸殿。迎えに参ったぞ」
三淵弾正左(じょうざ「)衛門が言う。隣には細川与一郎がいる。義輝からの使いで来たそうだ。
「はっはっは。迎えとは。私に主殿殿に仕えよと言われまするか?」
「主殿殿は禄を与えるとの仰せです。領地はなくも、室町第にて寝泊まりはできる、と」
与一郎が苦虫を噛みつぶしたような顔で言う。ふーん、そうか。主殿は俺のすべてを奪うつもりか。悪い奴だな。領土も取り上げ、俺は室町第に拘束。義輝も俺も無力化し、幕臣たちの主導の幕府というわけか。大した奴だ。
「主殿殿に六角右衛門督様を御しきれますかな? あの御仁は浅井を恨んでおりましょう。浅井憎しの一念で動く御方だ」
「右衛門督殿は主殿殿に協力する、と仰せよ。もはや虎福丸殿は負けたのだ」
弾正左衛門が言う。おいおい、勝手に敗軍の将にするなよ。俺は今、政界のフィクサーとして三好の上洛を進めている。山名に赤松、斎藤に織田、上杉にも書状を送った。三好の政権に協力せよ、公方様は天下の安寧がお望みである、と書いておいた。残念だったな。俺は逃げ足は早いんだ。俺の息の根を止めたかったら関白殿下と一緒にいるときに殺しておくべきだったな。幕臣どもが俺を排除したがっているようだが、無駄だ。三好長慶は化け物だぞ。簡単に取り込まれるような男ではない。ここで三好上杉の同盟を成立させ、六角を排除する。浅井と手を結ぶのもいいかもしれんな。
桐野河内は波多野に取られたが、いつでも取り戻せる。
「その儀、お断り申し上げる。それがしは主殿殿とは馬が合いませぬ故」
「何と! それでは公方様がお困りになられるぞ。虎福丸殿を頼りにしておられるのは公方様じゃ」
弾正左衛門が語気を強めた。お人好しだなあ。だから、弟共々パッとせんのだよ。
「私が京に行けば、命がないと見まする」
「まさか、考え過ぎじゃ」
俺は首を振る。
「桐野河内を奪いし男にござる。油断は禁物にございましょう」
「そのようなことは……」
弾正左衛門が口ごもる。思い当たりがあるのだろう。やれやれ、こうでも言っておかないとまた面倒ごとに巻き込まれるからな。上野主殿の肚が読めん内は様子見するに限る。
永禄四年(1561年) 九月 若狭国 後瀬山城 城下町 伊勢虎福丸の仮屋敷 伊勢虎福丸
六角が東に兵を動かした。馬鹿だな。阿波に三好がいるというのに。
しかも攻め込んだのが浅井じゃなくて美濃だ。美濃では斎藤と織田の戦が引き分けに終わって、織田が引き上げたばかりだ。疲れた斎藤を丸飲みにしようというのかな。愚かとしかいいようがない。また三淵藤英が六角の所に使者に行ったらしい。御苦労なことだ。
「おばうえ~」
叔母上が目を細めた。叔母といっても、若いがな。美人さんだ。嫁入りはまだで俺と一緒に若狭に逃げてきた。父上の妹に当たる。叔母上の胸に頭を預ける。叔母上の胸はデカい。母上よりもだ。
「まあまあ虎福殿は甘えん坊でいらっしゃいますね」
叔母上が優しく笑う。この人が嫁に行ったら嫌だなあ。何となくそう思った。
「虎福殿、京はどうなるのでしょうか。叔母は不安なのです」
叔母上の声音が暗いものになった。そうだよなあ。下手したら義輝たちは伊勢一族を皆殺しにしかねん。いや、若狭武田家に殺させるかもしれん。史実より悲惨なことになりそうだ。この世界の朝倉義景は賢そうだからあまり極端な真似はしないだろう。
「大丈夫でございますよ。三好がおりまする」
俺が言うと、叔母上が目を見開いた。
「三好が動きましょうか……」
「動きまする。修理大夫殿も豊前守殿も天下を諦めてはおりますまい。それに公方様では世は治まらぬと見ています」
「それは……」
「叔母上も公方様は頼りにならぬと思われるでしょう?」
「……」
叔母上は黙る。叔母上も伊勢の女だ。義輝の味方をしたいのだろう。ただ義輝には力がない。今だって、幕臣たちが俺を追い出したが、それだけだ。京の民は幕臣たちを嗤い者にしている。幕臣たちは舐められているのだ。幕臣たちは知行を増やし、公家や寺社の反感を買っている。かつての後醍醐帝の新政だと批判する声も公家や僧たちから上がっている。義輝は幕臣たちと公家たちの仲裁もせずにのほほんとしている。自分の軍事力が強化されているのでご満悦なのだ。こんなことをしていたら、今度は大和のあの男が動く。松永彦六義久。松永久秀の息子だが、史実でも義輝を殺した。久秀の手を離れ、独自に大和で勢力を拡大している。史実では信長や秀吉の影に隠れているが、恐ろしい男だと思う。あいつが動けば、史実より早く義輝は殺される……。
叔母上が俺の頭を撫でる。俺は甘えるように目を閉じた。




