77、反撃の一手(いって)
永禄四年(1561年) 九月 山城国勝龍寺城 城下町 平井小夜
「小夜殿、着きましたぞ。もう大丈夫ですぞ」
侍従様が手を取って下さる。生きた心地がしませんでした。伊勢の方たちが職人たちや若い女子たちを連れて桐野河内を離れました。虎福丸殿が密書で危険を知らせてくれたそうです。皆、急いで逃げました。山城に伊勢の領地があるそうで皆がそこに逃げます。私は侍従様の輿に乗せてもらいました。侍従様は私の手を握り、私の側にいてくれました。お優しい御方。侍従様の側にいると胸が熱くなるのを感じます。
桐野河内は波多野の兵の手に落ちているはず。それで民のほとんどは逃げ出しています。手際のよい事。虎福丸殿がニヤリと笑う所が思い浮かびます。
侍従様が私の手を握ってくださいます。男らしい御方。
「虎福丸殿も大変なことよ。京でも幕臣たちが兵を上げたと聞く。すべては仕組まれておったということか……」
侍従様が悔しそうに下唇を噛みます。
「虎福丸殿は若狭か越前に落ち延びられましょう。姫、姫は観音寺城にお帰り下さい。この鶴千代、お供致しまする」
鶴千代殿が私の側に来て言いました。虎福丸殿のことは心配ですが、仕方ありません。義兄上の顔が浮かびます。六角は幕臣たちに味方していました。義兄上……右衛門督様も虎福丸殿を裏切っていたということでしょう。怖い事。殿方というのは争わずには済まない方たちなのですね……。
永禄四年(1561年) 九月 若狭後瀬山城 大広間 伊勢虎福丸
「お世話になりまする」
俺が頭を下げると、美人がそこにいた。武田大膳大夫の奥方だ。名前は常という。あの馬鹿……義輝の妹だ。足利の女誰も薄幸そうだな。どことなく影のある女だ。それもそのはず、若狭武田家は内輪もめの真っ最中だ。独裁者の当主に反発して、国人衆が反乱を起こしている。隣国である朝倉家が内紛に介入するのも時間の問題だと言われている。なぜ若狭武田家かというと、お婆様の実家が武田家だからだ。伊勢と武田は縁が深い。
「御用があれば、何なりと申してください。虎福丸殿は足利の柱石と夫も申しておりました」
奥方が微笑みを浮かべて言う。若狭武田は匿ってくれるが、見通しは良くない。京は六角のものとなった。六角右衛門督は浅井を討つと鼻息が荒い。やれやれだな。右衛門督が馬鹿なのに救われた。六角の目が近江に向けば、時間稼ぎになる。その間、何をするかって? 決まっているだろう。三好に働きかける。六角は駄目だ。使えん。となると使えるのは三好長慶と三好義賢だ。特に狙い目は三好義賢。兄の影に隠れてはいるが、野心家で功名心に逸るところがある。そこをうまくくすぐってやる。三好を復権させ、義輝の権威を取り戻す。俺を排除した幕臣たちは隠居させよう。そうだな。その後は明との貿易で儲けるぞ。足利を儲けさせ、他の大名を圧倒してやる。上杉も三好と手を結ばせる。それで万事解決だ。
永禄四年(1561年) 九月 阿波国 勝瑞城 三好義賢
書状を持っていくと、家臣たちが勢揃いしていた。兄もいる。小姓に兄に書状を渡すように頼んだ。
「お人払いをお願いしまする」
「その必要はあるまい。ここにいるのは三好の臣よ。皆、信頼に足る者ばかりじゃ」
甘いのう。兄上は儂が裏切るとも思わんのか。だが、その人の良さに皆、感服するのだろう。峻烈なだけでは人はついていかぬ。兄が書状に目を通す。
「虎福丸か」
家臣たちがどよめく。虎福丸、三好にとっては大敵とも言うべき相手よ。憎んでいる者も多い。
「京に攻め入り、公方様をお助けしては如何と、そう書いてあるわ。ふわっはっはっは。やるのう、虎福丸」
兄が笑う。儂も笑みを見せる。虎福丸は上杉家との同盟を提案してきた。そこには六角は入っていない。六角ではなく、三好を誘うところが笑えてくるわ。やはり、兄の力が必要なのか。
「父上、お受けなさるので?」
「上杉弾正少弼では畿内はまとまるまい。武田のこともある。虎福丸の話は最もよ。三好しかこの乱世は御しきれぬ」
「では……」
「戦の支度を整えよ。虎福丸の言う通りに致すぞ」
兄が言うと、家臣たちが喜びの声を上げる。ふむ、忙しくなりそうだ……。




