73、小夜姫(さよひめ)の迷い
永禄四年(1561年) 八月 京 御所 三淵藤英
弟とともに二条での新御所の見物を終えた後、御所で義輝様に拝謁した。摂津中務少輔様は苦い顔をしている。
「虎福丸は安芸行きを引き受けた。これで天下治定に近づくであろう」
義輝様はお喜びだ。丹波に引っ込んだ虎福丸殿に対して義輝様は毛利、尼子、大友の三者和平を命じた。断ることもできるが、虎福丸殿は引き受けた。丹波の国人たちは虎福丸殿の領地を狙っている。虎福丸殿が引き受けたら、領地になだれ込むだろう。それくらい、伊勢は、虎福丸殿は国人に恨まれ、妬まれている。
「まだ京の政も落ち着きませぬ。少し急ぎ過ぎなのでは」
「弾正左衛門、急いで良いのだ。武田義信も上洛する。予こそがこの乱れた御世を治める。関白殿下も安芸行きに同意して下さった。大名たちをまとめる好機よ。豊かな民の国へと生まれ変わる好機じゃ」
「さ、されど、畠山も六角もいつ寝返るともしれずッ、諸侯の力に頼るのは危のうございます」
弟が声を上げた。私もそう思う。焦り過ぎだ。幕府の内部に虎福丸殿しか人はおらず。進士美作守様は横柄。我ら兄弟も諸大名を抑えきれず。力なき足利がこの国をまとめることなど、できない。現に尾張の織田と美濃の斎藤は睨み合っている。幕府の仲介も意に介さないではないか。
「頼るのも良いであろう。足利に力なくば、上杉、六角、畠山を頼るべし。余は政を行えばよい」
「公方様……」
「余は義満公のような治世を取り戻すぞ。必ずや天下を治めん」
気迫は充分だ。だが、不安だな。虎福丸殿に文を送るか。天下治定……そんなことが本当にできるものか。
永禄四年(1561年) 八月 丹波国 桐野河内 平井小夜
「こたびはお招きいただき、ありがとうございまする」
庭田侍従様が虎福丸様に挨拶なされます。涼しげな目、口元には笑みを浮かべておられます。いい人そう。新九郎様を思い出します。
「侍従様、ようこそおいでくださいました。祭りでの舞、よろしくお願い致します」
「それはもちろん。春齢様からもきつく言われておりますので」
「春齢様がそんなことを」
虎福丸殿と侍従様が笑い合う。なごやかな雰囲気。虎福丸殿が私の方を見る。
「侍従様、丁度、小夜姫様がこの地にいらっしゃっています。縁談のお話もありますし、この地で二人でゆっくりされてはいかがでしょうか」
「麿は構いませぬが、姫のお気持ちは?」
「そ、それは……」
困って虎福丸殿の方を見ます。虎福丸殿が白い歯を見せます。
「侍従様はお優しい御方でございまする。春齢様もぜひこ縁談を進めた方が良いとおっしゃっておられましたよ」
新九郎様を簡単に忘れることなどできない。でも侍従様を見ていると悪い御方ではないと思えてくる。
それに私も六角のために、嫁がなければならない。粗暴な殿方ではないと春齢様も虎福丸殿も言うのなら、そう避けることはない。
「お心遣い、ありがとうございます。侍従様がよろしいのであればお側にいさせてもらってもいいでしょうか」
侍従様が笑顔で頷く。良かった。悪い人ではなさそう。まだ私の中には迷いがある。迷いもこの御方といれば晴れるのかもしれない。




