69、思わぬ客
永禄四年(1561年) 八月 丹波国 黒井城 赤井直正
「虎福丸殿が桐野河内に来られたか」
「はっ」
家臣の芦田治部大夫が返事をした。桐野河内に放った忍び
から虎福丸が領地の神社には入ったという知らせが届いている。もう夜も更けた。眠れぬわ。
「会いたいものよ。波多野や川勝に先を越されてなるものか」
丹波の国人衆は足利家に忠義を尽くしている。三好の家臣である内藤備前守も追い出した。俺が、俺こそが丹波の国主だ。波多野や小畠になど遅れを取らぬ。それには義輝様と意を通じる者がいい。義姉では駄目だ。義輝様から疎まれている。妻を通して義輝様と仲を深めることはできぬ。ならば、虎福丸殿に間に入ってもらって……。義輝様とはほとんど話すこともままならぬ。三好攻めも上杉や六角がでかい顔をしている。あのような者どもよりも俺の方が足利家の御為働けるというのに! 治部大夫は顔色を変えない。俺の前では大抵の奴は震え上がる。治部大夫は俺が怖くないのだろう。変わった奴だ。家を大きくするために叔父を殺した。喰わなければ喰われるのだ。叔父を殺さねば、俺が殺されていただろう。叔父を殺したことで家中はまとまった。今ならば、波多野とも張り合える。
治部大夫は虎福丸殿のところに行かせることにする。誼を通じる。波多野はこちらが抑えると恩を売っておこう。北の山名や一色も俺を狙っている。喰われてやるものか。虎福丸を味方にすれば、奴らも俺に恐れをなすだろう。
永禄四年(1561年) 八月 丹波国 船井郡桐野河内 摩氣神社 伊勢虎福丸
「撃てッ」
パンッ、ズパパパァーーーーン。
鉄砲が的に向けて発射される。練兵場の鉄砲隊の腕は見事だ。壮観だな。
権之助が馬に乗ってこちらにやってくる。そして、俺の側で飛び降りた。
「まだ五十挺程しかありませぬが、練度は上がっておりまする」
鉄砲の数は少ない。それでも五十挺ならば、多い方だ。波多野も赤井もこれ程持っているか怪しいものだ。鉄砲といえば、三好だな。奴ら大量に持ってやがる。それと弓矢だ。鉄砲で敵を驚かせた後、矢で相手を怯ませる。鉄砲隊と弓隊の連携がうまくいくようにしなければな。
「騎馬隊、前へっ」
権之助の指示で今度は騎馬武者が躍り出た。駆けながら弓を射る。次々と矢が的に命中していく。
「見事なり」
「お褒め戴き、ありがとうございます。あの者たちも喜びましょう」
権之助が言う。権之助に任せておいて良かった。ここまで鍛えれば、万が一敵が攻め込んできても追い返すことが出来よう。
「虎福丸様、握り飯でございます」
俺が床几に座っていると、盆を持った巫女の麻弥が話しかけきた。ツリ目で近寄りがたい。双子の姉の方だ。だが、話して見ると温和で優しい性格のようだった。
「忝い。いただこうか」
俺は握り飯を口に含む。うむ。いい塩味だ。おいしい。麻弥は柔らかい笑みを浮かべている。
「権之助。ここに来る前に並河を通ったのだが、歓迎されたのだ」
「並河ですか。波多野とつながっておりますぞ」
並河は国人衆の一人だ。ニコニコしていたが、目は笑っていなかった。
「そうか。やはり並河も信に置けぬか。困ったな。これでは四方が敵になってしまう」
赤井を味方につけても心もとない。俺は権之助を見る。
「今の国人衆にこの地を攻める気概など、ありますまい。皆、公方様の顔色を窺っております故」
「それはそうだが、幕臣の中には俺を快く思わぬ者もいる。その者たちが波多野をけしかければ、この地も戦場となろう」
「それは……」
「ないと言い切れるか? 俺を頼ってくる幕臣もいる。疎ましく思う幕臣もいる。人は愚かだからな。そう簡単には変わらぬ。桐野河内は伊勢にとって大事な所領だ。連中も狙っている」
「……はい」
「権之助。あの宮司の倅には注意せよ。あの者が敵とつながっているやもしれぬ」
「はっ、口の軽き男です故」
俺は麻弥をちらりと見た。平然としているが、内心は穏やかではないだろう。宮司の倅は麻弥の父親だ。父親に報告すれば、父親も焦って馬脚を現すだろう。あとは麻弥を泳がせて、敵の正体を探るだけだ。おそらく、宮司の倅とつながっているのは波多野だと思うが、朝倉や山名とも限らん。さて、鬼が出るか蛇が出るか。
永禄四年(1561年) 八月 丹波国 船井郡桐野河内 練兵場 河村正秀
若は何かの生まれ変わりか? 生き神か、もやは人を超えておられる。俺は三郎兵衛様とともに若の輿の右側で馬に乗っていた。
たちまち、民がこちらに集まって来る。
「おお、若様じゃ」
「ありがたや、ありがたや」
「公方様と共にこの国を正しい道に戻される御方よ!」
拝んでいる老人もいれば、頼もしく見ている浪人あり。女子衆も立ち止まり、若の輿をクスクス笑いながら見ている。このような賢き御方にお仕え出来て、この権之助、望外の喜びよ。いや、公方様よりも若のほうが優れているとさえ、言える。
「権之助、民の顔が明るいな。良きことなり」
「はっ、皆、若に、そして兵庫頭様に感謝しておりまする」
夫に先立たれ、途方に暮れた若妻と幼子が、重税に喘いで土地を捨てて移住してきた若い夫婦が、子に捨てられて行き場を失った老父が。皆、この桐野河内に移り住み、仲良く暮らしておる。先も明るい。商人もどんどん来る。若のおかげよ。
「いや、権之助。そのほうのおかげでもある。俺は京にいて指図しただけだ」
「はっはっは。幼き身でご謙遜なされまするな。若がいなければ、この地は波多野に蹂躙されておりましたぞ」
「謙遜ではない。権之助がいてくれたからこそ、町も賑わっておるのだ。これからも町を、村を頼むぞ」
「御意。安心して西国に行かれませ」
若が口元に笑みを浮かべた。この地は俺が守る。公方様の願う世の安寧。それに若は力を貸そうとされている。そうすれば戦にて夫を亡くす女たちもいなくなる。平穏な生活が待っているはずだ。
摩氣神社に戻ってきた。若が輿から降りる。目を瞠った。輿がいくつもある。はて、御客人か。そういえば、六角の使いの者が桐野河内に来ると行っておったな。確か、右衛門督様の妹君じゃ。
巫女の咲が愛想の良い笑みで我らの方にやってきた。双子の妹の方よ。
「虎福丸様、六角承禎入道様の御息女、小夜様がいらしておりまする」
「何、小夜様が」
小夜様、近江の浅井新九郎に嫁いだものの、離縁されたお可哀そうな御方よ。先ごろ、京にて義兄・右衛門督様と暮らしておられたが、なぜ京から離れた桐野河内に?
「お会いせねばならぬな。三郎兵衛、権之助、ついて参れ」
三郎兵衛様と返事をする。一体、何の用なのか。厄介ごとでなければ良いが……。




