68、摩氣神社(まけじんじゃ)
永禄四年(1561年) 八月 丹波国 船井郡桐野河内 摩氣神社 伊勢虎福丸
神社の奥まった部屋に俺、権之助、伊勢家臣の堤三郎兵衛、野依二郎左衛門、横川又四郎、忍びの瑞穂が集まる。宮司の蔵人には人払いするように頼んだ。
「倅は口が軽い。不肖の息子でございますので、虎福丸様の話は聞かせられませぬ」
爺さんの言葉に俺は吹き出した。権之助も笑いをこらえるのに必死だ。三郎兵衛たちはポカンとしている。まあいい、話を先に進めよう。
「祭りには参加したい。だがな、公方様も俺を離してはくれぬ。次は安芸に行けとせっつかれておるのだ」
「安芸? 毛利の領国でございますな。あそこは尼子・大友との戦いできな臭くなっておりまする」
爺さんが言う。それは知っているさ。八ヶ国の守護を務める尼子民部少輔晴久は石見銀山を確保し、毛利の侵攻を防いでいる。戦上手の名将である尼子晴久と毛利の終わりなき戦い。見るに見かねた義輝は伯父の聖護院道増を安芸に派遣。尼子・毛利の和議を画策した。しかし、成果は出ずに二年もの月日が経過している。そこでテコ入れとして俺が安芸に行かされそうだ。勘弁してくれ。こっちは桐野河内が狙われて大変なんだぞ。
「きな臭いぞ。毛利陸奥守は狸爺だ。義輝様のことも子供と思っておろう」
「毛利は尼子を滅ぼす気でしょうか」
爺さんが早口で聞いてきた。毛利は山名と結んでいる。丹波も影響を受けざるを得ない。
「陸奥守も年だ。いつ死ぬかも分からん。尼子を放っておけば、尼子・大友の挟み討ちに遭って毛利は滅ぶ。己が死ぬ前に尼子を滅ぼしたいのだろうな。それには義輝様が、足利が疎ましかろう」
皆が驚いて俺を見た。やれやれ、みんな毛利元就を甘く見過ぎだぞ。国人領主から成り上がった苦労人だ。義輝など、相手になるものか。
「まあ毛利のことはいい。今は丹波だ。瑞穂。この地を狙っているのは誰だと思う?」
「波多野だと思います。小畠は波多野と意を通じ、桐野河内の地を欲しがっています」
「強欲よな。人の物を欲しがるとは」
「波多野が本気を出してきたら、我らとて桐野河内を守り切れるかどうか」
権之助が慌てたように言った。波多野か。五千か六千は出せるだろう。それに小畠の五百が加わるのだ。大兵だ。勝てるわけがない。
「そうだな。ここは赤井悪右衛門と結ぼうと思う」
「あの謀将とですか」
横川又四郎が声を上げた。そうだ。波多野を敵に回して勝てるのは赤井くらいだ。
「毒をもって毒を制す。敵の敵は味方よ」
俺は近衛家と良好な関係を築いている。近衛家の姫が悪右衛門の正室だ。悪右衛門も波多野は怖いだろう。桐野河内は味方にしておきたいはずだ。
「悪右衛門は信用できませぬぞ」
又四郎が眉根を寄せて反対する。
「信用するのではない。手を組むだけだ。怪しいそぶりを見せれば、その時は手切れとなろう」
「ですが……」
又四郎が不満そうだ。まあいい。悪右衛門へは使いを送る。利に聡い悪右衛門のことだ。義輝のお気に入りの俺を無視はするまい。
「領内にいる忍びは泳がせて、様子を見る。瑞穂、頼んだぞ」
「はっ、忍びたちに目を光らせておくように命じまする」
瑞穂の言葉に俺は頷いた。爺さんが俺に何か言いたそうにしている。何だ、言いたいことがあるなら聞くぞ。
永禄四年(1561年) 八月 丹波国 船井郡桐野河内 摩氣神社 伊勢虎福丸
ツンと澄ました姉に垂れ目で愛想の良い笑みを浮かべた妹。二人とも巫女姿だ。二人とも年は十四だという。中二か。この時代なら嫁入りの適齢期だ。それにしても双子でよく似ている。俺は二人をしげしげと見た。
「あの、巫女に会うのは初めてでございますか」
妹の方が口を開いた。爺さんが姉妹どちらかを俺の嫁にと血迷ったことを言っていてな。そなたらはどう思う? なんて聞けるか。縁談は断った。ただ美しいな、この二人は。天女のようだ。そうだ。この二人の姿を絵に描かせよう。桐野河内の看板巫女だ。アイドル的人気が出ること間違いなしだ。
「初めてだ。ここは空気が澄んでいるな。心まで洗われるわ。京は楽しかったが、命がいくつあっても足りない。しばらくここで休みたい」
「まあ、どうぞごっゆくり」
「身の回りのお世話は私たちがします故」
息ピッタリだな。さすがは双子だ。ふわぁ、いかん欠伸が出たわ。日も暮れてきた。双子がクスクス笑っている。平和だな。明日は町を見て回ろう。それまで瑞穂や権之助と丹波や若狭の話をする。若狭も武田家中で揉めている。どこでも揉め事ばかりだ。若狭に朝倉が介入するという噂が乱れ飛んでいる。朝倉も上杉の上洛に焦っているのだろう。朝倉、毛利、尼子。波多野に赤井。考えることが山のようにあるな。焦ることはない。一つずつ着実に解決していこう。




